20.私の愛しい人(シャノン編)
仕事の合間を縫っては、麗らかな陽射しの中で娘のウィルマリアと戯れる。それが今の私の日課だ。
ウィルマリアが生まれて、より一層王家の居室は賑やかになった。
でも最近私がウィルマリアを抱き上げていると、決まって陛下が私の側でソワソワと順番待ちをしているのだ。
今日も一仕事終えて帰宅すると慌てたように陛下も帰ってきて、ベビー服を購入したので抱っこのついでに着替えさせていると、早くしてくれと言わんばかりの表情で見てくる。
案の定、陛下はウィルマリアにメロメロで。
今も着替えさせたばかりのベビー服が似合うだの、可愛いだの陛下の周りにはハートが飛び交っている。
……私が新しい服を着た時は、ここまで反応してくれなかった気がする……のだけれど。
親子のふれあいは見ていてとても微笑ましいのだけれど、なんだか少し……うん、少しだけ。
……モヤモヤっとしてしまう。
私も勿論陛下そっちのけでウィルマリアにメロメロだったりするので、まぁ……うん。お互い様なのだろうけれど。
夕食が終わってホッとひと息つきつつ、隣の陛下をチラリと見る。
どうせまたウィルマリアのところに一直線なんだろうなぁと、いつもの陛下の行動を思い起こして少しだけしょんぼりしてしまった。
陛下は最近、寝る時でさえもウィルマリアの隣だ。
なんだか妻として、娘を溺愛されるのはとても嬉しいのだけれど、少しだけ……そう、少しだけでいいから私の事も構って欲しいなぁなんて、ちょっとだけ思う。
隣で書類を見だした陛下の邪魔をしないように、そっと席を立とうと椅子を後ろに引いて立ち上がると、グッと手首を掴まれた。
書類しか見ていないと思っていたから、陛下の突然の行動に驚いて思わず動きが止まる。
「え、陛……」
「……シャノンさん、仲良くしようか?」
いつの間にか書類はテーブルの上に置かれた状態で、陛下は片手で頬杖をつき、コテンッと小首を傾げて甘い表情で私の手を握ったままジッと見つめてくる。
あまりにも突然の甘い空気に、どう返していいか分からず頬がジワリと熱くなった。
「えっ……あのっ、こ、ここ、ここでですか!?」
「私は別にここでも構わないけれど?」
「なっ……!」
慌て過ぎて変な事を口走ってしまった私のセリフに、陛下は少し意地悪く笑って返してきたものだから更に顔が耳まで熱くなる。
恥ずかし過ぎて言葉の返しようがなく、頬を小さく膨らませつつフイッと顔を逸らした。
すると握られていた手をそのままグイッと陛下の方へと引っ張られ、その拍子に椅子に座る陛下に覆いかぶさるように倒れかかってしまった。
「わっ!陛っ……」
「私と仲良くしたくはない?」
「……っ!」
───……陛下は、ズルい。
そんな甘い蕩けるような表情で言われてしまっては、断れるはずなんてない。
いや、……違う。私の中に、陛下の誘いを断るなんて選択肢は……元々ないのだ。
それに加えて、陛下はウィルマリアが生まれてからは、守るべき存在が増えたという心境の変化からか、『僕』と言わなくなった。
『僕』で聞き慣れていた陛下の一人称が『私』に変わった事で、なんだか陛下の国王としての威厳が益々感じられるようになって、一人称を口にされる度にドキリと胸が高鳴ってしまうのだ。
「ん?」と、私の返事を促すように陛下が首を傾げたので、恥ずかしさで瞳が潤む。
「……ベッドが、いい、です……」
恥ずかしさを押し込めて、真っ赤になりながらも呟くように言うと、陛下の瞳が色っぽく細められ、「良く出来ました」と甘く微笑みつつ唇を塞がれた。
***
翌日、今年は騎兵選抜トーナメントにもエントリーしていた為、農場や牧場の仕事をこなしつつ夕方の試合までソワソワと過ごした。
農場の仕事も勿論楽しいけれど、私はやっぱり……陛下を側で守るママの立場がずっと羨ましくて。
陛下は私なんかよりもよっぽど強いけれど、それでも……側で足手まといにならない程度には強くなりたいと思ったからだ。
夕方急いで王立練兵場へと向かうと、陛下の弟であるサミュエル殿下が開会式を取り仕切ってくれた。
陛下は近衛騎士隊のトーナメントの開会式に出なくてはいけない為だ。
しかも隣に立つ初戦の相手が、親友のフィービーちゃんである事に驚いた。
でも、いくら親友と言えどこの試合だけは譲れない。ママのように騎士隊長にまではなれないとしても、せめて騎兵になって陛下を守りたい。
フィービーちゃんにもその私の意志が伝わったようで、「お互い手加減はなしだからね!」と力強く宣言されてしまった。
***
試合はとても緊張したけれど、なんとかいつもの力を出し切れた。
試合後にフィービーちゃんに話しかけると、「シャノンってばいつの間にそんなに腕あげたのよ〜!」とニヤニヤしながら肘で突かれてしまった。
私が照れ笑いを浮かべていると、「愛の力ってやつ〜?」なんて笑顔で言われて、恥ずかしさに頬がジワリと熱くなった。
さて、農場によって帰ろうとホクホクした気持ちで幸運の塔の方へと向かうと、向かいから陛下が近づいてくるのが見えた。
優しく微笑みつつそう言ってくれた陛下に、私も喜びが隠し切れなくて満面の笑みで言葉を返す。
開会式が重ならなければ、私も応援に行けたのだが……と少し残念そうに陛下が言うものだから、その気持ちだけで十分です!と、私も微笑み返した。
それからの毎日は───、
──……ウィルマリアと触れ合ったり、牧場や農場の仕事、試合にと大忙しだったけれど、とても充実した日々で。
時には陛下と釣りに出かけたり、
デートに誘われたり、私から誘ったり、
そしていつも陛下は優しくて……甘くて、
私は本当に幸せ者だなぁって、改めて思える毎日が忙しくも穏やかに過ぎていく───。
そしてついに、トーナメントの決勝戦まで勝ち抜くことが出来た。
最後の試合の審判は、まさかのパパで。
緊張しつつもなんだか少し勇気をもらえた気がして、絶対にパパやママの元へと追い付きたい気持ちで剣を振るったら、見事優勝まで漕ぎ着けた。
───どうしよう、嬉しすぎる……!
嬉しくて、嬉しくて、今にも泣いてしまいそうで。
この嬉しさを、一番に陛下に伝えたいとソワソワしながらパパの言葉を待つ。
「では、続いて閉会式、に……っ!?」
突然パパの言葉が途切れたので驚いて顔を上げると、
………………え?
え……、あれ、なんで……陛下がここに!?
夢でも見ているのかと何度も目をこすったけれど、目の前の人は陛下で間違いなくて。
陛下は今、近衛騎士隊トーナメントの閉会式に出ているはずなのに……と、混乱で目の前の陛下を思わず凝視する。
陛下に名前を呼ばれて、ドキリと心臓が跳ねた。
陛下と目が合って、優しく目を細めて微笑まれると思わず抱きつきたい衝動に駆られる。
通常ではあり得ない光景に、なんで? どうして? と、疑問は沢山あるけれど、陛下がこうしてこの場に来てくれた事がとにかく嬉しくて、私は涙ぐみながらも「ありがとうございます」と笑顔で頭を下げた。
すると閉会式が終わってすぐに、パパが盛大な溜息を吐きながら私と陛下の側へとやって来た。
「……陛下、まさか近衛騎士隊の閉会式中に転移石使ったんですか?」
「うん。……まぁ、うん」
「はぁぁぁ〜……絶対、マツリカやアポリナル神官は大激怒してますよ?」
「……」
陛下が少しバツが悪そうに頭をかいている姿を、口ではなんだかんだと言いつつも、パパは少しだけ嬉しそうに見ながら仕事へと戻って行った。
そんな陛下とパパのやり取りを見つつ、ふと開会式の時の陛下の呟きを思い出して口元が緩んだ。
自分の仕事は絶対に手を抜かない陛下が、まさか私の閉会式の為だけにこんな失態をしでかすなんて、ママや神官様にはとても申し訳ないけれど、愛されてるなぁなんて思ってしまう。
隣でクスクス笑う私を見て、陛下は目尻を少し赤く染めながら「最後くらいどうしても一番に祝いたかった」とそっぽを向きつつ呟くように言った。
───そんな陛下も愛しくて。
ウィルマリアが大きくなったら語り継がなきゃいけないなぁなんて、こっそり思った。
***
それからの毎日も、とても穏やかで、幸せで。
仕事の合間に街門広場のベンチで休憩をしていると、ふと昔の事を思い出した。
ここで、いつも陛下とデートの待ち合わせをしていたなぁ、とか。
陛下とデートの約束をすると、嬉しくていつも私が先に来ていたっけ、とか。
想い出のついでに、なんとなく初めてのデート場所へと足が向かい、幸運の塔を見上げつつ池のほとりに立つと、初めて陛下に花束をもらった子供の頃を思い出す。
あの時の花束は、実は今でもこのエルネア王国特製の魔法のかばんに入っていたりする。
あの花束をもらった時の事は、今でも昨日の事のように思い出せて……あの頃の私に教えてあげたい。
───あなたは今、とっても幸せよ……って。
しばらくほとりで池を眺めていると、「シャノンさん」と聞き慣れた声に呼ばれて振り向いた。
そこには、愛しい───愛しい、私の旦那様の姿。
陛下は優しく微笑みつつ、今から息抜きに出掛けないかと誘ってくれた。
ここで花束を貰ったあの頃では、一緒に出掛けるなんて夢のまた夢だった。
それが今、こうして二人で出掛けられる。
『夫婦』という形で、陛下と肩を並べられる。
二人でニヴの岩を見つめながら、沢山の想い出が脳裏を過った。
いつも陛下の授業の時だけは、一番に席に着いていて。
街で陛下を見かけては、後ろからこっそり着いて行ったりもした。
成人して想いが通じた時は、幸せ過ぎて死んじゃうんじゃないかとも思った。
結婚式では、子供の頃からの夢が叶って思わず涙したり。
夫婦になってからは、ケンカもしたりして。
でも、仲直りも早くて。
───小さな頃から陛下が好き過ぎて、もうこれ以上はないと思っていたのに、陛下への好きの気持ちは留まるところを知らなくて、私の中ではこの先もきっとずっと永遠にキリが無い。
───『我が家』───。
そう呼べる所へ、二人で帰る幸せ。
この先きっと、いつか私は陛下がガノスへと旅立つのを見送る日が来るだろう。
それはとても悲しい事だけれど、この世に生を受けた人間には、必ず平等に誰にでも別れはやってくる。
そしてガノスへと旅立った魂は、また、新たなこの地へと転生する。
そう思った時、私の中で一つだけ……確信出来る事があった。
それは、何度生まれ変わっても、
私はきっと……貴方に恋をする───と、いう事。
〜END〜