11.キスと後悔(ウィルマリア編)
“順調”? と、聞かれれば、そうだと頷ける。
───うん。
アタシとラザールは晴れて誤解も解きあって恋人同士として、二人の関係は世間一般から見て至って順調……なのだと、思う。
うん、思う。
思うの、だけど。
……それでも、今のアタシには大きな大きなモヤモヤがあったり、する───。
***
ラザールは、デートの約束の時はいつもアタシより先に街門広場に来ていて、そしてすぐにアタシを見つけて声をかけてくれる。
───うん。これは普通に嬉しくて、アタシもつい頬が緩んでにやけてしまうのだけど、問題は……ここからなのだ。
二人で酒場での食事デートでも、
なんてアタシが呟いても、
と、ラザールはふわりと優しく微笑んでアタシの話を肯定するだけ、なのだ。
どのデートの時もそう。
どのデートでも、彼はいつでも優しくふわりと微笑んでアタシの意見を肯定して甘やかす。
……うん。本当優し過ぎるし、それがラザールらしいな、とも思うし、嬉しくも思うのだ。
思う、の───だけれど。
……そうじゃない。
そうじゃないのだ、アタシが求めている恋人同士っていうのは……!!
もっと、こう、刺激というか、優しいだけじゃなくて、ラザールがヤキモチ焼くところとか、拗ねるところとか、怒るところとかっ……とにかく!
とにかく優しさだけじゃなくて、想われていると分かるような何か違う反応が欲しいのだ。
そんなの、アタシのわがままだという事は十分過ぎる程分かっている。
分かっているけど、だけど。
今のラザールの優しさは、恋人に対する優しさというよりは、年下、もしくは妹、最悪は子供……に対する態度のような気がしてならないのだ。
その何よりの証拠に、……アタシはラザールからいまだに“唇にキス”をしてもらった事が……ない。
デートの別れ際にキスはしてくれるけれど、彼の場合は全部“頬”か“額”のみだ。
いくらアタシの性格が超ワイルドでも、自分からキスを強請るのは流石に恥ずかし過ぎる。
……でもだからと言って、このままのお付き合いで我慢できるかと言われると、首を縦に振ることはできないのだけど。
デートには誘ってくれるし、会いにも来てくれる。
そして何より、アタシの全てを包み込んでくれるかのように優しく甘やかしてくれる。
それで十分幸せ……な、はずなのに、それでも“もっと”とわがままなアタシは望んでしまう。
目に見える形で、アタシは好かれているのだと自覚して安心したいのだ。例えば、……ラザールのヤキモチとか、キスとか、キスとかキスとかキスとか。
年下であるアタシは、どうしても経験がなくてリード出来ない分、自分に自信が無くなりがちなのだ。
だけど、そんな事考えているなんてラザールに知られたら……恥ずかし過ぎてガノスに召されそうだけど。
中々素直になれなくて、本当自分の性格が損な性格だなぁとしみじみ思う。
デートの帰り道、そんな事を悶々と考えながら王城まで送ってくれている隣のラザールをチラリと盗み見る。
するとアタシの視線に気付いたのか、ふとラザールがこっちを見たのでバッチリ目が合ってしまった。
「ん? どうかした?」
「な、んでも、ないっ!」
「……?」
この至近距離で小首を傾げる仕草は反則だ。
胸がキュンキュンし過ぎて、慌てて繋いでいない方の手で真っ赤になっているであろう顔を煽ぐ。
そんなアタシを見て、ラザールは柔らかく目を細めてふわりと微笑んだ。
王城まで送ってくれて、また明日、と約束をして帰っていくラザールの後ろ姿を眺めていると、不意に片想いの頃の自分を思い出した。
───かつてラザールには、旅人の恋人がいた。
今でもあの時の光景は、忘れる事なくハッキリと覚えている。あの時の───……感情も。
好きだと自覚した途端、失恋確定だったあの頃。
アタシの質問に対してラザールがあまりにも嬉しそうにクラリーチェの話をするから、悔しくて、悲しくて、……アタシの想いは一生報われないのだと思った。
───それが。
……運命は巡り巡って、今、こうしてラザールはアタシの恋人として側にいるのだから、人生何が起こるか本当に分からない。
***
翌日、畑で野菜の収穫と種まきをしていると、料理を手にしたラザールがやって来た。
仕事をしながらでも食べられるようになのか、差し出されたのは綺麗にラッピングされたラゴサンドだ。
ラザールって本当にマメだなぁとか、これって多分立場が逆の方が良いんだろうなぁとは思うけれど、ラゴが大好きなアタシは飛びつくように喜んで受け取ってしまった。
すると、それを見ていたラザールが楽しそうに声を立てて笑った。
「喜んでもらえて良かった」
そう言って、柔らかく笑う彼の笑顔にドキリと心臓が高鳴る。
だけどなんだか食い意地が張っているみたいで恥ずかしくなって、つい顔を逸らそうとするとラザールがふわりと結んでいるアタシの髪を手に取った。
それから、スルリと流れるような動作でアタシの髪に口付ける。
「……明日、デートしませんか?」
そう言って少しだけ上目遣いでこちらを見上げたラザールが、目を見開くアタシを見てふと小さく笑った。
……その、余裕ある表情に悔しくなる。
けど、どうしようもなくドキドキする自分もいて。
ジワリと顔に熱が集まるのを感じたアタシは、悔しさでフイッと顔を横に逸らして口先を尖らせた。
───ずるい人だと、思う。
アタシが断らない事を知っているくせに、いつも彼はこうやってアタシに決定権を委ねるのだ。
それは、ラザールなりにアタシを思いやった結果であって、アタシの為なんだって事も分かる。
分かるのだけど、でも……そこに、どうしてもラザール“自身”の意思が感じ取れないのだ。
例えば、どうしてもアタシとデートしたいのだと強引にでも言われるならば、アタシはきっと喜んで頷くのに。
でも、彼の場合はそうじゃない。
用事があると言ってアタシが断れば、彼はきっとすぐにでも引き下がる。
だから───、ラザールの優しさは、時に残酷だとも思ってしまうのだ。
これだけ優しく大切にされているのに、何故だか常に不安が付き纏う。
彼の優しさは、アタシの今の立場故なのかな、とか。本当はまだ、妹みたいな感覚から抜け切れてないんじゃないのかな、とか。
とにかく、アタシだけがこんなに彼を好きなんじゃないかって、胸がぎゅっと締め付けられるのだ。
「も……、いい加減、手を離して」
「どうして?」
「は、恥ずかしいから!」
「でも、まだ返事を聞いていないからなぁ」
「い………行くに決まってるでしょ!」
アタシが真っ赤な顔でラザールを少し睨みつつ叫ぶと、彼は楽しそうに笑った。
悔しい。余裕ぶってるところが、本当に悔しい。
こういう時でも、ラザールは顔色ひとつ変えずにアタシと話していられるのだから、想いの大きさの違いに胸が苦しくなる。
それなのに、彼は呑気にふわりと笑ってアタシの髪からゆっくり手を離し、今度はその手を頭の上へと優しく乗せる。
「じゃあ、また明日」
ポンポン、とアタシの頭を優しく撫でたラザールの手が、そっと離れていく。
甘い空気は恥ずかしいけれど子供扱いされたようで悔しくて、アタシは咄嗟にラザールの手をギュッと握って彼を見上げた。
ズキリ、と胸に大きな棘が突き刺さる。
「そ、そっか、だよね! 急にゴメンっ」
サッと手を離して無理矢理笑顔を作って見せる。
するとラザールは、眉尻を下げたまま何か言いたげにしていたけれど、申し訳なさそうにアタシから離れて行った。
───……やっぱり。
やっぱりラザールは、アタシとのキスを避けている、と……思う。
今のは、アタシなりに最大限に勇気を振り絞ったつもりだったのに。
ラザールの困った表情が脳裏に焼き付く。
困らせたいわけじゃないのに。
ただ、アタシは──……ラザールともっと近付きたいだけなのに。
……ラザールは、アタシと同じ気持ちじゃないのかな──。
そんなアタシの心の声がラザールに届く訳もなく。
農場通りへと向かって人混みの中に消えていく彼の後ろ姿を、アタシは見えなくなるまでずっと見ていた。
***
───翌朝、まだ誰も起きていないだろう時間に目が覚めた。
日に日にモヤモヤは大きくなる一方だけど、恋愛初心者のアタシにはどうしたら良いのか分からなくて、完全に燻る気持ちを持て余してしまっている。
───だけど、やっぱり……こんなの、アタシらしくない。
まだ隣で眠る母さんを起こさないように、そっとベッドから抜け出したアタシは、本能のままに城の外へと駆け出した。
会いたいなら会いに行こう。触れたいなら触れれば良い。だって恋人なんだもの。元々駆け引きじみた事なんてアタシには向いていないし、こうやってウダウダ悩むのもアタシらしくない。
ズンズンと城下通りを下りながら、うっすら見えてきた陽の光に目を細める。
まだラザールは寝ているだろうから、久々に寝顔でも堪能してから起こそうかな、なんて。
───考えるだけで頬が緩んでいく。
こういう時、恋って良いなと思う。
***
ラザールの家に着いて、そっと彼の寝ているベッドへと近付く。
なんだかとても悪い事をしている気分になって、ドキドキと心臓が煩くなる。
早く起きて欲しいような、そうでないような。不思議な感覚に胸がキュッとなりつつも、そっと彼の寝顔を覗き込む。
起きている時は優しいけれど大人の顔しか見せてくれないラザールも、こうして眠っている姿は少年のようでどこかあどけなさを感じる。
ついイタズラ心から、ラザールが目を覚ました時に目の前にアタシの顔があったらどんな反応をするのかな、なんてニヤニヤしつつ顔をそっと近づけた。
───ドキン、と胸が高鳴る。
自分で近付いたのに、思わず逆上せそうな程顔が熱くなるのが分かる。
────……このまま、キス、しちゃいたいな。
そう一度思ってしまえば、もうダメだった。
自ずとラザールの唇に視線は集中してしまい、ドキドキと心臓は煩く鳴り響くのに身体が止まってくれない。
勝手にキスするなんて、昨日断られている手前絶対にダメだと自分の心が警鐘を鳴らすのに、今ならきっとバレない。なんて、単純思考なアタシが首をもたげる。
そしてそう思ったが最後、アタシはそっとラザールの唇に自分の唇を落としてしまった。
────……柔らかい。
そう思った瞬間、パチリとラザールの瞼が開いて目が合った。
「……っ!」
驚いたのもだけれど咄嗟にヤバイ、と思ったアタシは、思わず自分でも驚く程俊敏にラザールから後ずさる。
驚いた表情をしながらもゆっくり体を起こしたラザールを見て、アタシはまた一歩、二歩、と彼から後ずさる。
「え、ウィル……」
「ゴメンッ!!!」
ラザールが言葉を発しかけたのを、咄嗟に自分の言葉を被せて遮った───のと同時に、アタシは弾かれたようにその場から逃げ出した───。