2.恋模様(ウィルマリア編)
今日は朝から、父ちゃんも母ちゃんも大忙し。
それもそのはず、今日は王国を挙げてのギート麦の収穫の日だ。
朝から王国のみんなが一斉に農場の各畑へと向かう。その時の長蛇の列は、道行く子ども達の通り道を塞いでしまう程。
でも実はあたし達子どもも、こっそりその長蛇の列に混じってはワクワクと農場へと向かう。
だって、こんなにみんながこぞって同じ所へ向かうなんてそうそうないんだもん!王国のみんなでワイワイとピクニックにでも行っているみたいで、邪魔しちゃいけないのは分かっているけれど、どうしてもワクワクしてしまうのだ。
そしてそんな長蛇の列に加わる今日も、あたしが向かう先は一直線!
のんびりとほのぼの収穫している母ちゃんと父ちゃんを横目に、レノックスの家の畑へと走った。
「レノックス! おはよう! 恋人はまだいない!?」
「ははっ。おはよう殿下。今朝も相変わらずだね」
レノックスが麦を収穫しながら楽しそうに笑う。
あたしのこれは、今やもうレノックスには恒例の挨拶になってしまっている。
あたしの性格上うじうじ黙っている事は出来ないし、気になる事はそのままにしない!っていうのがあたしの信念だ。
今日もレノックスが麦を収穫している姿でさえ、今のあたしには王子様に見えてしまいついついうっとり見惚れてしまう。
レノックスはモテ男だから放っておいても女の人が寄ってくる。だからか、レノックスの方から話しかけてくれるなんて事はまだ一度もないけれど、それでも毎日しぶとく会いに行くくらいには、あたしは彼に恋をしていると思う。
今朝もまだレノックスに恋人はいないと確認出来ると、ホッと胸を撫で下ろしつつ邪魔しちゃいけないとレノックスの元を後にした。
すると、いつもはばぁばと森にこもりきりのじぃじの姿が見えて嬉しくなる。
じぃじはあたしの父ちゃんよりも若い。
今は近衛騎兵だけれど、昔は農場管理官だったってばぁばが教えてくれた時は意外過ぎてびっくりしたけれど、こうして手際よくギート麦を納品している姿を見ると、農場員だった頃のじぃじが垣間見えた気がして嬉しくなった。クールなじぃじは口数は少ないけれど、とっても優しくてカッコいいから大好きだ。
じぃじが農場員に混じってテキパキと納品している姿をずっと見ていたかったけれど、みんなの邪魔になったらダメだと名残惜しみつつも農場を後にした。
昼の一刻に学校で授業を受ける前に、ヤーノ市場でお弁当を買おうと向かっていると、誰かがパタパタと向かって駆けてくる。彼はパッと顔を上げてあたしと目が合うと、嬉しそうにニッコリ笑って近づいて来た。
仲良しで、一歳年上のコルネーリオだ。
彼はとっても負けず嫌いな性格で、よくあたしに料理を持って来ては食べさせてくれる。
前に一度、色が綺麗という理由からあたしに『青いビスク』を持って来てくれた事があった。
色は確かに綺麗だったのだけれど、味はとても微妙で。頭にはてなの音符だらけの味に思わず「変な味」と呟いてしまい、それがどうやら彼の趣味である料理作りに火を付けてしまったようだ。
それからというもの、あたしにちょくちょく料理をしては持って来てくれるようになったのだ。
今日はハニームタンを持って来てくれて、蜂蜜が大好きなので大喜びしていると、コルネーリオは少しだけ照れたように鼻を掻いて「じゃあまた後で!」と、先に学校へと向かってしまった。
***
その後学校では、今日の麦の収穫についての勉強をした。麦の収穫は夕方まで行われるので、今日はもう家でおとなしくしていようかなぁとお城に向かいながらある事を閃いた。
そうだ! お絵描きしよう!
この間フラワーランドで、サリアの花と交換で購入できる赤いクレヨンを見かけたのだ。
自分の閃きに思わず嬉しくなって、駆け足でお城まで戻った。
ふふふ! 何を描こう!
ワクワクしながら紙に描いていると、なんだかそれだけでは飽き足らず寝室の壁にコソッと落書きをしてみた。
……楽しいっ!!
思わず夢中で描いていると、誰かが近付いてくる足音に思わずギクリ、と肩が竦む。
慌てて絵を隠しつつ振り返ると、そこには同級生のオスカルがいて不思議そうにこちらを見てきた。
父ちゃんや母ちゃんじゃなくて良かった、とホッとしつつも焦りは隠せなくて、つい上擦った声で返事をしてしまう。
「こっ、んにちは!」
「……殿下、何隠してるのー?」
「なっ……なんでもないわよ!」
「ふーん……?」
オスカルは見た目は美少年だけれど、やることなす事全てがなんとなく地味で。ルシオみたいに行動的ではない分、なんとなく行動は控えめだけれど色々と勘が鋭いところもあったりする。あたしの同級生兼幼馴染だ。
オスカルは普段あまり行動的ではないけれど、昔からの幼馴染という事もあって、あたしの事はよく遊びに誘ってくれる。
今日もあたしの行動を訝しみつつも、彼のトレードマークでもある困り眉をほんの少し上にあげて誘ってくれる。
あたしはこの、……幼馴染の誘いに弱いのだ。
あたしよりも少しだけ誕生日が後であるオスカルは、なんだか可愛い弟分みたいで断れないのだ。
それに彼はなんとなく地味で派手な事はしないけれど、森の小道に行くとあたしよりも弱いくせに必ず守ってくれようとする。
そんなオスカルの傷をあたしが手当てしてあげるのが、二人で探索に行った時のお決まりだ。
今日もオスカルに連れられて牧場に向かう。
何度二人で通ったか分からないくらいだけれど、何度来てもやっぱり楽しいと思う。
牧場に着くと「何して遊ぼうか?」と、オスカルが小首を傾げて聞いてくるのが堪らなく可愛い。
オスカルの困り眉はあたしのお気に入りだ。ついついこの困り眉をもっと見たくて、少しだけ意地悪く笑って答えてしまう。
ふふふっ。焦っているオスカルも可愛いっ!
あたしにこんな弟がいたらなぁっていつも思うけれど、それを言ったらオスカルは何故かいつも少しだけ寂しそうに笑う。
「えー、弟が不満?」と聞くと、オスカルは決まって「んー、そうじゃないよ」と少しだけ拗ねるのだ。拗ねたオスカルも可愛いけれど、放ってはおけないので、その後一緒に家まで帰るのもあたし達のお決まりのコースだ。
でも今日は、母ちゃんの率いる近衛騎士隊のトーナメント開会式だったのを思い出して、オスカルの手をグイッと引っ張った。
「オスカル! 王立闘技場に行こう!」
慌てるあたしにオスカルはすぐに理由を察すると、あたしと一緒に駆け出した。
***
王立闘技場に着くと、母ちゃんが隊の先頭で父ちゃんに向かって敬礼をしているところで。
いつみても、騎士隊ってカッコいいなぁと思う。
家では父ちゃんにメロメロの母ちゃんも、今ばかりはビシッと決まっていて。
じぃじとばぁばも騎士隊で、二人して母ちゃんを見守っているようで胸が熱くなる。
対するみんなに『陛下』と呼ばれる父ちゃんも、家ではあたしに甘々でも、この時ばかりは母ちゃんと同じく国王としての威厳が半端なく、そしてカッコ良くて。
二人の間に生まれてこれた事を誇りに思う。
いざ母ちゃんの第一試合が始まると白熱するバトルに思わずオスカルの手をギューッと握る。
するとオスカルも、少しだけいつもの困り眉を上げて大丈夫、と言わんばかりに手を握り返してくれた。
───やっぱり、こういう弟が欲しいなぁって思う。
***
昨日の母ちゃんの試合に夢中になり過ぎて、今日は少しばかり寝坊してしまった。
ばっちり初戦を勝ち取っていた母ちゃんが、カッコ良くて誇らしくて、興奮し過ぎた為寝るのが遅くなったのだ。
だから今朝はレノックスに会いに行けてなくて、学校へと直行だった。
学校が終わった後、友達とハーブ採取に出掛けた帰り道、シズニ神殿の辺りが少し騒がしくて立ち寄ってみた。
中に居た人達のほっこりした表情に、あ! 結婚式か!、と参列者の列を見つめていると、見知った顔を見つけてつい呼び止めた。
「ラザール!」
「あ、やぁ殿下。殿下も結婚式の参列?」
なんともほんわかした雰囲気のラザールに思わず和む。たまたま寄ってみただけだと告げたあたしに、ラザールは「そっかー」と、また穏やかに微笑む。
人の幸せを素直に喜んであげられるラザールは、あたしから見てもとてもイイ男なのに。やっぱりまだ、恋人はいない。
「……人の幸せもだけど、まず自分の幸せを優先しなさいよ」
ついついラザールに対しては、自分の方が年下のくせに生意気にもお節介を焼いてあげたくなってしまうのだ。あたしの言葉にラザールは、「相変わらず殿下は手厳しいなぁ」と朗らかに笑う。
そしてあたしの頭をふわりと優しく撫でると、
「でも、ありがとう。殿下は優しいね」
そう言って目を細めて優しく笑った。
その笑顔に、───……不覚にもドキリとしてしまった。
ラザールはじぃじに似ているから。だから妙に気になってしまうし、一緒にいると何故か安心してしまうのだ。
なんだかこの状況が少しだけ悔しくて、お人好しなラザールに、つい突っかかりたくて意地悪く質問をしてしまう。
するとラザールは案の定、少しだけ困ったように答えていたので、ついつい調子に乗って更に詰め寄ってしまった。
いつもは穏やかなラザールが、慌てて弁解するように話してきたのでなんだか楽しくて、あたしはついつい大声で笑ってしまった。
***
ラザールもみんなも外に出てしまってから、一人残って神殿内の彫刻を見つめる。
───……いつか。
いつかここで、あたしも運命の人と結婚するんだ────。
そう思ったら、なんだかまだまだ遠い未来の事なのに、少しだけ……ソワソワとしてしまった。
***
それから、今日はまだレノックスに会っていなかったと思い出して、慌てて導きの蝶をカバンから取り出す。
レノックスの居場所を確認しようと心の中で彼を思い浮かべると、『幸運の塔』が景色で出て来て思わずビックリしてカバンへと蝶を戻した。
い、今のって……!
“幸運の塔”は、この王国の有名な告白スポットだ。
そこにレノックスがいるということは……。
───ど、……どうしようっ。
どうしよう、どうしよう、どうしようっ───!
どうしたらいいのか分からなくて、半ば祈るような気持ちであたしは『転移石』をカバンから取り出した。
これは導きの蝶よりも早く、そして正確にその場所へと瞬時に移動出来る魔法の石だ。
取り敢えず、全てはこれで移動してから考えよう。
バクバクと心臓が早鐘のように身体中に鳴り響いて、手に汗がジワリと滲む。
見たくないけど、確かめたい。
その想いだけで転移石をぎゅっと強く握った。
あっという間に幸運の塔に着いたあたしは、目の前の光景に呆然としながらも、二人に近過ぎる事に動揺して思わず後退りする。
するとそこへ、コルネーリオが丁度通りかかったようで嬉しそうに声を掛けて来た。
コルネーリオと遊ぶのは勿論好きだけれど、今は正直それどころじゃない。
いつもは誘いを断らないあたしでも、流石に今ばかりは断ってしまった。
コルネーリオに謝りつつも二人がどうなったのかが気になって、そちらに意識を集中させてしまう。
すると、恋人のいないはずのレノックスが申し訳なさそうに断っている姿が目に飛び込んできた。
相手の女性の落ち込みように、喜んじゃいけないと思ったけれど、正直ものすごくホッとしてしまった。
……レノックス、断ったんだ。
確かに彼はモテるけれど、幸運の塔にまで来ているのを見たのは初めてで。
それなりに仲の良い女性だったんだろうなということが分かって、なんだか少しだけ複雑な気持ちになる。
ふと、顔を上げたレノックスと目が合った。
けれど彼はすぐに、あたしから視線を外してしまった。それがなんだか、大人の世界と子どもの世界の線引きをされたように感じて、堪らずあたしは彼に駆け寄り服の裾を掴んだ。
あたしの咄嗟の行動にレノックスは一瞬驚いた表情をしたけれど、すぐにいつもの表情に戻るとあたしの頭をポンポンと撫でて来た。
「どうしたの、殿下?」
「……」
レノックスの態度に、……あぁ、そうか。と思い知らされる。
───あたしは、……彼の中ではまだまだ子どもなんだ。だからいつも軽くあしらわれる。
本気の女性に対して、レノックスはあんな風に受け答えするのだと知り、なんだか無性に悔しくなった。
ほらね、と思う。
あたしなんかに、本気で受け答えするわけないんだ。
レノックスに恋人が出来なかった事は嬉しい事のはずなのに、なんだか無性に自分も振られたような変な感覚で。
レノックスと別れてからあたしは、暫く塔の近くのほとりで静かに揺れる池をじっと見つめていた────。