9.恋愛対象外。(ウィルマリア編)
───毎日が……忙しなく過ぎていく。
父さんがガノスに旅立ってから、アタシの毎日はガラリと変わった。
──まず、みんなに『殿下』ではなくて、『陛下』と呼ばれるようになった。
そして、国の祭事や行事には必ず出席して、祝いの言葉や激励の言葉を述べなければいけないのだと、叔父であり神官であるオスキツおじさんに教わった。だけどまだまだ半人前のアタシは、オスキツおじさんに威厳や礼節を叩き込まれる毎日だ。
そして母さんも、あれからもう一度騎士隊長を目指すのだと今では毎日張り切って元気に北の森に通っている。
アタシも母さんも、なんだかんだとやる事が多くて忙しく過ごしてはいるけれど、穏やかに毎日は過ぎていた。
それは、決して嫌でもないし苦でもない。
そう───、嫌でもなければ苦でもないのだけれど……、そろそろ、そろそろね。
アタシも周りの同級生の様に恋愛でドキドキする毎日を送りたいなぁ……なんて、思っていたりする今日この頃。
戴冠式から今日までバタバタしていて気付かなかったけれど、気付けば周りにはチラホラとカップルが出来ていて。
少し焦っているアタシは、父さんの葬儀以降ラザールと会っていない事に気が付いた。
……なんとなく、前に言われた言葉を思い出す。
───『大切な友人』もしくは『妹』───。
あの時は彼には恋人がいたし、しょうがない事なのだと思ったけれど……今思えば、アタシはまったくラザールの恋愛対象に入っていないって事なんじゃない!? と、妙に焦って麦の収穫日である事も忘れてラザールの家へと朝から向かった。
噴水通りでラザールの姿を見つけて、ドキリと心臓が跳ねる。
「あ、ラザー……」
声を掛けようとして、一瞬躊躇う自分がいる。
なんとなく……気恥ずかしいのだ。
そのまま躊躇っている間に、ラザールはアタシに気付かないのでどんどん後ろ姿が遠ざかっていく。
いつもの自分からは考えられない程の臆病ぶりに、思わずギュッと頬をつまんだ。
成人してから父さんの葬儀の時には会ったけれど、あれ以来まともに会話という会話をしていないのだ。
そしてその事に気付いて妙にイライラする自分に気付いた。
以前はあんなにラザールと会いたくなくて避けまくっていた癖に、今度は会いに来てくれない事に怒る自分の傲慢さに呆れてしまった。
“ラザールが会いに来てくれない”。
イコール、アタシは彼にとって“恋愛対象外”って事だ。
そう思うと、途端にアタシの闘志に火がついた。
なんだか物凄く悔しくて、ムカムカしてくる。
───こうなったら、
ラザールに恋人が居ない今、絶対にアタシに振り向かせてやる……!
そう意気込んで、アタシは麦の収穫をするべく農場へと向かったのだった。
***
昨年父さんと母さんが育てた麦を、ザクザクと収穫していく。
一段落したところで、親友のキャロラインがクスクス笑いながら声を掛けてきた。
「さすが超ワイルドね。刈り取り方もワイルド」
「ちょっと、仕事が早いって言ってくれる? 冷やかしに来たんなら……あ! ちょっと待って!」
慌てて魔法の鞄に収穫した麦を入れると、ガシッとキャロラインの両腕にしがみ付いた。
「ねぇ! 異性を振り向かせる方法を教えてっ!」
「え、えぇ?? どうしたの、急に?」
驚いたように目をパチクリさせるキャロラインは、成人式の後に速攻で幸運の塔に呼び出されて恋人が出来ていたのだ。その魅惑? というか色気? を伝授願おうと詰め寄ると、キャロラインは暫く考えて……それからアタシの全身を見て、何故かムーグの図書室で料理のレシピでも読んで来いと言った。
なんだか腑に落ちないけれど、しょうがない。
今のアタシじゃ、料理は専ら母さん任せなのだ。確かにこれじゃダメだとムーグの図書室へと転移石で飛ぶ事にした。
***
うーん……、と唸りつつ、ミアラさんに聞いてみようかと振り返ると、オスカルがあたしの後ろに何故か慌てた表情で立っていた。
「あら、オスカル。どうしたの? アンタもレシピ本見に来たの?」
「い、いや、俺は……」
なんだかオスカルの歯切れが悪い。
オスカルはアタシの幼馴染みで弟みたいな存在だ。
学生の頃はよく二人で遊んだりもしたけれど、成人してからは、何故かアタシの顔を見るなり逃げ出すようになった。
そんなに怯えなくたって、パシリに使ったりなんてしないのに。
アタシが首を傾げてオスカルを見ると、オスカルは少しソワソワと落ち着きなく視線を彷徨わせてから、アタシをジッと見つめて、それからゆっくりと口を開いた。
ドキッとして、つい目を見開いた。
二人で……どこかに行く。それは、学生の頃ならば単なる遊びの誘いだったけれど、大人になったら“意味”が違う。
途端に焦って、つい首を横に振ってしまった。
「ご、ごめんっ! アタシ、用事があって……! また今度誘って!?」
アタシの慌てようにオスカルは一瞬視線を伏せると、すぐにまたアタシを見て小さく笑った。
「うん、こっちこそ急にゴメン。……じゃあ、またね」
「う、うん! また!」
ヒラヒラと小さく手を振りつつオスカルを見送った後、ぐるりと回れ右をして思わずその場に頭を抱えてしゃがみ込む。
びっ、びっくりしたぁあああああっ!!!
ドッドッドッドッ、と、心臓が口から飛び出るのではないかというほど早鐘を打つ。
まさか、まさかあのオスカルが……! アタシに告白!? しようとするなんて……!
全然、……全然、気付かなかった。
耳がじわりと熱を持つ。
───……嬉しくないわけじゃ、ない。オスカルの事は好きだ。でも、アタシにとってオスカルは弟のような存在で……。
そこまで考えて、ハッと目を見開いた。
───これって、ラザールがアタシに対して思う気持ちと同じ……なんじゃないの?
さっきまでの勢いとは裏腹に、アタシの胸にドスンと大きな鉛を打ち込まれたように一気に気持ちが沈む。
え、───待って。どうしよう。こういう場合、どうしたらいい……?
悶々と頭を抱えて悩んでいると、オスキツおじさんに伝心で近衛騎士トーナメントの開会式の時間だと、王立闘技場へと呼び出されてしまった。
***
───翌朝になっても、頭の中を同じ思考がグルグルと回っていた。
だって、アタシはオスカルの事は好きだけれど、それは決して恋愛感情ではないと言い切れる。
そしてそれは、ラザールにも同じ事が言えるんじゃないかと思うと、またズドンと大きな鉛が胸に埋め込まれていくのだ。
それでも、このままこうしてウジウジしているのはアタシらしくない。
そう思ったら、自然と足はラザールの家の方へと向かって歩き出していた。
噴水広場まで出ると、噴水通りからこちらに向かって歩いてくるラザールの姿が見えた。
アタシが、あっ、と気付いたのと同時にラザールも顔を上げてこちらを見た。
それだけで心臓がドキリと跳ね上がる。
目が合っただけでコレだなんて、先が思いやられる。
だけどそう思うアタシの意思なんて関係ないように、頬がぶわりと熱を持つ。
子供の頃と比べて想いが伝えられる大人になってしまうと、声ひとつ掛けるのにこんなに緊張してしまうなんてなんとも複雑だ。
アタシがまた、ラザールを前にして躊躇っていると、今日は彼の方からにこやかに声を掛けてきた。
「おはよう、陛下」
「お、おはっ、……よう」
「?」
アタシの緊張ぶりにラザールが不思議そうに小首を傾げたものだから、恥ずかしくなってつい乱暴に先を促した。
「アタシに何か用があるんじゃないの!?」
アタシがツンと顔を晒してそういうと、ラザールは小さく噴き出すように笑ったけれど、すぐにコクリと頷いて言葉を続けた。
(やった!! ラザールから誘って貰えたっ!)
心の中で小さくガッツポーズを決める。
ふふふ、とそれだけで鼻歌でも歌ってしまいそうな程気分が高揚していく。
遺跡の森に着いて、早速ガツガツとキノコをむしりながら───、
───チラリと横目で隣のラザールを盗み見る。
すると丁度目が合ってしまい、ラザールがニコリとアタシに笑いかけた。
それだけで一気に頬が真っ赤に染まる。
もう、もう、無理っ……!! アタシの心臓がドキドキし過ぎてもたないっ!!
………やっぱりここは、女は度胸! 直球勝負よね!!
グッと両手に力を込めて、スクッと立ち上がる。
するとラザールが、アタシにつられて一緒に立ち上がった。
「陛下? どうしたの? もう帰……」
「待って! ゴメンちょっと黙って」
手で制しながらラザールの言葉を遮る。
不思議そうにアタシを見るラザールから少しだけ視線を逸らして、大きく深呼吸をした。
よし、いざ、勝負……!!!
少し、いや大分、声が震えた気がした。
それでも負けじとラザールの目をジッと見つめて返事を待つ。
すると、一瞬驚いたように目を見開いたラザールだったけれど、すぐに申し訳なさそうに眉尻を下げてゆっくりと首を横に振った。
……正直、予想していなかったわけではないけれど。
想像するのと実際に聞かされるのとでは……心に受けるダメージが全然違う───。
あのあと、どうやってラザールと別れたのかハッキリとは覚えていない。
それぐらい、ショックで。
心が真っ黒に塗り潰されていく───。
まだ、ラザールはきっと、───クラリーチェの事を想っている。
そしてきっと、彼にとってアタシは、やっぱり──“恋愛対象外”──なのだ。
***
あれからアタシはショックに押し潰されそうだったけれど、こんな事で諦めるなんてそんなにアタシは柔じゃない。
こうなったら、とことん、アピールしまくってやるんだから!! と、あれから毎日ラザールを何回も誘い続けた。
採取に誘うのは当たり前で、
時には探索に二人で行ったり、
以前キャロラインに聞いて、ムーグの図書室に行った時のレシピで作った料理を手渡したり、
とにかく、アタシはありとあらゆる方法でラザールに毎日アプローチし続けた。
最近では、ラザールが家から出てくるのも待てなくて、家まで押しかける始末……。
正直ガンガン攻め過ぎかな、と心配にはなるけれど、それでもアタシを少しでも意識してもらわなきゃ困るのだ。
だから今日も、朝から朝食を終えるラザールをジッと見守り?つつ、食べ終わったところを見計らってすぐに釣りへと誘い出した。
肩が触れるか触れないかの位置で、二人で並んで釣りをする。
すると、突然ラザールが噴き出しながら笑い出した。
「ふはっ、あははっ! ゴメン、もう、我慢できなくて……ははっ、本当、さすが陛下だなぁ」
急に笑い出すから「何よ!?」と少しむくれて隣を見ると、ラザールが目尻の笑い涙を拭いながら優しく目を細めた。
「いや、今の陛下の行動力を見せつけられたら、小さい殿下が私に説教をするはずだなぁと思って」
「あ、あれは……っ!」
ラザールは、アタシが子供の頃彼に散々恋人を作れと説教していた時の事を言っているのだ。
それでも、さっきのラザールの言葉は、アタシが彼にアプローチしている事に気付いているからこその言葉だ。
そう思ったら途端に、少しでも意識してもらえているって事なんだろうかとドキドキしてくる。
アタシが口籠ったのをきっかけに、なんとなくラザールも黙ってしまったので、触れそうで触れない二人の肩の距離にドキドキが加速する。
何か……言わなきゃ。
そう思うけれど、緊張で喉がカラカラに渇いて中々言葉が出てこない。
それでも、一歩を踏み出さなきゃ、と、意を決して口を開いた。
何度口にしても慣れない言葉。
声どころか、手まで震えている気がするから笑えてくる。
ドキドキし過ぎて、周りの音が何も聞こえない気がした。
───沈黙は、数秒で。
でも、アタシにとってはとても長い時間に感じる沈黙を破ったラザールは、また、ゆっくりと首を横に振った。
───今度こそ、泣きそうだと思った。
ラザールはとても申し訳なさそうに、また、眉尻を下げて悲しそうな顔をする。
「ゴメンね」、そう口にするラザールの方がアタシよりも苦しそうで。
その顔を見るのが辛くて、悲しくて。
……なんで、アタシじゃダメなんだろう、と。
何度も何度も思った。