6.旅立ちと変化と混乱と(ウィルマリア編)
───あの日から……あたしの中には複雑な気持ちが渦巻いていて。
───『情念の炎』───。
噂に聞いて知ってはいたけれど、その“効果”を実際に目にした事がないから、噂を聞いた時は単に好奇心から来る興味しかなかった。
でも、もし、───もしも。
あたしがレノックスに使ってしまったら、彼はどうなってしまうんだろう……?
最近はそんな事ばかりを考えては溜め息を吐く。
すると、お城にフラフラっと遊びに来ては、人の家で勝手に寛いでいく一人の王子が今日もふらりと入って来た。
「やぁウィルマリア、今日も可愛いね。一緒に食事でも行かない?」
父ちゃんとティムによる根回しで、男(しかも親友)しか食事に誘えなくなったアンガスが、ニコリと笑ってダイニングの椅子へと優雅に腰掛ける。それを見て、あたしは盛大な溜息を吐いた。
「父ちゃんとティムに怒られても知らないから。っていうか、今それどころじゃないし」
ツン、と顔を逸らして玄関へと向かおうとするあたしを見て、アンガスが椅子の背もたれに頬杖を付きながら楽しげに笑った。
「なになに、何かあった? オレで良ければいつでも相談にのるよ? 特に恋愛の事なら任せてよ」
アンガスの言葉に、ついチラリと視線を向ける。
ニッコリと楽しげな表情がなんだか胡散臭いけれど、確かに彼は恋愛事には三王子の中でも一番長けてそうだ。
うーん、と一瞬悩んだけれど、ウジウジ悩むのは本来あたしの性に合わない。ならば、と一歩アンガスに近付いた。
その返事に、思わずガックリと肩を落とす。
「……だよね。聞いたあたしがバカだった。アンガスは“特別”を作らないタイプの人だもんね」
「え、ウィルマリア、良くオレの事分かってるね。そうそう、オレにとって女の子は“みんな”特別だからね」
ニッコリと王子様スマイルで笑うアンガスを見て、彼を好きになる女の子は大変だな、と同情の気持ちを抱きつつ、もう一度大きな溜息を吐いた。
***
あれから数日悩み続けていたけれど、結局答えなんて出なくて。
難しい事をいつまでも考えるのが苦手なあたしは、とにかく日々毎日楽しく過ごそう!と、王国中を走り回っては毎日笑って過ごした。勿論、森にオスカルやルシオを引きずっては周回する鍛錬も忘れずに。
オスキツ国王の息子である三王子も、あれからみんな楽しそうに各々王国で過ごしていて、
アンガスは相変わらず女性に声を掛ける事に余念がなく、母ちゃんに声を掛けてはアンテルムに引き摺られ、笑顔を貼り付けた父ちゃんと共に北の森の討伐に駆り出されていたり。
アンテルムは流石騎士なだけあって、父ちゃんやあたしと一緒によく森のモンスター討伐について来てくれたり。
ティムは、物静かでミステリアスな雰囲気とは裏腹にアンガスと女性人気を競える程人気で、特に彼は働き者が多い農場管理官の女性に大人気で、よくラダの乳搾りを手伝っている姿を目にしていた。
……時々、アンガスの空っぽのお財布を見ては、笑顔で有無を言わさずラダの乳搾りにアンガスを連行していたようだけれど。
みんなそれぞれ楽しそうに王国を満喫していて、あたしも嬉しくなった。彼らが王国を去る日はとても寂しく思ったけれど、今度はあたしが遊びに行く約束もして、三王子がこの国から旅立って行くのを笑顔で見送った。
そして────、
─────レノックスは……と、いうと。
彼もまた、どういう心境の変化なのか、あれからあたしによく話しかけて来てくれるようになった。
最初の頃こそ、あたしも上手く笑えなかったけれど、少しずつ……毎日レノックスが何かしらあたしに声を掛けてくれるから。
だから、まだ、胸は少し痛むけれど、それでも自然と笑顔で話が出来るまでにはなったと思う。
前みたいに、とまでは行かないけれど、それでも少しずつあたしの中で、気持ちに変化が生じているような……そんな気がした。
***
それから、着々とあたしが大人になる日は近付いていて。
今年はお菓子を強請る事が出来る最後の年だから、星の日の“仮装”をして王国中の大人にお菓子を強請り歩いた。レノックスにこれでもかという程お菓子を貰ってやったり、ラザールにイムムース限定でお菓子を強請ったり。
そして明日は、四年に一度の白夜の日だ。
あたしは生まれて初めて体験するから今からとっても楽しみで、貰ったお菓子を頰張りながらルンルン気分で幸運の塔へと光の花を探しに向かう。
すると先客がいたようで、ワフ虫と光の花に紛れてラザールが塔の側で月を見上げていた。
相変わらず、恋人がいないラザール。
こういう日こそ、女の子を呼び出して告白でもしたら、雰囲気にのまれて女の子もオッケーしちゃうかもしれないのに、なんて思いながら声を掛けた。
相変わらず、のんびりと穏やかにラザールが笑う。
「ラザール! こういう日こそ、女の子を呼び出しなさいよ! そしたらみんな、雰囲気にのまれてオッケーしちゃうんだから!」
つい仮面を付けている事も忘れて、いつもの調子で腰に手を当てて指摘する。すると、ラザールが楽しそうに声を上げて笑った。
「あははっ! そうだね、そうかもしれない。ご指摘ありがとう、殿下。光星にでもお願いしてみようかな」
「光星?」
初めて聞く言葉にあたしが首を傾げると、ラザールがふわりと優しく笑ってあたしの頭を撫でた。
「四年に一度バグウェルが訪れる白夜にだけ、願いを叶えてくれる光星が空に現れるらしいんだ」
「願いが……叶う……?」
「そう。殿下も何かお願い事をしてみたら?」
───……願いが、叶う───。
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
あたしの────願い……は……?
***
あれからラザールとどうやって別れたのか、どうやって家まで帰って来たのかも曖昧なまま、次の日を迎えていた。
暫く抑えられていたはずの気持ちが、昨日のラザールの言葉で一気に膨れ上がって溢れそうになる。
───あたしは、今でもレノックスが好きだ。
その気持ちに変わりはないけれど、だけど、情念の炎を使う事にも迷いが生まれるような、ハッキリ言ってしまえばそれまでの気持ちでもある。
きっとこれが、誰にも渡したくないって気持ちにまで膨れ上がったら、本物なんだろうな……とも思う。
だからラザールがいう、光星の話は一瞬大きくあたしに迷いを生んだけれど、バグウェルが闘技場に現れる頃には、あたしの願いはほぼ確定していた。
あたしの、願いは───。
***
夕方になっても昼の空がずっと続いている事にワクワクとしながら、あたしは夕一刻に王立闘技場へと駆け込んだ。
ちょうどバグウェルが空から舞い降りてくるところだったようで、あまりの大きさに思わずペタリと観客席で尻餅をついた。
周りの大人が全員立ち上がって大興奮する中、バグウェルがお腹の底に響くような低い声で国王である父ちゃんの言葉を遮る。
あたしはドキドキと手に汗握りながら、父ちゃんとバグウェルのやり取りを見守る。
いつか自分も、この先バグウェルとこうして言葉を交わす日が来るのだ。常日頃ワイルドだの脳筋だの言われているあたしだって、やっぱり怖いものは怖い。だけど父ちゃんは、余裕の笑みを浮かべてバグウェルや勇者に命令を下していた。
いつもは優しいロマンチストな父ちゃんも、こういう時、威厳があってやっぱり王様なんだな、と思う。
この日の試合はバグウェルが勝ってしまったけれど、勇者も負けじとバグウェルを追い詰めていて、最初は怖くて腰が抜けていたあたしも、最後にはいつかはあたしが倒してやりたい!なんて思うまでになっていた。
***
───白夜も無事に過ぎ、楽しい日々はあっという間に過ぎて行く。あたしの成人も、もう目と鼻の先だ。
今朝は朝から雪が降っていて、ワクワクと外に飛び出して父ちゃんに笑いかけた。
バグウェルを前にした時の父ちゃんとのギャップが、なんだかあたしをニヤニヤさせる。
今日も一日楽しい日になれば良いな、なんて思いながら父ちゃんと別れて城下へと駆け出した。
もう少しで学校の授業が始まるな、と道をショートカットしようと幸運の塔へと向かう。
すると、幸運の塔の側に見覚えのある姿を見かけて、声を掛けようとしてあたしの足は立ち止まってしまった。
───……あれって、ラザール……?
と、もう一人は誰だろう……とジッと見つめていると、二人が頬を染めながら楽しそうに笑い合っているのが見えた。
───ドクン、と大きく心臓が波打つ。
なんて言い表せばいいのか分からない、ザワザワとしたよく分からない衝動的な感情があたしの中で渦巻くのが分かる。
───あんなに、……あんなに、
恋人が出来なかったラザールに……恋人が、出来、た……────?
ずっと、ずっと───、恋人が出来る事を応援していたはずなのに、笑って応援していたはずなのに。……それなのに。
どうしてか、今、あたしの心は衝撃で上手く反応さえ出来ない。
どうして? なんで? そう思うのに、あまりの衝撃に自分がどうして動けないのかも分からない。
すると、あたしが見ていた事に気付いたラザールが、嬉しそうにあたしの側までやって来た。
きっと、今まで散々あたしに恋人を作れとドヤされて来ていた分、少し気恥ずかしいのか嬉しさを押し込めた表情でラザールがあたしに声を掛けてくる。
正直混乱で、あたしはおめでとう、というつもりだったのに、上手く表情と口が動かない。
それどころか、なんだか妙な苛立ちさえ感じてしまう。
───その気持ちは、苦しいとさえ感じる程。
自分でも気持ちに頭が追いつかなくて、混乱して訳が分からない。だけど、無性にイライラして、ラザールの言葉に素っ気なく答えてしまった。
途端に、ラザールが寂しそうな顔をした。
そんな顔、させたかった訳じゃないのに。もっと、もっと、おめでとうって、良かったねって、言うはずだったのに────っ。
どうして、どうして、どうして……!?
自分で自分が分からない。
なんだろう、何なんだろう、この気持ちは。
ずっと一人だったラザールに、いつかあたしが誰かを紹介しようと思っていたはずなのに……!
相手の女性は旅人さんだけれど、王国に帰化してくれたら二人は幸せになれる。だから、これで安心って思えるはずなのに───。
──……今、そうは思えない自分がいる。
あたしはすぐ様ラザールとの会話を切り上げると、反射的に相手の女性へと声を掛けていた。
旅人の女性は一瞬驚いた表情をしたけれど、すぐに笑顔であたしの質問に答えたくれた。
この人が───……ラザールの“恋人”。
綺麗な人だと……思った。
色気があって。
優しげな雰囲気で。
守ってあげたくなるような、可愛い雰囲気もある。
全部、全部。
あたしには、ない。
“あたしには”────ない……?
自分の気持ちの混乱で、しばらくあたしはその場を動く事が出来ないでいた───。