12.そろそろ話をしようか。(ウィルマリア編)
────……やってしまった。
これはどう考えても、もう完全にアウトだ。
噴水通りを走り抜けながら、アタシは恥ずかしさと後悔で叫び出しそうになる口を必死に抑えた。
あの様子だと、ラザールには完璧にキスしたことがバレているはずだ。
どうしよう、と青くなる自分もいれば、恋人なんだからと開き直る自分もいる。
……けれど実際は、ラザールに向ける顔がなくて必死に彼から逃げているのが現状だ。
***
昼前までウロウロと王国内を意味もなく彷徨い歩いては、誰かに声をかけられる度にドキリと心臓が跳ね上がる。
ラザールと顔を合わせられなくてウロウロしているくせに、ついどこに行っても彼が居ないか探してしまう。そして彼が居ないことに落胆している自分がいるのだ。
あまりの矛盾ぶりに笑えてくる。
あぁ、もう本当に……自分が情けない。
ラザールには会いたいのに、会ってなにを言われるのかを考えるとどうしても尻込みする自分がいて、情けなさに自ずと視線を足元に落とした。
すると昼を知らせる鐘の音が聞こえてきて、思わずハッと顔を上げる。
───今日は、ラザールとデートの約束をしているんだった……!
どうしよう、と焦りで思わず転移石を握りしめる。
いつもなら迷わず街門広場に飛ぶのだけれど、どうしても今日は躊躇してしまう。
こんな事をしたってどうしようもないのに、アタシは魔法のカバンに転移石をしまうと、代わりにあるものを取り出した。
───馬鹿げてる。そう、思う。……だけど。
アタシは手にした“それ”を、そっと手から離して地面へと落とした。
パリンッ、パリンッ───と、心が痛む音と共に、二つの緑の結晶の破片がキラキラと足元を舞う。
───『時界結晶』───。
それはこのエルネア王国において、ほとんどの人間が使用する事のない時間魔法の結晶。
これを一つ使用すると、一刻の時が勝手に過ぎ去ってしまうからだ。
ただでさえ短い大切な人との時間が、更に短くなってしまうこの魔法。
アタシが使う事なんて、一生ないと思っていた。……はずだったのに。
昼一刻に農場通りに立っていたアタシは、あっという間に周りが夜の刻に包まれている現状にズキリと胸が痛む。
二つの結晶を一気に使って、昼から夜へとアタシだけが時間移動したのだ。
更に自分でラザールへ顔向けできない事をしておきながら、今日のデートをすっぽかしてしまった事に胸が苦しくなる。
………そんな風に思う資格なんて、アタシにはないのに。
明日、どうやってラザールに謝ろう……と、城へ向かうべく俯きながら街門広場へ出ると、
「ウィルマリアさん」
と、聞き慣れた声に名を呼ばれて、アタシは弾かれたように顔を上げ───目を見開いた。
「あ……、ラザー、ル……?」
目の前に立つラザールの姿に、ドクリと心臓が跳ねてぶわりと全身に冷や汗が滲む。
まさか。
まさか、まだ……アタシをここで待っていてくれたの……?
一瞬、頭が真っ白になった。
──……そうだ。
彼はこういう……優しい人だ。
お人好し過ぎて心配になるくらい、優しい……人なのだ。
───それなのに、アタシは……!
申し訳なさと、馬鹿な事をした自分が許せなくて、アタシは慌ててラザールに駆け寄りガバリと頭を下げた。
恐る恐る顔を上げたアタシを見たラザールは、一瞬だけ目を細めてホッとしたような表情をしたけれど、すぐに呆れたように大きな溜息を吐いてゆっくり視線を伏せた。
──呆れられた。嫌われた。
グサリと胸をナイフで刺されたように、心が痛む。
……呆れられて、当然だ。
アタシは彼に、それだけ酷い事をしたのだ。
彼に嫌われても……当然なのだ。
自分が悪いのに。全部自分で撒いた種なのに。
………心が痛くて、息が出来ない。
アタシに背を向けて帰って行く彼の後ろ姿を見て、してもしょうがない後悔を繰り返す。
あの、優しいラザールが。
こんなに怒った姿を、……アタシは初めて見た。
いつもふわりと微笑んでくれる彼が、ニコリともしてくれなかった。
全部自分が悪い。悪いのに……っ。
昨日までの自分を、叩きのめしたいと心底思った。
なにが、ラザールの違う反応がみたい、よ……!
穏やかで優しい彼が一番好きなくせに、こんな風に冷たくされたら、死にそうな程苦しくなるくせに……!
きっとこれは、あんな事を思ってしまったアタシへの罰なのだ。
ボロボロと両目から涙が溢れてくる。
こんな風になってしまうのなら、キスなんて望むんじゃなかった。
アタシはラザールと一緒に居られれば、それだけで幸せだったのに。それ以上を望んでワガママな事を考えてしまった……アタシへの罰。
……だって、悔しかったのだ。いつでもアタシといる時は余裕があって、クラリーチェの時みたいな必死さが感じられなくて。きっとクラリーチェとはキスだってしていたはずなのに、アタシには絶対してくれなくて。
不安……だったのだ。
だけど、不安だからって何をしてもいいって訳ではなくて。
そんな事、分かっていたはずなのに───。
……その日アタシは、夜遅くまで街門広場から動く事が出来なかった。
***
翌朝、泣き過ぎて腫れた目をしているアタシを心配した母さんが、アタシの大好きなイムムースを大量に作ってくれていて思わず笑みが溢れた。
母さんはいつもと変わらない素振りをしてくれるけれど、心配しているのだという気持ちはとても伝わってきて、母さんの優しさにじんわりと心が温かくなる。
いつも通りに二人で朝食を済ませた後、母さんが温かいイム茶を淹れてくれた。
「人生、上手くいく日ばかりじゃないわ。それはみんな同じ。でも、今の自分の幸せの基準を当たり前だと思わずに、少し見直してみるのもまた新たな幸せに繋がるものよ」
と、朗らかに微笑む母さんの言葉で、ハッと気付かされる。
……そうだ。最初は、ラザールがアタシの想いを受け止めてくれるだけで嬉しくて、幸せだったのだ。
それがいつしか想いはどんどん膨らんで、側に居るのが当たり前になっていて、その先に進めない事をアタシは幸せではないと勝手に決めつけていた。
でも、きっと母さんが言っているのはそういう事じゃない。その先を望むのは恋人として当然で、でも、その前の過程を当たり前だと思ってはいけないという事だ。
───そうだ。好きな人と両想いになれるというのは、ある意味奇跡なのだから。
アタシはモヤモヤしていた気持ちが一気に晴れていくような感覚に、自ずと口元が緩むのを感じた。
それにこうやっていつまでも落ち込んでいるのはアタシらしくないし、母さんに心配をかけるなんてガノスから父さんに怒られそうだ。
アタシの取り柄は切り替えの早さと、推進力。
そうと決まれば、アタシはラザールに会いにいくべく一気にイム茶を飲み干した。
***
……とは思ったものの。
やっぱり会いに行く事への緊張感は半端ない。
噴水広場で一度心を落ち着けようと深呼吸をしていると、
「ウィルマリアさん」
と、後方から緊張の原因である人物の声が聞こえてきて、アタシは弾かれたように振り返った。
「ラ、ラザールッ……!」
「おはよう」
「おっおは、よう!! あ、あの! 昨日は本当に、ごめんっ!! あの、アタシ……」
「うん。その事だったらもういいよ。昨日も謝ってくれたんだし、もう気にしないで」
昨日とは違い、ふわりと優しく微笑んでくれたラザールに、涙が出そうな程嬉しくなる。
少し屈んでアタシの目線に顔を合わせたラザールが、柔らかく微笑んでアタシの頭を撫でた。
「まだ朝早いけど、東の森にでも散歩に行こうか?」
コクコクッと何度も頷くアタシを見て、ラザールはふわりと笑いそっとアタシの手を握った。
手を引かれつつ、少し斜め前を歩く彼を見つめて気持ちが溢れそうになる。
───アタシは……この人が改めて好きだと思う。
好きで、好きで、好き過ぎて、困ってしまう程に好きだ。
好きな人と手を繋いで歩く。
それが、こんなに幸せな事だったのだと改めて気付かされる。
しばらく他愛もない話をしていると、あっという間に東の森に着いてしまった。
まだ早朝過ぎて、アタシ達の他には誰も居ない。
それまで普通に話をして歩いていたはずなのに、二人きりという状況と、なんだか森の静けさも相俟って妙に緊張してくる。
ふと、ラザールが昨日の朝のキスの事には一切触れていないことに気が付いた。
昨夜も先程も、デートをすっぽかしてしまった事に気を取られ過ぎて、そうなってしまった原因をすっかり忘れてしまっていたのだ。
途端に、心臓がバクバク鳴り出し頭が混乱してくる。
───あれ? え?? ラザールは、キスには気付いていなかったって事……?
それならそれに越した事はないけれど、確かめる術もなくて胸の鼓動だけが加速していく。
急に昨日の朝の羞恥も襲ってきて、アタシは思わず小走りで先に倒木へと駆け寄った。
「だ、誰も居ないね! やった、キノコ取り放題!」
「うん。朝の森は静かだねー」
アタシの焦りとは正反対の、のんびりしたラザールの声に少しだけホッとする。
アタシのすぐ隣に座ったラザールが、「ウィルマリアさんはキノコ料理は好き?」なんて呑気に聞いてきたので、なんだか構えてしまっていた分肩の力が一気に抜けて声を出して笑ってしまった。
「うん! 好き! ラザールは?」
「私も基本的にはなんでも好きだけど、……ヌメ茸だけは苦手かなー」
「あはは! なんか意外! じゃあ今度ヌメ茸使った料理のレシピがないかウィアラさんに聞いてみようかな〜」
「えー……それはちょっと、私は遠慮したいなぁ」
「ダメでーす! 好き嫌いは許しませーん」
「えぇ……手厳しいなぁ」
クスクス二人で笑いながら採取をしていると、ふとラザールの採取する手が止まっている事に気付いて顔を上げる。
するとラザールが片膝を立てて、その上に頬杖をつきアタシをジッと見ていたのでドキリと心臓が跳ねた。
「ウィルマリアさん」
「……!」
何故だか直感的に、ヤバイ、と思ってしまった。
ラザールから視線を逸らす事が出来なくて、ドクドクと心臓が騒ぐ。
逃げ出したい衝動に駆られるのに、動くことも出来なくて───、
「そろそろ、気になっている事の話をしようか」
───そう、言われた瞬間。
ビシリ、と全身が固まるのが分かった。
いくら脳筋で鈍感なアタシでも流石に分かる。
さっきまでの楽しさは何処へやら。背筋を冷たいものが伝っていく。
……これは、絶対、昨日の朝の話だ───と。