3.心にぽっかり空いた穴(ウィルマリア編)
あれからすぐに収穫祭の日がやって来た。
収穫祭は全ての食物に感謝しなきゃいけない日なのだけれど、あたし達子どもにとったら収穫祭の楽しみは別にあったりもする。
その楽しみのひとつは、収穫祭の日限定のウィアラさんの料理だ。父ちゃん達の会議によってマトラランチかハーベストプレートになるか変わるけれど、どちらも美味しいからあたしは大好きで。
だから今日は、母ちゃんが朝から試合に向けての訓練だとゲーナの森へと向かった為、父ちゃんをデートへと誘ってみた。
あたしの父ちゃんはとっても強くてカッコ良くて、そして優しい。女の子はみんな自分の父ちゃんみたいな人を好きになると聞くけれど、あたしの父ちゃん以上にカッコいいと思える人はいないんじゃないかと本気で思う今日この頃。……まぁ、レノックスは色んな意味であたしにとって特別だけれど。
父ちゃんと酒場に着いて向かい合って座り、今年のマトラランチをウィアラさんに注文する。
丁度時間的に空いていたのか、料理はすぐに出て来たのでウキウキと足を揺らす。すると父ちゃんが、そんなあたしを見て楽しそうに笑った。
それがなんだか少し照れ臭くて、いそいそと目的の占いの包みを開ける。
今日のウィアラさんの料理は特別なメニューというだけじゃなく占いおみくじもついていて、それが楽しみでみんなこぞって酒場にやって来るのだ。
あたしは占いと一緒に導きの蝶が入っていて、父ちゃんは小さな装飾品が入っていたらしく、二人で当たるといいね、と笑い合った。
“おもうだけじゃ、なにもかわらない”かぁ……。
言われてみると当たり前の事だけれど、それが出来ていないからこそみんなもがいているわけで。
この導きの蝶でレノックスに会いに行きなさいって事なのかなぁ、なんて、自分に都合良く解釈すると、父ちゃんと酒場で別れてからオスカル達ともう一つの楽しみである宝探しをする為に、あたしは牧場の方へと走り出した。
***
次の日は、前日の宝探しに夢中になり過ぎて寝坊してしまった。本当は今からでもレノックスに会いに行きたかったけれど、今日は母ちゃんの授業の日だ。遅れたり授業をサボったりなんかしたら怒られるのは目に見えているので、あたしは大急ぎで学校へと向かうことにした。
ふぅ、危ない。ギリギリだ。
母ちゃんにチラリと視線を向けられて、あたしは思わず背筋をピンと伸ばした。
学校で食べるお弁当を大急ぎで口の中に詰め込むと、あたしは昨日の占いで当たった導きの蝶をカバンから取り出す。
昨日は宝探しに夢中でレノックスに会えなかったのだ。勿論、あたしが会いに行かなければレノックスに会える事はない。
そう思うと少しだけ胸がチクリと傷んだけれど、気にしない。
あたしはすぐにレノックスの事を思い浮かべると、同時に幸運の塔の風景が浮かんできて、またか……!と、大慌てで転移石で幸運の塔へと飛ぶ事にした。
幸運の塔に着くと、少しだけ遅かったのかレノックスがレティーシャさんを振っているところだった。
彼女には申し訳ないけれど、思わずホッとする。
───それに。
同級生である仲の良かった彼女でさえ振るなんて、レノックスが中々恋人を作ろうとしないのは、もしかしてあたしの事を待ってくれているから……?
なんて、この間の会話の事なんて忘れて能天気にもついふにゃりとにやけて喜んでしまった。
レノックスに声を掛ける事も忘れて、将来の自分とレノックスの未来をついつい妄想してにやけていると、仲良しのエドワードが少しだけあたしの事を訝しみながら声を掛けてきた。
「殿下……なんか顔が怖いよ」
「や、やぁね! 恋する乙女の顔だったでしょ!」
あたしが憤慨しながら返事をすると、エドワードは小さく小首を傾げつつも気を取り直したように声を掛けて来た。
エドワードはあんなに気が弱そうな顔をしていても実は性格は遊び好きで、子どもから大人含む沢山の女の子に毎日声を掛けているのをあたしは知っている。
将来沢山の女の子を泣かせるプレイボーイになるんじゃないかしら、と心配してしまう友人の一人だ。
旧市街の森へと着いて採取が終わった帰り道、薬師の森で一人採取をしているラザールを見つけた。
多分誰かと採取に来たのだろうけれど、相手は先に帰ったのかラザールのみ一人黙々と採取に勤しんでいる。
……そんな事している暇があったら、女の子の一人や二人、幸運の塔に呼び出せばいいのに。
ふぅ、と気付かれないように小さく溜息を吐いてラザールの肩を背後からツンツン、と突く。
「……ラザール、ご機嫌よう」
「あ、やぁ、殿下。偶然だね、殿下も採取に来たの?」
「………」
「え、あれ? どうかしたの?」
あまりにもほんわかした笑顔で返事をされて、つい眉間にシワが寄りそうになる。
この人……本当にあたしより年上なのよね?
もう一度溜息を吐きたいのを我慢して、カバンからある物を取り出した。
母ちゃんの化粧台からこっそり持ち出したウィムの香りだ。
この香水は巷では少しだけ異性にモテやすくなる……と噂されているのだ。
本当はレノックスに話しかける時用のとっておきとして取って置いたのだけれど、ラザールの婚活の方が大事なので仕方ない。
だけどなんの香水なのか分かっていないラザールは、ほんわかした雰囲気のまま嬉しそうに「ありがとう」と、ふわりとあたしの頭を撫でた。
少しだけ香水の効果なのかドキリとしてしまったあたしは、なんだか悔しくてラザールをキッと見上げると、「色んな女性に声を掛けるのよ!いい!?」と、念押しして踵を返した。
***
翌朝、朝から母ちゃんのおつかいでヤーノ市場まで来ていたあたしは、お小遣いで星空の砂でも買ってレノックスに持って行こうかなぁ、なんてフラワーランドを覗いていると、少しだけソワソワしたオスカルが声を掛けて来た。
ふんふん〜♪と鼻歌交じりで答えたあたしに、何故かオスカルはソワソワしつつ視線を逸らした。
「なーに? オスカル。何かあたしに用事?」
「あ、……えっと、」
どうしたんだろう。
いつもどこか自信なさげなオスカルだけれど、なんだか今日の彼の様子はいつもと全く違う。
「で、殿下! 東の森に虫、とか……探しに行かない!?」
「はぁ? 何言ってんのよ。学校があるんだから午前中は出掛けられるわけないじゃない」
学校がある日は午前中出掛けられないなんて、エルネア王国の学生なら誰でも知っている事だ。
瞬時にオスカルがあたしの気を逸らしたい何かがあるのだとピンと来て、あたしはオスカルに詰め寄った。
「なーに? 何隠してるの? 言わなきゃコチョコチョしちゃうわよ!」
「わっ……ちょっ、やめ、」
慌てたオスカルがヤーノ市場から駆けて行く。
あたしの体力舐めないでよね!と、追い越す勢いで駆け寄りオスカルの腕をガシリと掴むと、彼は観念したのかガクリと項垂れた。
「レ……」
「レ?」
「レノックス、さんが……」
「……!」
オスカルの言葉に、瞬時にあたしはカバンから蝶を取り出した。
言わずもがな、彼を思い浮かべると景色はいつもの通り幸運の塔で。
あたしは焦って滑る手になんとか力を込めて、転移石を握りしめた。
どうしようどうしようどうしよう……っ!!
オスカルの焦りようからして、頭の中には嫌な想像しか浮かばない。
こんな事、何度もあったじゃない……!
きっと今回も、いつものように断ってくれるはず……!
祈るように転移石で飛ぶと、レノックスが幸運の塔へと向かうところだった。
───断って……くれる、よね?
いつもみたいに、申し訳なさそうな顔で、ここから立ち去って……くれるよね?
祈るように二人を見つめる事しか出来ない自分が歯痒くて、スカートの裾をギュッと握りしめた。
───だけど現実は残酷で。
あたしの目の前で嬉しそうに頬を染める二人が見えて、あまりの衝撃に涙も出なかった。
───ずっと、ずっと。
レノックスだけを、想って来たのに────。
小さいあたしには、成すすべも無くて。
幸せそうな二人が、歩いて行くのを見ている事しか出来なかった。
どんなに、───どんなに見つめても。
レノックスがあたしの方を見てくれる事は無くて。
少しだけ彼を追いかけてみたけれど、レノックスが振り向いてくれる事は、───無かった。
***
なんだか一気に何も考えられなくなって、学校が終わってもあたしはただ椅子に座ったまま、ぼーっと時間が経過するのを待っていた。
このまま明日になって、全部夢でしたってなれば良いのに。
……今は外に出たくない。
今外に出て、もし、仲良さげな二人が視界に入ったら。
……あたしはきっと、人目も憚らず泣いてしまうから。
この国の王太子である自覚なんてそんなに無いけれど、やっぱりあたしにだって意地はあるから。
だから、こうして外が暗くなるのをただ待とうと黒板を見つめる。
すると後方から騒がしいルシオの声が聞こえてきて、あたしが無視を決め込んでいると、
何故か彼は、あたしの隣へとドカッと騒々しく腰掛けて来た。
……なんなんだろう。
そっとしておいて欲しいのに。
そう思いつつも、隣で何故かムスッと黙っているルシオが気になって、チラリと隣へと視線を向ける。
思わずルシオの返答に、目を見開いてしまった。
お、お散歩って、あたしの隣に座ってるだけじゃない!それのどこがお散歩なのよ……!と、思わず口にしようとしたら、ルシオがいつものようにニッと笑った。
「お前が大人しいと、なんかつまんねーんだよ。早くいつもの調子に戻れよ」
ルシオの思い掛けない言葉にグッと詰まっていると、涙が溢れそうになって。
あたしはぐっと涙を堪えつつ強気な笑みを彼に向けた。
「明日になったら元に戻るわよ! バーカ!」
だけどこれ以上は堪えられない、とあたしは急いでムーグの図書室へと転移石で飛んだ。
***
ここなら、滅多に人が来ないはず。
そう思ってミアラさんをチラリと見る。
ミアラさんはあたしと目が合うと、黙って微笑んでくれた。
ずーっと昔からこの国の図書館司書をしているミアラさんは、巷ではウィアラさんと二人、この国の妖精なのだと噂されている。
歳をとらなければ、死ぬ事もない。
でも、みんなそれが普通としてこの国で暮らしているのだ。
かく言うあたしも、二人の存在を不思議には思わない王国民の一人なのだけれど。
なんとなく、ミアラさんの側にいると心が落ち着く気がしてホッと息を吐いて肩の力を抜いた。
ミアラさんののんびりした雰囲気は、なんとなく誰かと似ている。
その“誰か”を頭に思い浮かべて、あたしの口元が少し緩んだ。
確かに夏の太陽で外は溶けそうな程に暑い。
だけどここはひんやりしていて過ごしやすいと気付いて、ミアラさんのお言葉に甘えて本でも読もうと本棚へと向かった。
この国の王女たる者、歴史は知っておくべきよね!なんて、勢いつけて本を数冊手に取ってみるも、どれもこれも難しい言葉ばかりでチンプンカンプンだ。お陰で大分気は紛れたけれど、自分の脳筋ぶりにルシオに言い返せないと項垂れてしまった。
はぁ……、と小さく溜息を吐いたところで、背後からトントンと軽く肩を叩かれて振り返ると、そこにはラザールがいて。
少しビックリしつつも、ミアラさんと同じでのんびりした彼の雰囲気に自ずと和む。
この間あたしが指摘した通り、彼は自分で今日も香水をつけてきたようでふんわり良い香りがする。
だけど相変わらず、恋人はまだ出来ていないようで少しだけ残念に思ってしまった。
一通り挨拶を済ませると、何故かラザールが少しだけ目を泳がせた。
どうしたんだろう?と、小首を傾げて彼を見ていると、コホン、と咳払いを一つして、その後少し慌てたように自分のカバンをガサゴソと漁り始めた。
不思議に思って彼をジッと見つめていると、急に真面目な顔つきになって、サッと目の前に何かを突き出して来た。
あまりにも予想外の言葉に、思わず一瞬ポカンとしてしまう。
でもすぐに彼が照れ臭そうに視線を逸らしたので、あたしはサッと香水の瓶を受け取った。
まだ子どもが香水を使っちゃいけない事をラザールは知らないのか、香水をつけてもいないのに焦ったように先走って似合っているなんて言ってくる。
そんな彼も、あたしがレノックスを追いかけている事を知っていたので、慰めてくれているつもりなんだろう。
そんな彼の様子がおかしくて、ふんわりと温かくて、あたしは思わず吹き出すように笑ってしまった。
───……そうしたら、なんだか少しだけ心にぽっかり空いた穴が、塞がったような気がした。