18.新しい命(シャノン編)
─────翌朝。
眼が覚めると既に隣に陛下の姿は無くて、慌ててベッドから飛び起きた。
だけど同時にハッとして自分の服を見下ろす。
……良かった、ちゃんと服を着てる。
そこまで思ってまたハッとする。
昨日のアレは夢!?と、少しだけ服の胸元を持ち上げてチラリと覗くと、自分の胸にいくつもの紅い花が散りばめられている。そしてそれは、全て上手く服に隠れる部分となっていて、慌てて服を元の位置に戻した。
……夢じゃ、なかった。
私は昨日、陛下と──……。
昨夜を思い出して、ぶわりと顔が熱くなる。
だけど同時に、自分で服を着た記憶が全くない事に青褪めた。居室には私と陛下しか居ないのだ。自ずと誰が着せてくれたのかを考えると、一気に頬が上気する。
するとキッチンの方からガタッと小さい物音が聞こえて来たので、私は恥ずかしさを押し込めて慌ててダイニングの方へと向かった。
ダイニングに入るとキッチンに立つ陛下の後ろ姿が目に入って、思わず恥ずかしさに立ち止まってしまう。
一人暮らしが長かった陛下は、私なんかよりも断然料理が上手だ。
緊張と恥ずかしさから陛下に声を掛ける事が出来なくて、最初は後ろから背伸びをしつつそっと陛下の手元を覗き込んでいたけれど、身長差で中々手元が見えない。
意を決して、そっと陛下の服の裾を掴む。
少しだけ驚いた様子の陛下が、ゆっくり振り返ってふわりと笑った。
「おはよう、シャノンさん」
「お、おはよぅ……ございます」
みるみるうちに顔が真っ赤に染まっていく私を陛下は目を細めて見つめながら、とても大事なものに触れるかのように私の頭をふわりと撫でた。
嬉しさと愛しさで胸がぎゅっと疼く。
恥ずかしくて赤くなったのを誤魔化したくて、平静を装いつつ首を傾げて見せた。
すると続け様陛下が「シャノンさんは何が食べたい?」と、甘く微笑みながら私の頬にそっと手を添えてきた。
朝からとても空気が甘くて、ドキドキと胸が高鳴る。でも恥ずかしいけれど嫌ではなくて。幸せだなぁと思いながら「陛下が作ってくれるものなら何でも」と、はにかみながら微笑み返した。
***
あれから朝食を終えて、陛下は瘴気の森の視察へと出掛けて行ったので私も畑仕事に向かった。
ギート麦の収穫祭も無事終わったので、せっせと畑の水撒きに精を出す。野菜の収穫まであと少しかなぁ、と口元を緩めつつ来年は農場管理官を目指してみようかな、なんて思う。陛下の奥さんとして、恥ずかしくない働きをしたい。
屈んで植物を愛でていると、ポンポンと頭を撫でられた。
「頑張ってるね。お疲れ様」
その声を辿るように反射的に顔を上げると、優しく目を細める陛下と目が合った。
陛下がそこにいると思うだけで嬉しくて、思わず抱きつきたくなってしまう。なんだろう、陛下と今まで以上に『距離』が近くなった事で、自分の『好き』が溢れて止まらなくなる。
この人の為なら何だってしたい。
そう今まで以上に強く思う自分に、人を愛するってこういう事なんだろうなぁと改めて思う。
立ち上がってスカートの土埃を払った。
「視察はどうでしたか?」
私の問いに陛下は穏やかな表情で微笑み、今のところは大丈夫そうだと頷いた。その陛下の笑みに私も安堵する。
視察が終わったという事は、陛下は今度はどこに向かうんだろう、とチラリと視線を向けてみる。
この国の王である陛下はいつも忙しい人だから、視察や会議、催事などに引っ張りだこだ。わがままを言うならば、たまには一緒に出掛けたりしたいなぁなんて思うけれど、陛下に無理をさせてまでそんな事はしたくない。それにこうして陛下が時間の合間に会いに来てくれる、それだけで十分幸せだ。
すると陛下が、少し口の端を持ち上げて上目遣いで私の顔を覗き込んで来た。
突然の陛下の誘いに、目をパチパチと瞬かせながら陛下を見つめ返す。
結婚してから、こうして誘ってもらえたのは初めてかもしれない。嬉しくて勢いで頷きそうになりつつも、無理をさせてしまっていないだろうかと不安になる。
だけどそんな私の思考はお見通しとでも言うように、陛下が私の手をサッと握って繋いでいる手を持ち上げた。
「心配しなくても、今日の分の仕事はほぼ終わってる。それにいくら国王といえど、僕にも妻と出掛ける時間を貰う権利くらいはあるからね」
陛下に自分の事を『妻』と言われただけで頬がジワリと熱くなる。私が小さくコクンと頷くと、陛下が目を細めて甘く微笑んだ。
***
それからは時々陛下がデートに誘ってくれたり、私が誘ったりでゆっくりと数日が過ぎて。
二人きりの時の陛下は常に甘くて、何回一緒に出掛けてもいまだに慣れる事なくいつもドキドキと緊張してしまう。
夫婦になってからも、こうして一緒に出掛けられる事が嬉しくて。
──……そして夫婦になった今でも、こうして毎回ドキドキしてしまう私は、やっぱりいまだに陛下に恋しているのだと実感する。
***
今日の畑仕事も一段落して、自分のお腹を優しく撫でる。同時に陛下の顔が脳裏に浮かんで口元が緩んだ。今朝、気付いたばかりでまだ陛下には何も伝えていない。今朝は陛下が忙しそうにバタバタしていたのもあるからだ。
そういえば陛下は今日は午後から会議だと言っていた事を思い出した。
常に一緒にいて甘い陛下も大好きだけれど、仕事をしている時の陛下も格段にカッコいい。
一緒にいる時とは少し雰囲気が違ってキリッとした表情の陛下がふと見たくなって、遠くから見るだけなら良いよね、と評議会堂へと向かう事にした。
会議は既に始まっていたようで、議員の人達が意見を述べている声が聞こえてくる。
子供の頃、ママの会議の様子を見たくてそっと中に入った事を思い出して口元が緩む。
そういえば、ママも現在騎士隊長だし会議に参加しているはず……と、講堂の中にそっと入り込むと、目の前に飛び込んできた光景に一瞬息を飲んだ。
いつものように議員として席についているものとばかり思っていたママが、陛下の側でまるで陛下を支えるように議会を進行している。
二人が並んでいる姿に、チクリと胸が痛んだ。
なんでもない。仕事で一緒にいるだけだ。あのママの位置からしてママは議長になったんだ。
……そう頭では理解しているのに。二人が並んで仕事をしている姿から目が逸らせなくて、どうしようもない焦燥感に駆られる。
お腹を優しく撫でて、こんなネガティブな自分はダメだよね、と心の中で話しかけつつ窓の外へと視線を向けた。
二人はなんでもないのだと分かっていても、やっぱり二人並ぶと息が合っていてお似合いのように見えて悔しい。
後方から、陛下の議員へ向けた凛とした声が講堂に響いた。
そろそろ会議も終わるのかもしれない。そう思っても、ジッと見つめる窓の外から視線を動かす事が出来なくて、ぼんやりと外を眺め続けた。
どのくらいそうしていたのかは分からないけれど、不意に後ろから誰かが近づく足音がしてハッとする。
慌てて振り返ると陛下がいて、既に会議は終わっていたようで周りには陛下以外誰も居なくなっていた。
慌てて言葉を発しようとするも、陛下にジッと見つめられると頭が真っ白になって思わず口を噤んでしまう。
会議の見学に来たらいけないという決まりはないから怒られはしないだろうけれど、なんとなく気まずい。さっきまで隣にいたしっかり者のママを見た後に私を見て、親子でもこうも違うのかと残念がられていたらどうしよう。
何故か陛下が黙って見つめていたので余計に不安が募る。
けれどその私の不安を拭い去るように、陛下がふわりと笑った。
ドキリ、と心臓が跳ねた。
今の自分の不安を見透かされているようで、陛下に気を遣わせてしまう自分が情けなくて申し訳なさが募る。
いつまでも、こんな風に二人に不安を覚える自分が情けない。だけど陛下の誘いは嬉しくて、私はキュッと下唇を少し噛んではコクリと頷いた。
***
陛下が連れて来てくれたのは、花の咲き誇るニヴの丘だった。
丘に着くなり手を握ってくれた陛下は、私の顔を隣から覗き込むように見てふわりと甘く微笑み前に向き直った。
そんな陛下の行動一つで、単純な私は嬉しくて頬がジワリと熱くなる。
しばらく黙って景色を見ていると、陛下が隣でふと小さく笑った。
ニヴの丘についても黙ったままの私を気遣ってか、陛下が穏やかにそう言ってまた小さく笑った。
陛下に呆れられてしまうのは怖い。ママと比べられてしまうかもしれないと思うのも怖い。だけど、自分の今の気持ちはしっかり伝えたいと思う。
「──……私は、陛下が大好きです。どんな陛下も、大好きです」
何の脈絡もなく、前を向いたままの突然の告白に驚いたように陛下はこっちを見たけれど、すぐに小さく吹き出すように笑ったかと思ったら私の頭を撫でつつ大きく頷いた。
「うん。知ってる」
そのあまりに直球な返しに思わず陛下の方を見ると、目尻が薄っすら赤くなっている陛下と目が合った。
「小さかった君が、いつも必死に僕の後を追ってくれていた事も、知ってる」
あの頃の自分の行動がバレていると分かってはいても、改めて言葉にされるとやっぱり恥ずかしくて。
そっと視線を逸らそうとすると、右頬に手を添えられてクイッと優しく陛下に顔の位置を戻された。
「……小さな君も、大きくなった君も。全部。どんなシャノンさんでも、この先ずっと愛していると誓おう」
目を細めて愛おしそうにこちらを見つめる陛下の瞳に、吸い込まれてしまうのではないかと思う程意識を奪われる。
───幼い自分は嫌。大人の女性になりたい。物分かりの良い奥さんになりたい───。
そう、思うけれど。
……思っていた、けれど。
きっとそれは『今』の私が私で無くなるという事。
色んな感情や色んな経験を経て、『今』の私がある。だから私は今のままで良いんだよ、今の私が良いんだよって、そう、陛下に言ってもらえている気がして心がふんわり温かくなる。
勿論、我慢するべきところはしなければいけないけれど、こうして包み隠さず自分の心を曝け出したら陛下はこうして応えてくれるから。
だから何でもないのだとママとの関係を否定されるよりも、私の心に強く響いて触れてくる。
陛下の今の言葉で、私の不安は全て消し飛んだ。
知らぬ間に流れていた涙は、陛下の指先へと拭われて消えていく。
私の目を見て陛下は穏やかにそう微笑むと、ふわりと触れるだけのキスをしてくれた。
***
その後陛下と居室まで戻り、鎧やマントを外す陛下の側でついモジモジしてしまう。
陛下はどんな反応をするだろうと、少しだけ不安もあるけれどやっぱり早目に伝えたくて、ぎゅっと陛下の服の裾を勢いよく掴んでしまった。
「え、わっ!……シャノンさん?」
急に服を引っ張られた事で不思議そうに首を傾げて振り向いた陛下に、ドキドキと心臓は加速する。
キュッと手のひらに力を込めて握りしめた。
陛下が心配した表情で見つめ返してくるので、少しだけ怯んでしまう。
だけど、今、伝えなきゃ……!
いざ口にしようとするとなんだか恥ずかしくて、勢いよく両手で顔を覆ってしまった。
私の言葉に、陛下は一瞬状況が読み込めないというように目を瞠って固まっていたけれど、すぐ様嬉しそうにそして少し早とちりな内容の言葉を矢継ぎ早に紡ぐ。
だけど徐々に状況を理解し始めたのか、私をふわりと優しく抱きしめた。
「すまない、……あまりにも嬉しくて。あまり力は込めないから」
そういって陛下は私を優しく両腕で包み込む。
その気遣いが嬉しいやらなんだか可笑しいやらで、私は小さく吹き出した。
「……強く抱きしめても平気ですよ?エルネア王国の女性には、赤ちゃんを守る魔法がお腹にかけられていますから」
そういってお腹を小さく撫でると、そっと私を離した陛下も、愛おしそうに私の手の上からお腹を撫でた。
新しい命に、優しく語りかけるように───。