17.夫婦ケンカと本音(シャノン編)
私の手を引いて歩きだしてからは、何故か陛下はずっと無言で。
その理由をいくら考えても、私のこの格好が原因だとしか思えない。
……そんなに、変だったのかな……。
いや、違う。
きっとあまりにも、王妃としての自覚が足りない格好だったからだ。
……慣れない事なんて、するんじゃなかった。
陛下に手を引かれ歩きながら、後悔という名の波が怒涛のように押し寄せてくる。
だけど同時に、拗ねた心も顔を出す。
陛下に、……見て欲しかっただけなのに。
それなのに陛下は、私の服装には一言も触れないどころか、多分ほとんど見てくれてもいない。
居室に着くと、陛下は小さく溜息をついて私の手を離した。そして振り返りもせず、自分のマントや鎧を外していく。
陛下がこんなに不機嫌なのは初めてで、どうしたらいいのか分からなくてついオロオロしてしまう。
「あ、あの……、陛下……?」
「……」
私の問い掛けに、陛下は無言で視線を向けてそしてすぐに逸らした。
「……着替えてくるように」
その陛下の言葉を聞いた瞬間、一気に冷や水を浴びせられたかのように自分の体温が下がって行くのが分かった。けれど同時に、ジワリと目の淵に涙が溜まり、悲しさと悔しさ、そして怒りが沸々と湧いてくる。
いつもの自分だったら、絶対に陛下に言い返す事なく着替えて来ていただろう。
けれど今日は。
自分でもコントロール出来ないくらい、怒りが増して来て抑える事が出来ない。
「……どうしてですか?どうして着替えて来なくちゃいけないんですか?」
「……どうしてって、……理由を言わなきゃ分からない?」
私の反抗的な態度に、陛下は一瞬驚いた様子だったけれど、すぐに呆れた表情で小さく溜息を吐いた。
陛下に対してこんな好戦的な態度を取ったのは初めてで、だけどこんなに不機嫌な陛下も初めてだ。
「わ、私は……!陛下に見て欲しくて……!」
「……へぇ?僕に?それにしては、みんなの注目の的になっていたようだが」
「そ、それはっ、だって、陛下は遺跡の中だったし、早く、見せたくて……それで……」
「前にも似たような事を言ったはずだ。君はあまりにも異性の目を気にしなさ過ぎる」
「い、異性の目って……、わ、私はっそんなつもりじゃっ、」
「ほら、それだ。君にそのつもりは無くても、周りは違う。周りにどんな風に見られていたのか、気付いていなかったのか?」
「……っ」
陛下と押し問答の末、ジェイミーさんの言葉が脳裏を過った。
きっと、陛下の言葉が正しいのだ。
だけど私は、ただ陛下に早く見て欲しかっただけなのにという気持ちが強くて、どうしても素直に謝ろうとは思えずに押し黙った。
しばらく部屋には鉛のような重い空気が立ち込め、その重苦しい沈黙を破るように陛下が小さく溜息を吐きながらベッドに腰掛けた。
ズキリ、と胸が痛んで目に涙が滲む。
───……ただ、見て欲しかっただけなのに。
陛下が喜ぶんじゃないかって、少しは色っぽく見えるんじゃないかって、そしたら陛下もその気になってくれるんじゃないかって───。
どうして……こうなっちゃうんだろう。
ドレスの裾をギュッと握りしめ、涙が溢れそうになるのを必死に堪える。
ベッドにそのまま横になる陛下を見て、
……今日はもう、一人で寝よう。
と、無言で隣の部屋へと移った。
鏡の中に映る自分の姿を、ジッと見つめる。
夫婦として、陛下と仲良くしたいだけだったのになぁと思うと、ポロポロと涙が頬を伝った。
ただ、ただ、……悲しくて。
陛下に見てもらえないなら、こんな格好していたって何にもならない。
服の袖で涙を拭いながら、いつもの服へと着替えた。
ゆっくりベッドに腰掛けて、細く長い溜息を吐く。
───……同じ家の中に、いるのに。隣の部屋には陛下が……いるのに。
一人で眠る寂しさに、気持ちは重く沈んでいく一方で。
だけどこんな風にケンカをしてしまった手前、今更隣に眠るのは気まずくて。
それこそ、私が寝た事によってベッドを移られでもしたら立ち直れない。
自業自得とは言え、寂しくて目に涙が溜まる。
……明日の朝には、やっぱりちゃんと謝ろう。
そう思いながら、そっとベッドに横になった。
陛下と一緒に寝たのは昨日が初めてだったはずなのに、一人で眠るのが既にこんなに寂しいと思うなんて───。
枕にグッと顔を押し付けて、無理やり目を閉じた。
だけど中々眠る事なんて出来なくて、寝返りを打とうとしてコツリ───、と聞こえた物音に、思わず動きを止めて耳を澄ませた。
静かにだけど、こちらに近付いてくる足音がする。
目を開けようかどうしようか迷ったけれど、なんとなくそのまま寝たふりを決め込む事にした。
すると近くまで来た足音は私の側でピタリと止まると、しばらくこちらの様子を窺っていたのか、不意に温かい手が額に少し触れ、そのままふわりと髪を優しく撫でられた。
───……この、優しくて温かい手は、紛れもなく陛下だ───。
ドキドキと、全身が心臓になってしまったかのように鼓動が煩くて。
最初に寝たふりを通したばかりに、今更目を開ける事も出来なくて、必死にすぐ側にいる陛下の気配に集中する。
本当は、今すぐにでも目を開けて抱きつきたいと思ったけれど、緊張で中々目を開けられそうにない。すると、ふっと髪を撫でていた手が離れてしまった。
……どうしようっ……陛下が行っちゃう!
今度こそ意を決して目を開けようとすると、私の眠るベッドの足元がギシ───、と小さくスプリングが軋む音がしたので、ドキッと心臓が飛び跳ねそのまま更にギュッと強く目をつぶってしまった。
え? え!? 嘘……!?
混乱して胸がドキドキ煩い中、陛下が私の隣に横になるのがベッドの沈みで分かる。
陛下がわざわざベッドを移ってまで、私の隣に寝てくれた事がどうしようもなく嬉しくて。
緊張で心臓の音が一際大きくなる中、どのタイミングで陛下の方を向こうかと必死に思考を巡らせていると───、
「──……さっきは、言い過ぎた。すまない」
と、陛下が静かな空間に溶け込むようにポツリと言った。
ドキドキと心臓はいつになく煩くて、だけど同時に瞼の裏にジワリと涙が広がるのも分かって。
私は堪らずそっと目を開けて、恐る恐る身体を動かし陛下の方を振り向く。
「………陛、下、」
声が震える。
なんと答えるのが正解なのか分からなくて言葉に詰まっていると、衣擦れの音と共に陛下も私の方へと体の向きを変えて、小さく両手を広げふわりと優しく笑った。
「……おいで、シャノン」
陛下のその言葉でついに私の涙腺は崩壊し、陛下の腕の中へと勢いよく飛び込む。
「ごっ、ごめんなさい……っ、ごめんなさいっ陛下っ……」
陛下の胸に顔を埋めながら、ぎゅっと陛下の服を握りしめて抱きついた。
すると陛下が、私を緩く抱きしめてくれながら、ポンポンと宥めるように優しく一定のリズムで背中に触れる。
「……いや、僕が狭量過ぎるのがいけないんだ。自分でもあまりの余裕のなさに……驚いた」
少し自嘲気味な声のトーンが気になって、そっと顔を上げて陛下を見ると、ふと力無さげに笑った陛下が額をコツリとくっつけて来た。
陛下の顔があまりにも近過ぎて、緊張で呼吸が上手く出来ないどころか涙も一気に引っ込む。
「僕は……君が思っている程、出来た大人じゃないんだ。国王なんて立場にいても、……好きな人を常に独占したいという欲にまみれている」
つい、驚きで目を見開く。
すると陛下は、目を細めて小さく笑った。
「そうじゃないかと思った。シャノンさんは大方、僕が怒っていたのは、服装が王妃らしくないだとかそんな理由だと思っていたんだろう?」
「……え、あの、違うんですか?だから着替えてって……」
「違う。……今、言ったのが本音で、全て。僕は君を常に独占したいと思っているし、他の異性にシャノンさんの肌を見せるなんて言語道断」
陛下の予想だにしない言葉に、ジワリ、と一気に熱が顔に集まるのが分かる。
「え、あの、」
「妻のあんな格好を自分以外の男に晒されて、穏やかでいられる男はいないと思うが」
陛下が私から額を離して、至近距離で目を細めながら私の両頬をふにっと軽く摘んで笑った。
「ご、ごめんなふぁい……」
陛下の想いが聞けて、嬉し過ぎてつい気も緩んでしまっていたけれど、更に頬を摘まれているからか上手く言葉が紡げなくて、間の抜けたような謝罪に陛下がクッと笑った。
「そうだな……じゃあ、シャノンさんからのキスで今回は仲直りとしよう」
「……っ!?」
まさかの発言に、思わず目を見開いて固まる。
すると陛下は楽しそうに私から手を離して、すぐに仰向けになって目を閉じた。
「え、あの、陛下……?」
「さぁ、どうぞ」
「えっ!?や、あのっ、」
「ほら、早く」
慌てて陛下は本気なんだろうかとジッと見つめるも、目を閉じたまま口元だけが少し楽しそうで。
真意が掴めないと思いつつもつい口元をジッと凝視してしまい、ブワッ、と効果音でも付きそうなくらい顔が一気に真っ赤に染まる。
……自分から抱きついた事はあっても、キスだなんてそんなハードルが高い事はまだ一度もない。
だって、いまだに陛下にされるキスでさえ心臓が止まってしまいそうな程ドキドキするのに……!
そう思いつつも、だけど……と、すぐ隣で目を瞑る陛下をチラリと見て、衝動的に触れたいと思っては目を逸らす。
───……触れたいし、触れてほしいとも思う───。
もう一度、視線をそっと陛下へと向ける。
指の先まで心臓になっているんじゃないかってくらいドキドキして、心音と共に揺れてさえいる気がしたけれど、触れたい衝動には敵わなくてその手をそのまま陛下の頬へとそっと伸ばした。
それでもまだ、陛下は目を閉じたままで。
自分の心臓の音だけが耳に響く中、ゆっくり顔を近づけ目を閉じて───ほんの少し掠める程度にそっと唇を付けた。
それだけで、一気に自分の中が喜びで満たされていく。
達成感による喜びと、陛下に触れられた嬉しさでそのまま顔を離そうとするも───、グッと後頭部と背中に手を回されて、あっ、と思った時には既に視界が反転していた。
「……っ陛、」
「可愛いとは思うが、これではいつまで経ってもキスより先には進めそうにないな」
「……っ!」
「……大丈夫だ。無理には進めない。ただ、キスの仕方はもう少し覚えようか」
仰向けになる私の上で、覆いかぶさるように見下ろす陛下がそう言って少し意地悪く笑う。
だけど私は、今にも壊れそうな程鳴り響く心臓を更にドキドキとさせながら、近付く陛下の口元を両手で必死に塞いだ。
「……」
「……」
「……シャノンさん、この手の意味は?」
「あ、あのっ、私っ……、」
緊張とドキドキで、手も声も震える。
だけど“今”伝えなければ、と必死に言葉を紡ぎ出す。
「わ、私……は、その、そのさ、先を、の、のぞ、望んでいま、す……?」
「……」
「あ、あれ?なんか私、今、言い方を間違っ……」
一瞬私の真上で陛下がポカンとした表情をしたかと思ったら、今度は突然勢いよく顔を背けて吹き出した。
「ぶっ、クククッ、あははっ!」
「……!」
急に吹き出した陛下に驚いて今度は私がポカンとしていると、「すまない」と笑い涙を拭いながら陛下が目を細めて愛おしそうに私の左頬に手で触れてきた。
「はぁー……もう、なんだこの可愛い生き物は」
「……いっ、いきも……!」
恥ずかしくて反射的に言い返そうと口を開くと、その言葉の先を陛下の唇で塞がれた。
……陛下とはこれまで何度もキスして来たけれど、やっぱり私はいまだに慣れずにドキドキしてしまう。だけど、言葉で伝えきれない感情まで唇を通して伝えられる気がして、陛下の首の後ろへと腕を伸ばしてぎゅっと抱きついた。そうする事で、更にキスが深くなる。
──好き。
好き、好き、───陛下が大好き。
どうしたら、この言葉に出来ないもどかしい想いまで伝える事が出来るんだろう。
深く繋がる唇は、溺れてしまったかのように貪欲に陛下を求める。絡め取られる舌が心地良くて、もっと、もっとと深くなる。
だけどそれも、陛下が唇を離してしまった事で終わりを告げた。
「……今日はここまで」
そう言って離れようとする陛下の手を、夢中でぎゅっと掴んだ。
まだ、もっと───。
もっと、陛下に触れていたいし、触れて欲しい。
そう、想いを込めて陛下を見つめる。
陛下も視線を伏せるようにして上から私をじっと見つめ返していて、その伏せられた睫毛の長さにどうしようもなく色気を感じて胸が高鳴った。
「……途中で、止める事は出来ないと思う」
それでもいいか?──そう、問われている気がして。
私は掴んだ陛下の手に、自分の指を絡めてゆっくり頷いた────。