16.『好き』のその先は(シャノン編)
いつもは厳かな雰囲気の神殿も、結婚式ともなると人々のざわめきであちらこちらから話し声が聞こえてくる。
いよいよ、今から結婚式。
陛下と二人、静かに神殿の入り口に立つも、先程から緊張で何度も深呼吸を繰り返してしまう。
すると頭をふわりと優しく撫でられたので見上げると、眩しそうに目を細めて微笑む陛下と目が合った。つられて自ずと私の唇もふわりと弧を描く。
昨日まであんなに不安だった自分が、嘘のように今は心から幸せだと思える。
───長い、長い、私の片想いが……今、夫婦という形で結ばれる。
神官様の声にビクリと一瞬肩を揺らして、陛下と共に祭壇の前へと進む。
私達が入って来たと同時に、少しだけ騒ついていた神殿の中が一気に静まり返った。
その中には親友のフィービーちゃんや、多くの友人達の姿も見えて。嬉しさと緊張で少し固まった脚を、必死に前へと出して動かした。
神官様の穏やかな声だけが響く中、誓いの言葉を二人で立てる。
陛下の凛とした良く通る声に、心が震えて目に涙が滲んだ。
同時に、昔の思い出が脳裏を過って……、
……胸が、幸せで満たされていく。
本当に、本当に、……私は陛下の「お嫁さん」になれたのだ。今にも涙が溢れて来そうな私に、陛下が優しく笑って囁くように言った。
────どんなに、この瞬間を夢見たか分からない。
……ずっと、ずっと小さな頃から陛下の事だけを見てきた。誰よりも陛下のそばに居たいと、陛下を支えられる存在になりたいと、願って来た。
それが今、現実になったのだと思うと、必死に堪えていた涙がやっぱりポロポロと溢れて来て。
私は嗚咽を漏らさないように、必死にコクコクと頷き陛下を見上げて腕を伸ばした。
───リーン、ゴーン……と、王国中に幸せな鐘の音が響き渡る。
今日から私は、「シャノン・テルジェフ」ではなくて、「シャノン・ガイダル」だ────。
***
あれからみんなに囲まれ祝福の声を掛けて貰いながら、陛下と二人で『二人の』居室へと戻って来た。
今日から私が帰る場所も、陛下と同じ。
そう思うと、ワクワクするような、ドキドキするような、落ち着かない気持ちで部屋中を意味もなく歩き回ってしまう。
そこに「シャノンさん」と陛下に声を掛けられて、ビクッと大袈裟な程肩を上げてしまい、「はぃ!?」と返事をする声がつい裏返った。
「ははっ。緊張し過ぎ。そんなに怯えなくても、誰もいきなり取って食べたりはしないよ」
「……は、はぃ……」
陛下の後ろに見えるベッドをチラリと見て、ジワリと頬が熱くなる。
……は、恥ずかしい。
これでは“そういう事”を私が想像して、ソワソワしていたのがバレバレだ。
勿論、陛下と“そういう事”をしたくないわけじゃない。でも、まだ流石に昼間という事もあって、心の準備が出来ていない。
いや、でも、陛下に誘われれば昼間でも……。
そんなふしだらな事を考えていると、ポン、と頭を急に撫でられて、またビクッと過剰に反応してしまった。
「……ハーブでも、摘みに行こうか?」
私の反応に少し遠慮がちに、でも陛下は柔らかく微笑んで小首を傾げた。
気を遣わせてしまったと思ったけれど、陛下のその言葉に思わず安堵の表情を浮かべて頷いてしまった。
……うん。夜はまだまだ先なのだ。その間にしっかりと心構えをしておこう。
そう思いなおして、私は陛下の後を追って居室を出た。
***
二人で夕食を終えると、さっきまでは饒舌だったにもかかわらず、途端に緊張に襲われて口を噤んでしまう。陛下は元々そんなにお喋りというわけではなかったので、黙っていても普通だけれど私の態度は明らかにバレバレだろう。
徐に陛下がテーブルに頬杖をついて、私の方をチラリと見た。
その視線に気付いて、ジワリと耳まで熱くなる。
すると陛下が、ガタリ──と椅子を引いて立ち上がったので、いよいよか……!と思わず目を泳がせてしまった。
だけど一人ソワソワする私の頭を、陛下はポンと一撫ですると「おやすみ」と言ってすぐに離れて行ってしまう。
……え?え?……あれ??寝ちゃうの……!?
一瞬呆気にとられて動けずにいたけれど、すぐに慌てて私も立ち上がった。
「陛、あ……ワ、」
なんとか恥ずかしさを押し込めて、陛下を引き止める。
自分から誘うなんてはしたないと思うけれど、今日はなんといっても新婚初夜だ。それに陛下は、怯えてしまっていた私に気を遣って、何もしてこないだけなのかもしれない。
緊張はするけれど、どうしてももう少し一緒にいたい事を伝えたくて、視線を彷徨わせつつスカートの裾をギュッと握った。
だけど勇気を総動員しても、恥ずかしい事に変わりはなくて、陛下の視線に耐え切れなくなり両手で顔を覆ってしまった。
言ってしまった後に、しまった……!と沸騰したように体温が一気に上がる。
いくらなんでも直接的に言い過ぎた……!
そうじゃなくてっ!と言おうとして、でも結果的にはそういう事なのだと思うと、中々次に繋ぐ言葉が出てこなくて焦る。
すると、陛下は一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐに苦笑いを零して私の頭をポンポンと優しく撫でた。
そう言われた瞬間、なんとか返事を返しつつも頭の中が真っ白になった。
陛下の言葉に、言い様のないショックを覚える。
……これって、断られた……って、事、だよね……?
呆然と固まる私の頭を陛下は優しく引き寄せると、額にふわりとキスを落として柔らかく微笑んだ。
「焦らなくていい」
ドキリと心臓が跳ねて、でも同時にきゅうっと胸が苦しくなった。
緊張をしているのは確かだけれど、私は陛下に触れたいと思うし……触れてほしいとも思う。
けど、その想いはどう伝えれば伝わるのかが分からなくて、もどかしい感情に歯痒くもある。
陛下はもう一度優しく私の髪にキスを落とすと、隣の寝室へと行ってしまった。
気持ちのやり場に困って、少しだけ時間を置いて隣の寝室に向かうも、既に陛下はベッドに横になっていて。しかも規則的な小さな寝息も聞こえてきた。
そっと陛下の寝顔を見つめる。
緊張はしていたけれど、期待していただけに陛下が先に寝てしまった事のショックは殊の外大きくて。
今日は疲れていたのかな、とか。私がまだ怖がると思って遠慮してくれているのかな、とか。ポジティブに考えたいけれど、もし、そうじゃなかったとしたら……?
そんな事ばかりが頭の中をぐるぐる回って、モヤモヤは一層強くなる。
そっと陛下の隣に横になるも、渦巻くモヤモヤ感は拭いきれなくて。
陛下の綺麗な寝顔を見つめながら、そっと寄り添って目を閉じた。
***
翌朝目が覚めると、既に陛下は起きていて。
しまった……!と慌ててキッチンへと向かう。
すると既にテーブルの上には美味しそうなマナナサンドが用意されており、陛下がイム茶を手にニッコリと微笑んだ。
「おはよう、シャノンさん」
昨日はモヤモヤで中々寝付けなくて、つい寝過ごしてしまった自分を恥ずかしく思いながら、「お、おはよう、ございます……」と、返事をしつつ席に着いた。
ゆっくりと二人で朝食をとりながら、チラリと陛下を盗み見る。
朝食を食べ終えた陛下は、イム茶を片手に報告書の書類に目を通していた。
爽やかな雰囲気はいつもと変わらないけれど、同じ家で、一緒に朝食をとっている事にジワリと嬉しさが胸に広がってくる。
すると私の視線に気付いた陛下が、チラリとこちらを見てふと目を細めて微笑んだ。
「シャノンさん、ここ、跳ねてる」
「……っ!!」
陛下の指摘に慌てて両手で髪を押さえるも、恥ずかしすぎてその場に留まっていられなくて、寝室の鏡の前へと走った。
恥ずかしい。けど、そんな些細なやり取りさえも嬉しくて、頬が自然と緩む。
しばらく鏡とにらめっこをしていた私の元へと陛下がやって来て、「魔銃師会に用があるから、先に出掛けるね」と声を掛けてきたので、慌てて「あ、はい!行ってらっしゃい!」と叫ぶと、陛下が目を細めて嬉しそうに笑って出掛けて行った。
***
……うーん。どうしよう。
かれこれマツリさんの衣料品店前で、私は一刻程悩み佇んでいた。
昨日あれから眠れずに考えた結果、私に色気が足りないからじゃないかと思い、少し大胆な衣装に着替えてみようと考えて、今に至る……のだけど。
困った事に、マツリさんに一番セクシーな衣装を尋ねてみたところ、今私の手元にあるコレなのだと力説されてしまった。
けれど、流石にこれは露出が多過ぎるのでは?と悩んでいると、マツリさんに「この衣装でムラッと来ない男性はいないと思います!」なんて言われてしまっては、買わざるを得なくて。
頬を染めつつ代金を払って衣装を受け取ると、私は急ぎ足でお城へと戻った。
……お、お腹……お腹が丸出しすぎて、猛烈に恥ずかしい。
早速陛下が不在のうちに着替えてみるも、どこもかしこも肌が出まくりで、スースーしてなんとも落ち着かない。だけど煌びやかな刺繍や装飾は物凄く凝っていて、南国の王侯服だと言われれば納得の代物だった。
口元を覆うこれで、お腹を隠せたらいいのに……なんて一人呟きながら、陛下を探しに行こうと玉座の間へと出ると、学生時代仲の良かったレノックス君が声を掛けてきた。
少しだけ緊張しながらそう聞いてみると、レノックス君はニッコリ笑って頷いてくれた。
小さくても、レノックス君だって男の子だ。
褒められればやっぱり嬉しくて、私は少しだけ自信を付けて城下の方へと向かった。
この姿でウロチョロするのも、周りから浮いて見えてやっぱり恥ずかしいので、手っ取り早く陛下に会いに行こうと導きの蝶を取り出す。
けれど行き先が旧市街跡になっていたので追いつく事が出来ず、遺跡の外でポツリと立って待っていると、ジェイミーさんに声を掛けられた。
ジェイミーさんもママと仲が良くて、私が小さい頃はよく話しかけてくれていた一人だ。
そして学生時代仲が良かったマリーちゃんのパパでもある。
「シャノンちゃん、そんな格好でこんな所に一人でいたら……陛下に怒られるよ?」
「えっ!?やっぱりこの格好変ですか!?」
私の焦りに、ジェイミーさんは苦笑いしながら首を横に振った。
「いや、変というよりむしろ……取り敢えず帰った方がいい。ほら、日も暮れてきたし」
「んー……でも、」
陛下が旧市街跡の遺跡にいるのは分かっているのだ。
だからどうしてもここで待っていたくて帰る事を渋っていると、ジェイミーさんが根負けしたように苦笑いを零した。
「分かった。じゃあ陛下が出てくるまで、一緒にここで待っていてあげるよ。じゃなきゃ陛下に恨まれそうだからね」
そう言って、ジェイミーさんはすぐ側まで来ていた成人した級友の男性陣にチラリと視線を投げて、私に倒木を指差した。
屈んでジェイミーさんとマリーちゃんの話をしながらキノコ採取に夢中になっていると、急にお腹に腕を回されてふわりと身体が抱き起こされた。
「キャッ……何っ!?」
驚いて後ろを振り向くと、そこには何故だか不機嫌そうな陛下がいて。
「あ……へい、か、」
珍しく不機嫌オーラが出ている事に驚く。
思わず後ろに後ずさりそうになって、陛下にグッと腕を掴まれた。
そう、穏やかに聞いてくるものの、陛下は有無を言わさず私の手を取り、返事を聞く前に歩き出した。