15.家族(シャノン編)
───あれから。
すぐにシズニ神殿へと陛下と二人で行って、結婚式の予約を入れた。
だけど目の前の出来事が私の願望による妄想じゃないかと信じられなくて、頬を抓りながら何度も何度も予約台帳を見返す。
そんな私を陛下は優しく見つめ、頬を抓る手をそっと包み込んで離すと、私の大好きな笑顔でふわりと笑った。
「大丈夫。夢じゃないから」
「……でも、」
穴が空くほど台帳を見つめたにもかかわらず、それでもまだ不安が残る自分を情けなく思いながら陛下を見上げると、目を細めて僅かに口の端を上げる陛下が瞳に映った。
あ、と私が目を見開くのと同時に、陛下の手が私の顎へと添えられ顔を持ち上げられたと思ったら、下唇を陛下の親指がゆっくりなぞる。
「そんなに不安なら、頬を抓るよりも効果的な確認方法があるのだが」
「……っ!!」
「そうだな、息継ぎも出来ないくらい、」
「だ、大丈夫ですっ!!!もう大丈夫ですから!!」
慌てて陛下の手を退けて後ろに下がると、「そうか、それは残念」と肩を竦めて陛下が少し意地悪く笑った。
陛下とイチャイチャしたい、なんて恥ずかしい願望も勿論あるけれど、今日の私ではもう既にキャパオーバーだ。
一気に真っ赤に染まったであろう火照る顔を手で必死に扇ぐ。これ以上甘い陛下と一緒にいると、腰が砕けて動けなくなりそうで、「は、畑の水やりに行かなきゃなので、失礼します……っ!」と、なんとも恥ずかしい立ち去り方をしてしまい、去り際に後方から陛下の笑い声が聞こえた気がした。
***
その後、家族に婚約の報告をすると、それはそれはみんなお祭り騒ぎで。
だけどパパだけはひとり渋い顔をして、この間成人したばかりなのに早過ぎないか!?と、ブツブツ呟いていた。
───……それから。
婚約してからというもの、陛下が私に会いに来てくれる頻度がグッと上がり、中でも───、
と、頻繁にデートへと誘ってくれるようになった。
その陛下の変化が嬉しくて、だけど……同時に不安もあって。
陛下の“奥さん”という立場だけでも緊張するのに、この国の王に嫁ぐという事は、私はこの国の“王妃”になるという事だ。
うんと小さな頃は、“ロイヤルファミリー”という単語にただ単純に憧れていた時期もあったけれど、それが現実となった今は……漠然とした不安しかない。
だからせっかくの陛下とのデートでも、
つい、ポロリと本音が溢れてしまう。
だけど、そんな私を陛下は優しく見つめ、私がこうなる事はお見通し、とでも言うように穏やかに優しい言葉を紡いでくれる。
そしてそれは、デートの度に繰り返されて。
王妃になる事が不安だと言う私に、陛下はいつでも優しく寄り添って私が一番欲しい言葉をくれた。
陛下と一緒なら、どんな事でも乗り越えられる。
そう思わせてくれる陛下が、心の底から愛しいと思えた。
***
瞬く間に時は過ぎて、いよいよ明日が結婚式当日となった日の午後。
不安も緊張も最高潮に達して来た私は、陛下の顔を見て落ち着きたくて陛下をデートへと誘った。
私の誘いを快く受け入れてくれた陛下だったけれど、当の誘った本人である私はやっぱり落ち着かなくて気もそぞろで。
せっかく陛下とニヴの丘まで来たのに、会話をしていてもほとんど上の空だ。
だから陛下が、「そろそろ帰ろうか」と言った言葉に慌てて頷いた。
そんな私をチラリと見た陛下は、
と、少し寂しそうに笑って私の手を握った。
陛下に手を引かれて歩きながら、しまった、とつい下唇を噛む。
せっかく陛下とデート出来ているのに、最近の私はこんな態度ばかりだ。
これでは陛下に呆れられてしまうのも当たり前で。
私にプロポーズした事を後悔していたらどうしよう、と不安が過ぎる。
私の家である騎士隊長の居室まで着くと、今日に限ってみんな出掛けてしまっている事に、思わず落胆してしまった。
なんとなく陛下に何を言われるのか少し怖くて、誰かが家に居たら話が逸らせたのに、なんて卑怯な考えまで浮かぶ始末だ。
家に着いて私の方へと振り返った陛下は、やっぱり先程と同じく寂しげに笑っていて。
ズキリ、と胸が痛んだ。
陛下が何を口にするのか怖くて、堪らず陛下の口元をジッと見つめてしまう。
やっぱり、結婚はやめようか、なんて言われたらどうしよう……!
自分の事しか考えていなかった罰だ。そう思うけれど、陛下に今そんな事を言われてしまったら、絶対に泣き崩れて立ち直れない。
既に目の淵に薄っすら涙が溜まって来た私を見て、陛下が徐に口を開いた。
「すまない、シャノンさん、」
陛下の言葉で、一気に思考が停止する。
反射的に嫌だと叫びそうになって、だけど陛下に握られたままの手を更に強く握り返された事で思わず怯む。
「……っ、陛、」
「シャノンさんがずっと、結婚に不安を抱いていた事は分かっていたんだ」
「ち、違……っ」
確かに私は、自分でも笑えてしまう程マリッジブルーだと思う。だけどそれは、陛下と結婚したくないわけではなくて、この“国”という重たい責任を自分が背負えるかが不安だっただけだ。
それをどう伝えれば上手く伝えられるのか、考えれば考えるほど焦って思考はぐるぐる回る。
そんな私を陛下は目を細めて見つめ、繋いでいない方の手で私の頬にそっと触れてきた。
「……だが、すまない。僕はもう、君を離してやる事は出来ない」
驚きで、思わず息を呑む。
目を見開いて見つめる私を、陛下もジッと見つめ返してくる。
自分が想像していた言葉とは真逆の言葉を言われて、途端に涙腺は緩み身体の力が抜けていった。
急にクタリと座り込みそうになった私の腰を、「シャノンッ!」と、陛下が慌てて引き寄せ支えてくれる。
「大丈……」
「わ、私、……私はっ、陛下が、大好きなんですっ。今更離れたいと言われても、絶対に離れる事なんて、出来ませんっ……!ただっ……」
ポロポロ溢れてくる涙を陛下が優しく指で拭ってくれながら、「……うん、ただ?」と、優しく言葉の先を促してくれる。
「た、ただっ……、怖くて……っ。普通の国民だった私が、いきなり王妃だなんて、そ、そんな、そんな大きなものを背負う事なんて、私に出来るのかなって……」
次から次へと溢れる私の涙を、陛下は優しく拭いながらふわりと目を細めて優しく笑った。
「シャノンさん、この国はね……国民のみんなに支えられて出来ている国なんだ。王族も、その他大勢の一部で。近衛も、山岳も、魔銃も、農場も、神職も、国民も、学生も、そして旅人さえも。どれか一つでも欠けたら成り立たない。それが、この国なんだ」
陛下の言葉にハッとして、見開いた目から涙がポロリと溢れ落ちた。
「王族だけが、この国を背負っているわけじゃない。国民みんなで背負っているし、支え合っている。だから、シャノンさんはシャノンさんのままでいいんだ。この国は、誰か一人に責任を背負わせるようなそんな無責任な国じゃない」
ハッキリと言い切る陛下の言葉に、なんだかふと、肩の荷が下りたような、温かいような、不思議な気持ちになった。
陛下の存在は、この国には絶対不可欠で。
でも同時にパパやママ、他にも沢山の人達の顔が浮かんで。
みんな自由に生きながら、この国を支えているのだという陛下の言葉が、ストン───、と不思議なくらい胸の奥へと落ちてきた。
……そうだ。
私はどうして、みんなの上に立つ事ばかり考えていたんだろう。そうじゃない、……そうじゃないんだ。
───この国は、みんなで作り上げている国なのだから───。
自分の傲った考えに恥ずかしくなりながらも、実質トップとしてこの国の決議を行なっている陛下の考え方を聞けた事に、誇りと心の底から喜びを感じた。
───この人が、この国の王で良かった。
───この人を、好きになれて良かった。
───この人と、結婚出来るなんて私はきっと、……世界一幸せ者だ。
私は嗚咽を漏らしながら、陛下の胸へと抱きついた。
───もう、大丈夫。
この人と一緒なら、絶対に───。
***
翌日の朝、ついに結婚式の当日を迎えていつもよりも早く目が覚めた。すると珍しく、パパが私の元へと朝食だと呼びに来てくれたので少し驚いた。
ダイニングに来て、既に朝食の準備を整え終えていたママが、ニッコリ笑顔でおはよう!と声を掛けてくれる。
いつもと変わらない朝。
だけど、この家で過ごす……最後の朝。
陛下と結婚したら、王の居室に住む事になるのだから引っ越すといってもすぐ側だけれど、こうしてみんなで食卓を囲むのも最後なのかと思うと、なんだかしんみりしてしまう。
するとパパが、
と、私と同じ事をボソリと呟くように言った。
そのパパの言葉に、思わず目頭が熱くなって俯く。
するとママがふふっと笑って、この場の空気を変えるように良く通る元気な声で言った。
そうしたら、クラウドやユフィも嬉しそうに次々とお祝いの言葉をくれる。
最後なんだし笑顔でいたいって思っていたのに、みんなの顔を見回しただけで涙がポロポロと溢れてきた。
なんとか口を開いてみんなにそう告げたけれど、やっぱり寂しくて涙が止まらない。
するとママが、「ほら、パパも」と言ったので、
と、なんともパパらしいセリフをくれたので、思わず笑ってしまった。
朝食を終えてさっきまで笑顔だったママが、私のベッドを見ながらぼんやりしていたので、また目頭が熱くなる。
……本当は、成人した時から「お母さん」と呼ぼうと思っていたけれど、急に呼び方を変えるのが恥ずかしくて、今の今まで呼ぶ事が出来なかった。
……いや、違う。
本当は……私がいつまでも、ママに甘えていたかったからだ。
でも、今日、私はこの家を出て行く。
これからは、陛下と共に歩んで行く。
そう思ったら、自然と「お母さん」と、声が出ていた。
一瞬、え?と驚いた表情でこちらを振り向いたママだったけれど、その目には涙が滲んでいて。
でもすぐに、私の大好きないつものママの笑顔でこちらへと近づいて来た。
「シャノンちゃん、いよいよ結婚式ね。うんと可愛くしてあげるからね!」
その嬉しそうなママの笑顔を瞼の裏に焼き付けるように、私はそっと目を閉じた。
私の震える声に気付いたのか、ママが穏やかに笑ってそう言った。
「ママ……っ!」
堪らず私はママに抱きついた。
温かくて、良い匂いで。時には厳しく、そしていつも優しく。
ママに八つ当たりしてしまった時もあったけれど、大好きな、大好きな、ママ。それは永遠に変わらない。
ママも私をぎゅっと抱きしめながら、震えている事に気付く。
大好きな家族と、永遠の別れではないけれど、今日、私はここから飛び立つ。
───愛する人と、新しい家族となる為に。