10.片想い連鎖(シャノン編)
あれから逃げるように私は転移石でニヴの丘まで移動して、丁度誰も居なかった事にホッと胸をなでおろす。
だけど瞬時にさっきの陛下の顔が脳裏に浮かんできて、胸がギュッと苦しくなった。
陛下は長い事、恋人がいなかった。
それは単に、ママの言葉を信じて運命の人に巡り合っていないだけなんだと思っていたけれど。
─────本当は、そうじゃなかったんだ。
陛下はずっと、……ママだけを見ていたんだと思う。
あの様子からすると、もしかしたらそれは今も尚、現在進行形で。
そうすると自ずと紐解かれるのは、前に陛下が私に言った“特別”の意味。
あれはきっと、私が……“ママの”子供だから────。
告白の時に言ってくれた陛下の言葉を信じたいけれど、信じたところで私は結局ママの代わりで。
そう考えれば考える程、ネガティブな思考は止まらなくなるけれど、……なんとなく引っかかっていた不安という名のピースは、それで全て綺麗に埋まっていく。
心を落ち着ける為にニヴの岩を見つめていたけれど、その目をそっと閉じた。
私の思い違いだと───そう思いたいのに、どんなに思い返しても、違うと思える要素が見当たらなくて。
だけど苦しくても悲しくても、ママの代わりなんだと分かったとしても、側にいたいと……願ってしまう。
整理のつかないやり場のない想いに、胸が苦しくなって、途端に堪えていた涙がポトリ、ポトリと、頬を伝って溢れていく。
だけど自分の気持ちとは裏腹に、ニヴの丘では穏やかな風が吹いていて、そっと私の頬を優しく撫でてくれた。
***
ニヴの丘から下りて、知り合いには誰にも会いたくなくて人目を避けるように旧市街の方へと向かおうとすると、同じ成人組で仲の良かったフィービーちゃんに呼び止められた。
「シャノンちゃん!良かったらこれから一緒にハーブ……って、え!?ちょっ、どうしたの!?」
自分でも酷い顔をしている自覚はあったけれど、もう隠す気力もなくて。するとフィービーちゃんは慌てながらも、「あー、えっと、ほら!ウィアラさんの所に行こう!」と、私の顔が周りに見えないよう隠すように抱きしめてくれた。
そんな彼女の優しさに触れて、温かさにまた涙が溢れてくる。
彼女に迷惑を掛けている事を申し訳なく思いながらも、私はコクリと頷いた。
***
「そっかー……なるほどね。でもほら!陛下にはまだ何も聞いていないんでしょ?だったらまだ決めつけるのは早いよ。ちゃんと一度じっくり話してみた方がいいと思うな、私は」
そういってフィービーちゃんは、パスタをぐるぐるフォークに巻きながら大きく頷いた。
「……うん、そうだよね」
───そう、頭では分かっているのだ。
陛下に何も聞かないうちに勝手に決め付けて、逃げていたら意味がないんだって。
でも、あの時の陛下の表情が頭から離れない。
あれは、ずっとひた隠しにしていた事がバレてしまったといった感じの表情だった。
どんなに理由を付けて自分の考えを否定しようとしても、あの表情で全てが覆される。
俯く私に、フィービーちゃんがトントン、と机を軽く叩いた。
そう言って彼女は「ほら!食べちゃおう!」と、私を励ますようにニッコリ笑ってくれた。
***
食事をしてからフィービーちゃんと探索に向かい、森の奥へ奥へと進むうちにあっという間に夜の二刻になっていて。
慌てて家に帰ると、ママが心配そうに玄関で待っていてくれた。
「シャノンちゃん、お帰りなさい」
「あ、……うん。ただいま」
だけど今はママの顔を見たくなくて、急いでダイニングへと向かう。本来ならば、陛下と恋人同士になれた事を一番に報告したかったはずなのに、今はとてもそんな気分にはなれなくて。
すると、ママが少し遠慮がちにまた声を掛けてきた。
「………」
すぐには返事が出来なくて、涙が出そうになる。
ママが悪いわけじゃ、ないのに。
だけどどうしてもひとつだけ聞きたくて、少し寂しそうに笑って寝室に向かおうとするママを呼び止めた。
「あの、ね、……ママは、昔から……パパが好き?」
突然の質問の内容にママは少し驚いたようだけれど、すぐにふふっと笑って大きく頷いた。
「勿論。昔も今も、大好きよ」
その答えを聞いて、ママを一瞬でも疑ってしまった自分の考えに自己嫌悪に陥る。
ママはそれ以上何も言わないし、聞かれる事もなかったけれど、自分が情けなくて自ずと小さな溜息が溢れた。
翌朝、今年も騎士隊長を務めるママは仕事始めを迎える準備で忙しそうで。
少しだけ気まずさを感じながらも、いつも通りに朝食を終える事が出来た。
だけど、外に出るタイミングをどうしようか悩む。今出たら、もしかしたら陛下と鉢合わせするかもしれない。
流石にまだ、心の整理なんてついていなくて。
陛下にどんな顔をして会えばいいのか分からない。
ましてや、昨日の事を陛下自身に認めでもされてしまったら、今はまだ立ち直れる自信がない。
玄関先でウロウロしていると、ドアの外からママの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
気になってそっとドアを開けてみると、そこには陛下の姿もあって。
ドキリ、と心臓が大きく跳ねた。
……二人で、何を話しているんだろう。
気になって仕方がないけれど、今一番、出て行きたくない状態だ。こっそりとまたドアを閉めようとすると、そのドアをガバッと勢いよく誰かに開け放たれた。
「おはよう!シャノン!」
そう元気よく声を掛けてきたのは、同じ成人組で仲の良かったオリオール君だ。
「わっ……!ちょっ、オ、オリオール君っ……!」
慌ててドアの外に出される形でよろめく私に、オリオール君は、
と、あろう事か、陛下の目の前でそう声を掛けてきた。
焦って思わず陛下の方を見ると、陛下は少し驚いた表情をしていたけれど、すぐにいつものようにふわりと優しく微笑んだ。
その笑顔に、いつもだったらどうしようもなくドキドキするのに、今日は目の前が暗くなっていくように感じて思わず俯いた。
陛下は、私が誰に声を掛けられても、きっといつもと変わらない。現に今だって、微笑みこそすれど、止めようとはしてくれない。
……なんだか急に、自分の存在が虚しく思えた。
それでも流石にこのまま一緒に出掛けるわけにもいかないので、「……ゴメン、また今度ね」と、オリオール君には曖昧に返事をして、陛下の方を見る事もなく逃げるように城内を飛び出した。
だけど飛び出してからすぐに、後ろを振り返る。
……もしかしたら、陛下が心配して追いかけてくれるかも、なんて期待してしまったからだ。
───でも、そんな事はなくて。
陛下にとって、所詮私は“ママの次”。
一緒にいたママを放ってまで、私の事を追いかけてくれるわけがない。
それに自分で陛下の前から逃げたくせに、追いかけて欲しいなんて虫が良すぎる自分の考えが恥ずかしくて、俯いたまま城下へ向かおうとすると聞き慣れた声に呼び止められた。
「シャノンちゃん、おはよう」
「……あ、パトリス君」
パトリス君も同じ成人組で仲が良かった一人だ。
だけどそのパトリス君が、なんだかいつもと違う様子で少しソワソワしている。
そう声を掛けられて、つい「え?」と驚いてしまった。パトリス君とは確かに仲が良かったけれど、探索やハーブ摘みと違ってそういう風に二人っきりで出掛ける程では無かったからだ。
せっかく誘ってくれたのに申し訳ないとは思ったけれど、「ゴメンね、また今度」と言いつつ、少し気まずくて小走りでその場を去ってしまった。
なんとなく、みんな子供の時と誘う感覚が違うように感じて、少し寂しくなる。
子供の頃は、……あんなにみんなで走り回って遊んでいたのに。
しんみりしながらヤーノ市場まで来ると、元旅人だったドミニクさんに声を掛けられた。
「こんにちは、シャノンちゃん」
「あ、ドミニクさんこんにちは」
今日はよく、いろんな人に声を掛けられるなぁと思っていると……、
急な誘いに驚いた。
それでも二人きりで出掛ける気は無かったので、丁重にお断りしつつエルネア波止場まで出ると、最近この国にやって来たベルナルダンさんに今度は呼び止められた。
「シャノンちゃん、こんにちは」
「あ、ベルナルダンさん!」
彼はこの国に来る前にプルト共和国に寄ってきたようで、よくママと一緒に彼からプルト共和国の話を聞いていた。彼は話が上手くて、聞いているだけで故郷が目に浮かぶようだわ、とママが涙ぐんでいたのを思い出す。
彼にまたプルト共和国の話でも聞いて気分を浮上させようと思っていると、
思わぬ声掛けに思わず固まってしまった。
彼にも丁重にお断りをしたけれど、なんだか私の方が段々と落ち込んできた。
断るのって、とっても罪悪感を伴うからだ。
別に私が悪い事をしたわけではないけれど、二人っきりでとなると、それなりに仲の良い人でなければ出掛けられないと思ってしまうから、断るしかない。
それに子供の頃は感じなかったけれど、大人になるとなんだか男の人がガツガツ来る感じが少し怖くもある。
なんだか少し疲れてきて、散歩がてら畑に水撒きでもしよう、とテルジェフ家の農地に足を向けた。
農地に着くと丁度フランツ君の姿が見えて、なんだかホッとする。
フランツ君はよく、私が落ち込んでいる時に声を掛けてくれた優しいお兄さんだ。
今日もまた、「何かあった?」と小首を傾げて聞いてくれる。でも陛下との内容までを話すわけにはいかないと思い曖昧に笑っていると、フランツ君が「少し花でも見て癒されようか」と優しく笑った。
***
二人で幸運の塔までやって来て、マランダの花を見つめる。
鮮やかなこの花を見ていると、どうしても昨日の陛下の表情が浮かんで来て、視界がジワリと滲む。
フランツ君に見えないように、そっと目の淵に溜まった涙を拭うと、少し遠慮がちにフランツ君が私の顔を覗き込んで来た。
一瞬驚いてフランツ君を見つめると、フランツ君が少し照れ臭そうに笑った。
「いや、その……、なんとなく、その人のせいで今、落ち込んでいたりするのかな、って」
まさに図星を指され、ドキリとする。つい焦って視線を彷徨わせていると────。
「シャノン」
───そう、後方からハッキリ私を呼ぶ声がして。
瞬時に声の主が分かって振り向こうとすると、左腕を掴まれクイッと後ろの方へと引っ張られる。
急な事に少し体勢を崩してしまい、後ろに倒れそうになった身体をそのまま抱きとめられた。
驚いて顔を上げると、やっぱりそこには陛下の顔が見えて鼓動が一際大きく跳ねる。
「え、陛……」
「すまないフランツ君。シャノンさんは返してもらうよ」
陛下が私の言葉を遮って、フランツ君にニッコリ笑って告げる。
フランツ君は呆然と私達の光景を見ていたけれど、すぐに慌てて「…あ、はいっ」と陛下の言葉に頷いた。
驚き過ぎて何度も瞬きを繰り返して陛下の顔を見る私に、陛下はニッコリ笑うとそのまま手を引いて歩き出した。
慌てて私がフランツ君にペコリと頭を下げると、握られている手がキュッと先程よりも強く握り返される。
驚いて陛下の顔を見上げると、陛下は一瞬目を細めてすぐに前を向いてしまった。
いつもと明らかに違う陛下の雰囲気に、焦りが生まれる。
こんなにいつもと違う雰囲気を纏った陛下は初めてで────。
私は何も言葉が発せずに、陛下に握られた手を見つめていた。