9.過去と真実(シャノン編)
陛下に挨拶をした後、それでもまだ陛下と話していたくて、でも、何から話せばいいのか分からなくて目を泳がせていると、陛下がふわりと笑って私の頭をポンと撫でた。
「成人、おめでとう。……すまない、つい癖で」
陛下が私の頭を撫でる手を、少し苦笑いしながら引っ込める。
「ありがとうございます」といいつつも、その手はそのままでいいのに、と少し寂しくて陛下の手を視線で追った。
───その手に、ずっと触れられていたい。
もしもその手で、陛下が他の人に触れる事があったとしたら───、そう想像しただけで胸がギュッと苦しくなって、思わず縋るように陛下に懇願していた。
「……陛下、あの、二人で……今から出掛けませんか?」
私の言葉に、陛下は一瞬驚いたように目を見張ったけれど、すぐに私の大好きな笑顔で頷いてくれた。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
ついに……陛下を誘ってしまった。
でも、ここまで来たら後戻りなんてもう出来ない。
ダメで、元々。
私は陛下が振り向いてくれるまで頑張るって決めたんだから……!
そう意気込んで、陛下と一緒に幸運の塔へと向かう。
ここは告白スポットとして王国では有名な場所。
ここに連れてくるという事は、どういう事か陛下にも察しはついているはずで。
塔に着いて、陛下と並んで立つと一気に緊張で口が渇く。
それでも、私から長年の想いを伝えるって決めていたのだ。震える指先を隠したくて、私は陛下に貰ったクマのリュックの肩紐の端をギュッと握る。
すると陛下が、隣で幸運の塔を少し見上げるようにしながらふわりと笑った。
「マランダの花が綺麗だね」
「………」
私はそんな陛下の横顔をジッと見つめる。
子供の頃は見上げなければいけなかった陛下の綺麗な顔も、今ではこんなに近くで見る事が出来る。
目を細めて花を見つめる陛下の目に、私は───どんな風に映っているの……?
「…………好き」
無意識に、心の声が漏れていた。
陛下が目を見張って私の方を振り向く。
心の声が漏れ出ていた事に私自身も驚いて、つい「あっ……」と口元を手で覆った。
それでも顔が赤く染まっていくのは止められなくて、こんな状態じゃ誤魔化しようもない。いや、というより、誤魔化すも何も、私は陛下に想いを告げる為にここまで来たのだ。それならば、このまま潔く伝えてしまおう……!
そう思い、口元を覆う手を外してガバッと勢いよく頭を下げた。
「わ、私っ……陛下の事が、ずっとっ、ずっと……好きでした。今はまだ、成人したばっかりだし子供にしか見えないかもしれませんっ、でも、絶対、絶対振り向かせてみせますから…!だから、……だから私とお付き合いしてくださいっ……!」
……言った。
……言ってしまった。
頭まで下げる必要はなかったかもしれないけれど、私の告白に対しての陛下の表情を見るのが怖かったのもあって、中々顔が上げられない。
そして実際にはまだ伝えてから数秒しか経っていないのだろうけど、なんだかここだけ時間が止まっているかのように長く感じて、心臓の音が異常に耳に響く。
ここから逃げ出したい。
そんな臆病な考えが脳裏を過った瞬間───。
「……勿論、喜んで」
そう、私の大好きな人の声が耳に届いて、驚いて弾かれたように顔を上げる。
するとそこには、優しく目を細めて蕩けそうな笑みで微笑む陛下がいて。
一瞬にして、身体中が喜びに包まれる。
だけどすぐに、これは夢だろうかと思わず自分の頬をつねると、陛下がふはっと吹き出すように笑った。
そんな事を陛下に言われて、私は目を見張る。
「え、陛下が、私に……?」
すると陛下は私の顔を覗き込み、ニッコリと笑った。
「勿論。あと、“陛下”はやめようか。名前で呼んで欲しい」
「えっ、で、でも、」
「ほら、呼んでみて」
「……っ」
陛下が楽しそうに覗き込む顔を近付けて来るので、恥ずかしさがピークに達した私は陛下の肩をグッと押し戻し、恥ずかしさを誤魔化すようにプイッと顔を少し逸らして腕組みをした。
それに、さっきから陛下には余裕があって、私にはまったく余裕がないのもなんだか悔しい。
陛下を少しでも焦らせたくて、わざと言いにくい事を要求してみる。
「ワ、……」
だけど陛下を“ワイアットさん”と呼んだ時点で、自分の方が照れてしまい、でもそれを悟られたくなくて頑張って怒っている風を装ってみるも───、
そう、陛下にふわりと優しく笑って言われるものだから、……やっぱり陛下には敵わない。
長年の片想いが、まさかこんなにあっさりと実ってしまうなんていまだに信じられなくて、つい隣にいる陛下をチラチラとみてしまう。
すると陛下が「ん?」と小首を傾げて私を甘い瞳で見て来るのでなんだか落ち着かなくて、ついどうでもいい事ばかりが口をついて出てしまう。
「陛…あ、ワ、ワイアットさんの、運命の人…は、私だって思っても、いいんだよね……?」
「運命の人?」
「あ、うん。前にマ…お母さんが言っていたの。ワイアットさんはまだ運命の人に巡り会えていないから結婚していないんだって」
「……マツリカさんが?」
そう、少し驚いたように聞いてきた陛下は、一瞬寂しげな瞳をしたかと思ったら、すぐにいつもの優しい笑顔で私に微笑む。
「……そうだね。シャノンさんが、僕にとって運命の人だ」
「……」
なんとなく、ほんの一瞬だったけれど。
女の勘というやつなのか、なんだか胸がざわつく。
ここで止めておかなきゃいけない。そう、頭の中で警告音は響くのに、胸のざわつきと嫌な予感で思考はいっぱいで。
その不安を拭い去りたくて、私の口は無意識に動く。
「……もしかして、陛下は……ママが好きだった……?」
無意識だったのでつい、子供の頃と変わらない呼び方で二人を呼んでしまった。
……お願い。お願い、違うって言って。
そう、祈るような気持ちで陛下を見る。
だけど陛下は────……正直で。
目を見張って私を見て、しばらく固まったように動かない。
その反応で、まだ何も言われてはいないのに……全てを察してしまった。
どうしよう、涙が出そうだ。
やっと、やっと陛下と両想いになれたと思ったのに。
───陛下はきっと、私とママを……重ねて見ている。ううん、私を通してママを見ているんだ。
だって。
旅人のママと、この国の王太子だった陛下は、どんなに想い合っていたって結ばれる事はない。
それは、この国では絶対で。
ふと、成人前に見た二人が脳裏に浮かぶ。
あの時はとても楽しそうにしていて。だから声が掛けられなかった。
思い返せば、二人はいつも一緒で。
でも、ママはパパと結婚していたし、まさか二人の間に何かあるなんて、今の今までまったく思いもしなかった。
それに昔、陛下は騎兵の時に城下で一人暮らしを始めたと聞いた事があった。
隊長でもない限り王の居室からわざわざ引っ越さなくてもいいはずなのに。
そこまで勘繰りたくはないけれど、もしかして王族判定を抜ける為そこまでしたんじゃないか、なんて変に勘繰ってしまう。だけど陛下は王太子だから、そもそも王族から抜ける事自体が絶対に無理で。
でも、もし。それが真実だったとしたら。
そこまでして、ママと一緒になりたいと思っていたとしたら。
かつての二人の立場からしたら、その想いさえ伝え合う事も出来なかったはずだ。
つい数分前までは幸せの絶頂にいた気がしたのに、今は目の前が真っ暗で、奈落の底にでも突き落とされた気分だ。
───道理で。
陛下は私の告白を……あっさり受け入れてくれたわけだ。
陛下が私の表情を見て、ハッとする。
だけど何も、聞きたくないと思った。
もう、何も。
今にも涙が溢れそうになるのを必死に堪えて、私は慌てて頭を下げる。
「ごめんなさいっ!私、急用を思い出してっ!お先に失礼しますっ……」
「え、あっ、シャノンさん……!」
私は陛下に追いつかれないように、ずるいと思ったけれど転移石を使ってその場から瞬時に移動した。
“何”から逃げているのか分からないけれど、とにかく逃げなきゃと思った。
苦しくて、悲しくて。
バカな事を聞かなきゃよかったと後悔しても、もう遅い。
───私は今まで、陛下だけを見てきたつもりだったのに、
本当の事なんて、何も見えていなかった───。