11.余裕(シャノン編)
あれから、どこに向かっているのかも聞き出せずに、陛下に手を引かれるまま歩き続ける。
聞きたい事は、山ほどある。
山ほどあるのに、何から聞けばいいのか分からなくて、その上今の状況さえもよく理解していない私は、結局黙って陛下について行くしかない。
しばらく歩くと見慣れたお城が視界に入って、もしかしてこのまま家に帰されちゃうの?と、少し不安になった。なんとなく陛下からは少し怒っているような空気も感じ取れていたので、時間が夕刻に差し掛かっていた事もあり、いつまでも外でフラフラしていないで帰りなさいって意味なのかと焦ってしまう。
もしそうだとしたら、全力で抵抗して陛下と話をしようと決めるも、何故か私の家である騎士隊長の居室を陛下は素通りして行く。
え?と困惑しつつも手を引かれるまま歩いて行くと、陛下の居室へと通された。
「え、あの、陛下……?」
困惑したまま入り口に立ち尽くす私に、陛下は振り返り手を離すと、肩のマントを外しながら「座ってて」と声を掛けた。
陛下が居室では身体を休める為に王の鎧を脱ぐ事は知っていたけれど、いざ目の前でそれをされると目のやり場に困って頬がジワリと熱くなる。
それがなんだか恥ずかしくて、私は急いで背を向けソファーへと腰掛けた。
すると鎧を脱ぎ終わり、楽な格好になった陛下がこちらへと近づいて来る。
陛下が近づいて来る事は分かっても、緊張と恥ずかしさでその姿を直視出来なくてつい俯いてしまった。
どうしてさっき幸運の塔から連れ出したの?とか。
どうして今、私の家ではなく陛下の居室へと連れてきたの?とか。
聞きたい事は山ほどあるのに、それよりも何よりも今、陛下が私の隣へと座った事の方へと意識が集中してしまい、ドキドキと自分の心臓の音で何も考えられなくなる。
何故かしばらく陛下も黙っているので、余計に焦ってきた。
どうしよう、何か、何か話さなくちゃ……!
そう思うのに、喉の奥がつかえているように言葉が発せない。手にジワリと汗だけが滲んでくる。
すると、隣に座った陛下が徐に小さく息を吐いた。
その事に少しだけビクッと肩が上がった私は、恐る恐る陛下の方へと顔を上げてみる。
するとそこには、自分の膝に頬杖をつき、少し小首を傾げるような体勢でこちらを見る陛下がいて。
ドキリと心臓は大きく跳ね、じわじわと耳の端まで自分の顔が赤く染まって行くのが分かった。
「……少し、話をしても?」
そう、陛下が遠慮がちに聞いてくる。
極度の緊張と鼓動の速さから、私は思わずコクンコクンと何度も頭を縦に振ってしまった。
それを見た陛下が、目を細めてふと小さく笑う。
その表情に、ああ、陛下のこの表情好きだなぁとしみじみ思う。
だけどそんな私の思考とは裏腹に、陛下は少し真面目な表情で頬杖をつくのをやめて一度前を向き、もう一度ゆっくり私の方を見た。
「……昨日、シャノンさんに言われた事は、事実だ」
陛下に言われたその言葉だけで、詳しい内容まで言われなくても何の事かすぐに分かる。
さっきとは打って変わって全身に冷や水を浴びせられたかのように、瞬時に心までもが凍りついて動かなくなった。
────やっぱり、私の思い違いなんかじゃなかった。
モヤモヤしている状態も嫌だと思ったけれど、こうもハッキリさせられると想像以上にショックは大きくて、目の前が一瞬にして真っ暗になる。
だけど現状に感情が追いつかなくて、身動き一つ取れずに何も反応が返せない。
そんな私を見た陛下は、少しだけ眉尻を下げたけれど、ついで目を細めて優しげな表情で私を見る。
「けれどそれは、昔の話だ。マツリカさんが結婚してしまうまでの話であって、彼女が結婚してからはスッパリと諦めた」
そう言って、陛下がほんの少し戯けたように笑った。
────ママが、結婚する……まで?
陛下の顔を恐る恐る見つめると、優しい笑みを返される。
ママは結婚するのがとても早かったと聞いていた。
この国でママは早々にモテクイーンになってしまい、焦ったパパがスピード結婚に持ち込んだのだと以前パパのお姉さんが笑いながら教えてくれたのだ。
困惑する瞳で陛下を見ると、陛下が口の端を上げて少しだけ意地悪く笑う。
「その後も、マツリカさんが言った通りかなぁ。付き合いこそすれど、いつもピンと来なくて長くは続かなかった。でもまさか、赤ちゃんの頃から知っているシャノンさんが、そのピンと来る相手だとは思いもしなかったけど」
そう言って、陛下は優しく目を細めて笑った。
その陛下の表情と言葉に、心拍数は一気に上がる。
「昨日はシャノンさんに、マツリカさんの事を指摘されるとは思ってもいなくて。正直凄く驚いたし焦った。それは過去を知られたという焦りではなくて、シャノンさんに誤解されているんじゃないかっていう焦りだ」
「……誤解?」
私がなんとか声を振り絞って聞くと、陛下はまた膝に頬杖をつき私の顔を覗き込むように見てくる。
「そう。マツリカさんの代わりだと思われているんじゃないかって」
「……っ!」
思い切り図星をさされて、私は大きく目を見開いた。
すると陛下が「やっぱり」と小さく呟く。
その陛下の声が呆れを含んでいるように聞こえて、焦って口を開こうとすると、隣に座っていた陛下が徐に席を立った。
更に焦りが増して、追いかけるように立ち上がろうとした私の前へと陛下はやってきて、ポン、と軽く肩をソファーへと押し戻す。
驚いて小さく声を漏らしながら陛下を見上げると、陛下がソファーの背もたれに手をついて、私を覆うように囲い込んだ。
「……え、へい、」
「僕は言ったはずだよ。“君が”好きだと」
陛下に上からジッと見つめられて、顔の近さに緊張と驚きと恥ずかしさで、口がパクパクと動くだけで声が発せない。
「シャノンさんは僕の言葉を、信じてくれていなかったわけだ?」
「ち、違っ……」
「へぇ?その割には、朝から避けられていたように感じたけれど?」
「そ、それは、陛下がっ……」
「うん?僕が、何?」
「だ、だって、私が声かけられていても、陛下は余裕で、」
「ちょっと待った」
陛下がそう言って、私の言葉を遮った。
すると視線を横に逸らして、小さく溜息を吐く。
何かマズい事を言ってしまったのかと焦って陛下を見上げていると、ゆっくり私へと視線を戻した陛下がふわりと顔を近づけてきて、そっと額と額をくっつけた。
距離感がゼロの状態に、思わず息を止めてしまう。
すると陛下が、少し力なく笑った。
「……余裕、あると思う?」
少し動けば陛下の唇に触れてしまいそうな距離に、身動きが取れなくて。
私は瞬きを繰り返して、ただただ陛下の顔を見つめる。
すると陛下がふと小さく笑って、私の額、鼻、頬にと軽くキスを落としていく。
ドキドキと心臓の音は煩くて、自ずと陛下の唇に視線が集中してしまう。
そんな私を見下ろして、陛下は小さく吹き出すように笑った。
「見過ぎ」
「ゴ、ゴメンナサッ……」
そう慌てて顔を逸らそうとすると、陛下に軽く顎を掴まれて正面へと戻される。
「……いつのまにか、僕にとって君が側にいる事が当たり前になっていて。今となっては……側にいてくれなきゃ困る」
陛下の言葉に、胸が苦しくなる程ドキドキと高鳴って、近付く顔に自然と目を閉じた。
ふわり───、と優しく陛下の唇が触れる。
「陛……」
「黙って」
喜びと嬉しさで、私ももう一度陛下に自分の気持ちを伝えようと口を開くと、そのままもう一度陛下に唇を塞がれて言葉を遮られた。
後頭部に手を添えられて、唇の角度を変え深みを増していくキスに、呑み込まれて溺れそうになる。
初めてのキスに息の仕方が分からなくて、つい苦しさに陛下の服をぎゅっと握った。
すると陛下がそれに気付いてそっと唇を離し、ふと優しく笑う。
キスをしていた時よりも、終わった後の方がなんだか恥ずかしくて、唇をきゅっと噛んで真っ赤な顔で俯くと、陛下がわざと下から覗き込んできた。
「ひとつ、忠告しておこう。僕にあまりヤキモチは妬かせない方がいい。こう見えて、貪欲だからね」
そう、少し意地悪く笑う陛下に、やっぱり余裕だらけじゃない、と少し恨めしく思って真っ赤な顔のまま唇を尖らせると、陛下はふはっと吹き出して笑った。