14.「おかえり」(シャノン編)
陛下に送ってもらえるなんて普段の私なら嬉しくて堪らないはずなのに、今日はなんだかモヤモヤとしているせいか気持ちは複雑で。
陛下と両想いになれただけでも、奇跡みたいな事なのに。
───それでも欲張りな自分は、“もっと”と望んでしまう。
片想いだった時は振り向いてもらう事に必死で、陛下が私を見てくれたらそれだけで幸せだと思っていたはずなのに。
……いつから私、こんなに欲張りになってしまったんだろう。
モヤモヤしているせいか俯き気味に黙々と歩く私に、陛下も声を掛けてくれる事はなくて、少しだけ気不味い空気の中私の家に着いた。
気不味い空気を消し去るように、陛下がにこりと微笑んでくれる。
それでも、ワガママな私はそんな陛下に言いようのないもどかしさを感じて、少しイライラしてしまう。
陛下は一緒に居る時は際限なく私に優しくしてくれるけれど、結局デートに誘ったり、会いに行くのはいつも私からだ。
想いの強さに差があるのはしょうがない事だと頭では分かっているのに、一緒に居る時はこんなに優しいのにどうしてデートに誘ってくれないの?とか、どうして会いに来てくれないの?とか。
不満という名の私のワガママは留まるところを知らなくて。
モヤモヤとした気持ちと少しのイライラが混ざって、上手く微笑み返す事が出来ない。
そんな私の顔を、陛下は少し心配そうに覗き込んでくる。
「やっぱり、体調が悪い?大丈夫?」
「いえ。……大丈夫です」
「……何かあった?」
「……いえ、何も」
私がそのまま黙り込んでしまうと、陛下は私の顔を覗き込むのをやめて、私の頬へと優しく触れて来た。
「……じゃあ、質問を変えよう。僕が、シャノンさんに何かしてしまった?」
「……っ」
陛下の言葉に、ついハッと息を呑む。
すると陛下は私の顔をクイッと上へと向かせると、少しだけ目を細めてジッと見つめてくる。
「すまない。気を付けていたつもりでも、気付かないうちにシャノンさんを、」
「違いますっ……!」
思わず陛下の言葉を遮るように叫んでしまった。
すると陛下が、少し驚いたように目を見開く。
違うと叫んでしまった以上、何か言葉を繋げなくてはいけないと思うのに、今口を開いてしまうと陛下に八つ当たりしてしまいそうで、グッと無理矢理言葉を呑み込んだ。
……それなのに、陛下の優しげな瞳に見つめられると自然と言葉が漏れ出てしまいそうになる。
キュッと唇を固く結んだ私を見て、陛下がそっと小さく息を吐き出し私の頬から手を離した。
「僕が原因なのに?」
「それ、はっ……」
陛下に嫌われるのは、絶対に嫌だ。
───嫌だと思うのに……幼稚な自分は、陛下にワガママを言ってしまいそうになる。
唇をギュッと噛んで、顔を俯けた。
「……じゃあ、僕も一つシャノンさんに不満を言おう」
「え……?」
陛下の言葉に思わず驚いて、俯けた顔を上げて陛下を見る。すると陛下は、少しだけ目を細め私を見つめ返して、徐に口を開いた。
「他の異性と出掛け過ぎ」
陛下から出た言葉が意外過ぎて驚きつつも、ついムッとして言い返した。
「なっ……それは、陛下だって!」
「でも僕は、ちゃんと相手は選んでいる。今は既婚者の異性としか出掛けない」
「私だって、」
「そう?僕が見かける時、君は大概独身の異性と歩いているけれど」
「そ、それはっ、だって、学生の頃から仲の良かった友達だし、」
「だろうね。でも、君はそうでも相手は違うと思う。一緒に出かける度、相手に気を持たせてしまうだけだ」
陛下のその言葉でカッと頭に血が上り、必死に抑えていた感情がついに溢れ出してしまった。
「酷いっ……!そういう陛下こそ、デートに誘ってもくれないし、会いに来てくれさえしない日だってあるし!ずっと我慢して、陛下は忙しいんだからって自分に言い訳して、気持ちを誤魔化して来たけど、もうそろそろ限界ですっ……!」
一気にまくし立てるように告げて、興奮した気持ちを落ち着かせようと息を吐く。
すると陛下が、私の顔をジッと見つめて口を開いた。
「それが、本心?」
「……っ」
つい陛下の言葉に乗せられるように気持ちを吐露してしまったけれど、陛下の顔を見てハッとする。
……もしかして、わざと……?
私が自分の気持ちを吐露しやすいように、わざと陛下はあんな風に言いだしたの……?
一気に自分の顔が青褪めるのが分かって、目尻に涙が滲んでくる。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
こんな風に、伝えるつもりじゃなかったのに。
陛下に…….呆れられて嫌われてしまったかもしれない。そう思ったら居ても立っても居られなくなって、両手で顔を覆って俯いた。
「シャノンさん、」
「ゴメンナサイ、……一人に、してください」
それ以上陛下の言葉を聞くのが怖くて、俯いて顔を上げようとしない私を、陛下は暫く黙って見ていたようだけれど、やがて「……分かった」と短く告げると、そのまま部屋を出て行った。
***
あれから、食事を取る気にもなれなくてずっとベッドに潜り込んでいたけれど、陛下に嫌われたかもしれない、と思うと……眠る事は出来なくて。
自業自得だ。後悔しても、もう遅い。
朝になって、流石に昨夜から何も食べていない私を心配したママが、私をダイニングへと連れ出した。
なんとかカッバサンドをひとくち口にしたけれど、それ以上は食べる気がしなくて。
そんな私をママは心配そうに見つめていたけれど、私から『何も話したくない』、というオーラを感じ取ったのか、話を無理に聞こうとはしないママに心の中でそっと感謝する。
すると、いつもは静観しているパパまで私の様子を心配してか、ハーブでも摘みに行かないかと誘ってくれた。
心配してくれるパパには申し訳ない事をしてしまったけれど、それでも今は一人でいたくて。
ふと、玄関先が騒がしく感じて俯けた顔を上げる。
すると、パパの後方に陛下の姿を見つけてドキリ、と大きく心臓が跳ねた。
────……嘘、どうして……?
朝一で陛下が私に会いに来てくれるなんて今まで無かっただけに、ザワザワと胸が騒ぐ。
だけど驚き過ぎて、逃げ出したいと思っても身体が動いてくれない。
ドクドク、と心臓は煩く鳴り響き、こちらに向かってくる陛下から視線を逸らす事が出来なくて、手にジワリと汗が滲む。
私の前に少し遠慮がちに立った陛下は、どこか落ち着かない様子でぎこちなく「おはよう」と告げると、私が返事をするよりも早く言葉を掛けて来た。
昨日の今日で、陛下に何を言われるのか怖いと思ったけれど、いつまでも逃げるわけにはいかないのだと拳にギュッと力を込めて私は頷いた。
城を出て歩きながら、何故か陛下の様子がいつもとは違って見えて、更に私の緊張も増していく。
陛下に何を言われても、ちゃんと自分の気持ちだけはしっかり伝えようと、私の前を歩く陛下の背中をジッと見つめる。
着いた先は神殿で。
昨日私があんな事を言ってしまったからだろうか、と不安げに陛下の背中を見つめていると、アトリウムで立ち止まった陛下が私の方を少し緊張した面持ちで振り向いた。
陛下に見つめられる事で、緊張は一段と増す。
暫く黙って二人で見つめ合っていたけれど、その沈黙を先に破ったのは陛下だった。
いつになく硬い表情の陛下に、今から何を言われてしまうのかと私も少し身構える。
とは言っても陛下の言葉一つで、私は簡単に崩れ落ちてしまう自身があるのだけれど。
私の返事を静かに待つ陛下に、頷きたくはないけれど私も小さく頷き返した。
そう言って、目の前に差し出された物を見て、思わず呼吸が止まる。
陛下の手に大事そうに握られているのは────。
───……キラリと光るエンゲージリング。
驚きのあまり陛下の顔を凝視すると、陛下の真剣な瞳と視線がぶつかる。
途端に涙が溢れそうになって、目の前の陛下が滲んで見えた。
それでも、すぐに手を伸ばさなければこのまま滲んで何も見えなくなってしまいそうで、全て夢で終わってしまいそうで、咄嗟に陛下の手を掴む。
夢か現実か区別がつかないまま、私は涙を堪えて陛下に微笑んだ。
すると陛下が、私の頬に堪え切れなくて伝った涙を優しく指で拭う。その手の温かさに、これは夢じゃないのだと分かり更に涙が溢れてきた。
「泣かないで。僕はシャノンさんの笑顔が見たいんだ」
「だって……、昨日、私、あんなワガママ……」
陛下が両手で私の頬を包みながら、ふわりと微笑んだ。
「僕はシャノンさんの本音が聞けて、嬉しかったんだ。だけど、」
と、そこで一旦言葉を切った陛下は、少し視線を伏せると、もう一度私へと視線を向けて目を細めた。
「……ずっと、考えていたんだ。僕は君よりもずっと年上だし、君を置いて先にガノスへ行くのも分かっている。それなのに、そんな自分に君を縛り付けておいてもいいんだろうかって」
「私はっ」
「うん、分かってる。シャノンさんなら、それでも良いって言うんだろうなって。だからこそ考えていて、デートに誘う事も躊躇った。シャノンさんは、もっと年相応の人と付き合った方が幸せになれるんじゃないかって」
陛下の想いが胸に響いて、どんどん勝手に涙が溢れてきてしまう。
ボロボロと涙を零す私の頬を、陛下が愛しげに指で拭った。
「……でも。自分勝手だと分かっていても、君に誘われると嬉しくて、君が僕以外の異性と共にいるのを見ると、嫉妬で気が狂いそうだった。それなのに、それでもまだ……躊躇う自分がいて」
陛下が苦しそうに表情を歪めるので、それを見ている私も苦しくなって、陛下の頬にそっと右手を添えた。
すると私の頬に添えられていた左手をそっと外し、陛下が私の右手をキュッと上から包み込む。
「だから昨日、シャノンさんの想いを聞いて、躊躇う自分が情けなくなった。自分の躊躇う気持ちだけで、こんなにもシャノンさんを不安にさせていたのかって」
陛下の言葉に、堪らず私は陛下の頬から手を離しギュッと抱きついた。
不安を抱えていたのは───……私だけじゃなかったんだ。
陛下も陛下なりに、不安を抱えて私を想ってくれていた。
そんな陛下が愛しくて、愛しくて。
ぎゅうぎゅうとキツく抱きつく私を、陛下もギュッと抱きしめ返してくれた。
「……だからシャノンさんが、プロポーズを受けてくれなかったらどうしようかって不安だったけど、良かった」
ボソリと呟くように言った陛下の言葉で、私は涙に濡れた顔をガバッと上げる。
「私が……っ、断るわけ、ないじゃないですか……!ずっと、ずっと……、陛下のお嫁さんになる事だけが夢だったんだもんっ!断るわけっ……ないっ……!」
言いながら溢れる涙が止められなくて、子供のように泣きじゃくってしまった。
そんな私の涙を優しく拭う陛下の表情が、蕩けてしまいそうに甘くて、キュウッと愛しさが募る。
「じゃあ、僕の夢も……シャノンさんに叶えてもらおうかな」
「陛下の……夢、ですか?」
陛下を見上げて小首を傾げる私を、陛下は甘く見つめて目を細める。
「『おかえり』と言って欲しい」
「おかえり……?」
一瞬陛下の甘さに惚けた私は、すぐに陛下の言葉の意味を理解してジワリと頬を染める。
『おかえり』の言葉は、“一緒に暮らして”こそ言える言葉。
それを自分が言うところを想像してしまい、嬉しさと恥ずかしさ、気持ちの高揚でくらりと眩暈に襲われた。
だけど今まで一人で生活していた陛下にとって、『おかえり』はきっともっと、私が思う以上に特別な言葉だ。
そう思ったらなんだか一気に切なくなって、私はまた陛下にギュッと抱きつきながら何度も頷いた。
「勿論っ……勿論ですっ!陛下がもういいって言うくらい、全力でお出迎えしますっ……!」
私の言葉に、陛下は「ハハッ」と笑うと、私の頭を優しく撫でつつ、「それは楽しみだ」と、優しく抱きしめ返してくれた。