7.あたしの願い(ウィルマリア編)
───……夢を見た。
それはあたしが、ずっと……ずっと、思い描いていたはずの──。
……──王子様のようなレノックスに手を引かれ、「殿下」ではなく「ウィルマリア」と甘く囁かれる───、そんな夢。
ずっと思い描いていた事を、夢で見ることが出来た。それなのにあたしは……目が覚めた時、夢で良かったと何故かホッとしていた。
───今のレノックスには、恋人がいるから?
違う。
いや、確かに、「情念の炎」を使っていたとしたら罪悪感でいっぱいだったかもしれない。でも、そうじゃない。そういう気持ちであたしはホッとしたんじゃない。と、何故か心の中の自分が強く否定する。
何故だか分からないけれど───。
いや、違う。原因は……分かっている。
原因は、
───“ラザール”だ。
昨日あれから、彼に恋人が出来た事に酷く動揺したあたしは、一日どう過ごしたのかも酷く曖昧で。
レノックスの時には感じなかった何か大切なものを失ってしまったような、そんな酷い喪失感に苛まれていた。
喪失感を感じる理由が分からなくて、ラザールはあたしのものなんかじゃないのに、と苦笑いが溢れそうになるけれど、何故か同時に酷く胸がぎゅっと掴まれているように苦しくなった。
いつもなら学校の授業の時間まで友達と遊びまわっているはずなのに、今朝はそんな気も起きなくて幸運の塔の池のほとりでただぼーっと佇む。
どうしても今の自分の気持ちに納得がいかなくて、昨日の様子を思い出そうと幸運の塔に来てみたけれど、なんとも言葉に表し難い感情に苛まれるだけでモヤモヤは一向に晴れない。
レノックスの時とは、全然違う……───。
分からない。──どうしてなのか、自分の気持ちが全然分からない。
あのラザールに念願の“恋人”が出来たのだ。喜ぼう、応援しよう、そう思うのに。
……彼が、あのクラリーチェという旅人にいつもの優しい笑みを向けているのかと思うと、堪らなく胸が苦しくて何故か涙がこみ上げて来る。
負のループの様にグルグルと定まらない感情に俯いていると、背後からポンと肩を優しく撫でられた。
心配そうな顔の父ちゃんに、あたしが思わず空元気で返事をすると、父ちゃんがふと寂しそうに笑った。
「……ウィルマリアさんがどんどん大人になっていくのは嬉しいけれど、やっぱり寂しいなぁ。無理だけは、しないようにね」
そう言って、父ちゃんはあたしの頭をポンポンと優しく撫でた。
やっぱり父ちゃんの目は誤魔化せないんだなぁと思わず泣きそうになったけれど、父ちゃんの温かい手にふとラザールに頭を撫でられた記憶が重なって、切なさに両手で胸をグッと押さえた。
父ちゃんはあたしの様子に気付いているようだけれど、何も言わずにあたしの頭を撫で続けてくれる。
そんな優しい父ちゃんに心配ばかりかけてちゃダメだと、あたしはギュッと両手に力を込めてコクンと大きく頷いた。
「こんな風にウジウジするなんてあたしらしくない! 父ちゃんありがとう! あたしハッキリさせてくる!」
ガバリと顔を上げて力強い瞳で父ちゃんを見上げると、父ちゃんは柔らかく目を細めて小さく笑った。
そうと心を決めてしまえば、あたしの行動は早い。
素早く魔法のカバンから導きの蝶を取り出して、ラザールの居場所を確認する。すると彼は近くに居たようで、導きの蝶はすぐにラザールの元へとあたしを運んでくれた。
……のはいいのだけれど、彼の後ろ姿を見つけて何故か身体が前に進めず固まってしまう。そうこうしている間にラザールがどんどん離れていってしまうので、あたしは必死に前へと一歩を踏み出した。
「……ラ、ラザール!」
自分自身が尻込みして踵を返さないように、咄嗟に声を出してラザールを呼び止める。するとこちらへと振り返ったラザールが、あたしに気付いてふわりと笑った。
「おはよう、殿下。どうしたの?」
ラザールが振り返ってあたしに笑いかける。それだけ。そう、たったそれだけなのに、今までにないくらい、あたしの心臓はドキッと跳ね上がった。
「……っ」
「……?」
ドキドキドキ、と加速する心音と共にあたしの顔も一気に赤く染まっていく。
どうして? なんで? そう思うのに、赤く染まっていくのを止められない。
「……殿下?」
ずっと押し黙ったままのあたしに不安になったのか、心配そうな顔でラザールが一歩近付いて来た。
なのでつい、反射的に後ろに一歩下がって叫んでしまった。
「ち、近付かないでっ!」
「え、」
ラザールがあたしの言葉に一瞬ポカンとした後、急に真面目な表情になって「殿下、もしかして具合が悪いんじゃ……」と、また近付こうとしたので慌てて手で制した。
「ち、違っ……、あーー、もうっ、えーっと、あーっと、んーーーー、」
自分でも何を口走っているのかもはや分からない。
こんなの自分らしくない、とあたしは必死に自分の頭の中を整理しつつ、そしてハッと閃いた。
今、学生の間で流行っていて、尚且つ今の自分のこのモヤモヤの原因を晴らせるかもしれない魔法のセリフが……一つだけ、ある。
……昨日目の当たりにした手前、今頃こんな事を聞くなんてバカげているとも思う。
でも、あたしの中で確信に変えて、自分の心にちゃんと向き合いたいと思った。
小さく深呼吸をして、心なしか震えている気がする両足にグッと力を入れる。
あたしはラザールの目をジッと見つめて、モヤモヤを吐き出すようにゆっくりと言葉を紡いだ。
あたしがそう聞いた瞬間、ラザールは少しだけ目を見開いたけれど、すぐに嬉しそうにふわりと微笑んで頷いた。
分かっていた事だけれど、ズキリ、と胸が酷く痛む。
その痛みを誤魔化すように、思わずあたしは矢継ぎ早に彼に言葉を投げ掛けた。
そして祈るように、彼の目をジッと見つめて返事を待つ。
するとラザールは、あたしの次の質問には少しだけ間を置くと、寂しげに微笑んで小首を傾げた。
「それは……まだ分からないかなぁ」
そのセリフにドクン、と心臓が大きく跳ねる。
一瞬、『嬉しい』と思ってしまった自分の感情は、すぐにラザールの寂しそうな笑顔に打ちのめされた。
「ど、……どうして? しっかり、捕まえておけば良いじゃないっ」
つい強がったセリフを告げながら、ツンッと顔を逸らす。
喜んでしまった自分の感情に罪悪感を抱いたのもだけれど、なによりも、寂しそうなラザールを元気付けたいと思ったからだ。
そんなあたしの言葉に、ラザールは楽しげに笑った。
「ははっ、殿下らしいなぁ。……うん。でも、彼女は旅人で……私は、自由に生きる彼女に惹かれたんだ。だから、そんな彼女を私の為だけにこの国に縛り付けたいとは……思えないんだ」
ここにはいない彼女を思い出しているのか、ラザールの優しげで愛しげな眼差しに、あたしは頭を殴られたような衝撃を受けた。同時に、ラザールはバカだと怒りも込み上げる。
「……っ、バッ……バッカじゃないの!? そんなの、ただの綺麗事じゃない!! それじゃあラザールは、彼女にこの国に残って欲しいって思える程、彼女の事を想っていないって事になるのよ!? 本気で好きだったら、例えこの国に縛り付けてしまう事になったとしても、彼女に帰化を望むもの!!」
怒りに任せて叫んだあたしに、ラザールは驚いたように目を見開いたけれど、暫くするといつもの優しい笑顔であたしの頭をふわりと撫でた。
「……そう、かもしれない。殿下の、言う通りだね。……ありがとう、殿下。私は臆病だから、誰かに背中を押して欲しかったのかもしれない。……彼女としっかり、向き合ってみるよ」
ラザールの優しい笑みに、思わず唇をぎゅっと噛み締める。あたしは彼の手を頭から乱暴に振り払うと、彼に別れも告げずにその場から走り出した。
後ろで何かラザールが言っていた気がするけれど、振り返って聞いてあげるなんて……そんな余裕は今のあたしにはない。
悲しいのか悔しいのか、自分の小さな手を見つめてギュッと握りしめると、あたしは夢中で彼から出来るだけ遠くへと走って逃げた。
───どうして、こんなにも心が掻き乱されるのか。
あたしはその日、初めて学校をサボってしまった。
どこに行くでもなく、フラフラと王国中を歩き回る。
───いや、違う。
本当は、ラザールと彼女が居そうな所をことごとく避けまくっていた。一つの場所に止まっていると、二人の姿が目に入ってしまう恐れがあるからだ。
いつの間にか陽は沈み、あちらこちらで魔法のランプの明かりが灯る。
この国の明かりは、陽が沈むのと同時にふわりと自然に灯る。何が明かりの原動力になっているのかは定かではないけれど、絶え間なく夜を照らしてくれる温かく優しい光だ。
そんな光にホッとさせられながら、ふと小さく息を吐く。あたしはカルネ皇帝の橋で、じっと海を見つめていた。
この国は、お世辞にも大きいとは言えない。
だけど、人口は近隣諸国に比べたら居る方だと思う。そう、三百人以上の人間が生活しているのだ。
それなのに────。
思わず顔を俯けそうになった瞬間、優しくトントン、と肩を叩かれた。
驚いて振り返ると、
と、レノックスがニコリと微笑んで小首を傾げた。
「こ、こんばんは……」
あたしはそう答えながら、落胆している自分に驚いた。
……一瞬、ラザールだと思ってしまったのだ。
その、自分の変化にさらに驚く。
あんなに好きだったレノックス。
ずっと、ずっと、追いかけていたレノックス。
それなのに、今。
あたしの心はレノックスに会えても、全く揺れ動かない。それどころか、“違う”と、何故かガッカリする自分がいた。
その後は、心ここにあらずといったあたしの態度に、レノックスは心配げに一言二言声を掛けると、早く帰るんだよ?と、少し心配そうに眉尻を下げて手を振るあたしを見送ってくれた。
もう、分かりたくなくても分かってしまう。
城までの帰り道、あたしは嫌でも自分の気持ちに気付かされた。
──あたしは、ラザールの事が好きなんだ──。
気付いた途端、切なくて寂しくて胸がぎゅっと苦しくなった。
この国には三百人以上の人間がいる。
それなのに───どうして人は、たった一人をこんなにも好きになってしまうんだろう。
……レノックスの時とは全然違う。確かに彼の時にも苦しくはあったけれど、胸の苦しさが全然違う。
レノックスはあたしにとって、王子様のような人だった。でも、今ならわかる。それはきっと御伽話に出てくる王子様に憧れる感覚と一緒なんだ。だけど、ラザールは───。
……今更気付いても、もう遅い。
ラザールに散々恋人を作れと消しかけたのは自分だ。
───『じぃじに似ている人がいる』───。
それが、あたしの彼に対する第一印象だった。
だけどそれから、彼を見かける度になんとなく気になって、自然と目で追ってはいつも声を掛けていた。ラザールのあの、お人好しで優しげな笑顔が好きで。頭を撫でてくれる大きな手が好きで。マイペースだけど努力家なところも好きで。
ポトリ、と涙が一筋頬を伝った。
シズニ神殿前で立ち止まったあたしの頬を伝う涙が、神殿の温かい明かりに照らされてポトリ、ポトリと地面に染みを作っていくのが見える。
───あたしの願いは、
『好きな人と幸せになる事』
それが、あたしの光星に願った願いだ───。