5.誕生日と揺れる心(ウィルマリア編)
麗らかな春の陽射しが午後の訪れを告げようとする中、王子達と簡単な自己紹介を終えたあたしは、王国の案内をしつつ────、
今、ヤーノ市場に…………来ているのだけれど。
「はい、ウィルマリア。君との出会いの記念に」
そう言ってオスキツ国王の末の王子であるアンガスが、甘く蕩けるような笑みを向けてあたしに花束を差し出して来た。
うっ……さすが王子っ……!
花束を持つ立ち姿が、旅人の服なのに物凄く様になっていてつい見入ってしまう。彼の纏う享楽的な雰囲気は、不思議と色気を纏っていてつい引き込まれるのだ。
するとすかさず隣にいた次兄のアンテルムが、アンガスの襟元を後ろにグイッと引っ張った。
「いい加減にしろ、アンガス! ワイアット陛下への差し入れを買いたいというからここまで来たんだぞ! それに“幼い”とはいえ殿下を呼び捨てに、ましてや口説こうとするなど言語道断っ!!」
信心深く真面目なアンテルムは、至極真っ当な事を言っているのだろうけれど、“幼い”というワードにあたしの片眉がついピクリと動く。
するとアンガスがチラリと流し目であたしを見て、ふと妖艶に口元に弧を描くとそのままアンテルムに視線を戻した。
「分かってないね、アンテルム。どんなに“胸が成長途中”で幼くともレディはレディ。それに殿下って呼ばれるのは一ミリもときめかないってテレーゼが言ってたし」
「なっ、む、ね……!? ときめ……お前という奴はっ!! こんな庇護対象である“幼女”にまでそのような事を……! 」
聞き捨てならないワードが次から次へと耳に飛び込んで来て、あたしは頬を膨らませて二人を睨み上げる。そんなあたしを見て、長兄のティムが苦笑いを零しながら言い合う二人の仲裁へと入った。
「あー……えーと、二人とも。その辺でやめておこうね」
彼は三人の中で、一番繊細なムード漂う落ち着いた雰囲気の王子だ。
だけどそんなティムの声にもあたしの怒りは収まらず、せっかく仲裁へと入ってくれたティムを押し退け、アンガスとアンテルムの間に身体を割り込ませると勢い良く二人の足の脛に蹴りを入れてやった。そして大きく息を吸い込む。
「悪かったわね! 胸が無くて!! 幼女で!! フンッ!!」
息を吐き出すのと同時に大声で叫んでやった。
……レノックスに失恋したてで、胸だって幼い事だって気にしてるのに!
ドスドスドスッと足音を響かせながらヤーノ市場を抜けるように歩き出したあたしは、腹が立つけれど客人だという事を思い出し、少し進んだ所でバッと後ろを振り返る。
するとアンガスとアンテルムは脛を抑えながらポカンとした表情をし、ティムは口元を押さえて視線を逸らしなんだか少しだけ肩が揺れている。
「え……本当に、あのワイアットの娘なんだよね……?」
「そ、そうだな。陛下とは些か性格が……」
何事かをブツブツ呟く二人と、いまだに黙って肩を揺らすティムに向かってあたしはもう一度大声で叫んだ。
「何してんのよ!! 父ちゃんに会いに行くんでしょ!? 三人ともさっさとついて来て!!」
父ちゃんの客人だし、王子だし、と少しだけ猫を被ってみたけれど、つい素の自分が飛び出てしまった。もう、こうなったら性格なんだからしょうがない。素の自分で行かせてもらおうと、三人の名前を呼び捨てにしながら城まで急がせた。
それから城までの道中、「ロマンチストなワイアットから超ワイルド……嫁はさぞ強いんだろうな」なんてアンガスがぼそりと呟いたから、「母ちゃんはみんなのアイドルだけど?」と呟きに答えると、「突然変異……!?」とアンガスが叫び出したので、あたしは彼の鳩尾辺りに頭突きをしてやった。
***
なんとか城まで辿り着いたけれど、父ちゃんは出掛けてしまっているようで、どうしようかな……と立ち止まって顔を上げると、三人にジッと見つめられて少し焦る。
「あ、えーっと……父ちゃんなら、一回昼頃には帰ってくると思うんだけど……」
つい怒りに任せて素を出してしまったとはいえ、やっぱり三人はかなりのイケメンで、見つめられるとドキドキしてしまうのだ。
「じゃあ、先に居室に失礼してしまって申し訳ないけれど、すれ違いがないようにこちらで少し待たせて頂こうかな?」
ティムが小首を傾げながら、あたしに同意を求めて来た。
あたしもそうしてもらおうと思っていたので、コクリと頷いて奥の間を指差す。
「待ってる間、母ちゃん自慢の花壇を見せてあげる!」
あたしがウキウキしながら奥の間に誘導しようとすると、アンガスが「みんドルの嫁は花を愛でる女性かぁ……良いね」と先程市場で買った花束を鼻に近づけて、妖艶に微笑む。その瞬間、彼は隣にいたアンテルムにスパーンッと頭を叩かれていた。
それから丁度みんなで奥の間に移動しようとしていた時、後方から「ウィルマリアさん?」と、父ちゃんの穏やかな声が聞こえてきて、あたしは笑顔で振り返った。
「あ! 父ちゃん! お帰りー!」
すると、ティムとアンテルムが慌てたように振り返り父ちゃんに深々と頭を下げた。
「お久しぶりです、ワイアット陛下。ご挨拶よりも先に居室に失礼してしまい、申し訳ございません」
ティムに続いてアンテルムも慌てて言葉を紡ぐ。
「すみません! アンガスが懐中時計を弄ったようで、今回はこのようなタイミングでの訪れ、失礼致します!」
二人の慌てように、父ちゃんは穏やかに笑ってこちらに近づいて来た。
「いや、そんなに畏まらないでくれ」
父ちゃんの言葉にゆっくり顔を上げた二人を見て、父ちゃんは嬉しそうに頷く。
「みんな、久しぶりだな。それに、道中無事でなにより。懐中時計の件も、オスキツ王から先に時空蝶で連絡を頂いていたから、受け入れ時空を事前に変更して港を開く事が出来たし、気にしなくていいさ。三人とも、ゆっくりしていくと良い」
そう言って、父ちゃんは三人を見てニコリと微笑んだ。すると、アンガスがズイッと前に進み出て、ニッと笑った。
「アンタ、あれからちゃんと結婚出来たんだ? やっぱオレの指導が良かったんだな」
ドヤ顔のアンガスの言葉に、父ちゃんは一瞬ポカンとした顔をしたけれど、すぐに大声で笑い出した。
「あははっ! アンガス君のアドバイス、実に有効に使わせて貰ったよ。お陰様で、私は運命の女性と結婚出来た。ありがとう」
父ちゃんは楽しそうに笑っているけれど、アンテルムは「このバカッ」と酷く引き攣った笑みでアンガスの襟元をグイッと後ろに引っ張っていた。
そんな中、あたしは父ちゃんだけが使える時空蝶に想いを馳せていた。
時空蝶とは、代々王家の人間、しかも王位継承者にしか伝わっていない特別な蝶で、違う時間軸を自由に行き来して手紙を運ぶ事が出来る蝶だ。
その蝶を使って父ちゃん達は、『現在』の並行時間軸の各国と合同会議等の連絡をやり取りしていたりする。
本来ならば『過去』の時間軸とのやり取りは禁じられているけれど、『過去』から『未来』への一方通行である手紙ならば受け取りは可能となっている為、今回三人は無事港を開いてもらう事が出来たという事だった。
「ウィルマリアさんも、三人の案内助かったよ。ありがとう」
そう言って、父ちゃんがあたしの大好きな笑顔でふわりと微笑む。
あたしは嬉しくなって「はーい!」と、父ちゃんの側まで駆け寄ると父ちゃんが優しく頭を撫でてくれた。
普段子供扱いが嫌いなあたしだけれど、父ちゃんのこの笑顔と頭を撫でてくれる温かい手は大好きで、この時ばかりは小さな子供のように嬉しさが溢れてふにゃりと笑ってしまう。
すると、後方からフッと吹き出すような笑い声が聞こえたので振り返ると、アンガスが楽しそうに花束を持って肩を揺らしているところだった。
「可ー愛いねぇ♪ 超ワイルドな女の子って、心を許した相手に対する態度のギャップが堪らないんだよねー」
アンガスの言葉に、無防備な自分を見られた気がしてぶわりと一気に顔が熱くなる。
すると、てっきりアンテルムがまたツッコミを入れてくれるのかと思いきや、笑顔のティムが物凄い素早さでアンガスの頬をつねっていたので驚いた。
そして今度は、父ちゃんが吹き出すように笑った。
「はははっ! レナの時もだったが、アンガス君もティム君も相変わらずで懐かしいなぁ」
「愚弟が度々恐れ入ります」
「いひゃいっれぶぁ(痛いってば)!」
ギャーギャー喚くアンガスの横で、ティムは爽やかな笑顔のままだけれど、アンガスの頬をつねる指は緩まないのを見て、あたしはティムだけは怒らせたらいけないとゴクリと唾を呑み込んだ。
***
あれから母ちゃんも帰ってきて、母ちゃんに近付こうとしたアンガスに、父ちゃんも混じえた総ツッコミがなされたのは言うまでもなく───。
父ちゃんのあんなに焦った顔を初めて見たなぁ……と思い出しては、クスクス笑いながらも眠りについた。
翌朝は、母ちゃんのウキウキした声と、甘いケーキの匂いで目が覚めた。
着々と成人に向けて自分の誕生日を迎える度に、ドキドキとワクワクがあたしの中で加速する。
今年はどんな誕生日になるんだろう、とふわふわした気持ちを胸にダイニングへと急いだ。
父ちゃんと母ちゃんにお祝いの言葉を貰ってニンマリ笑顔になる。
年に一度の誕生日は、普段と変わらない一日だとしてもやっぱり特別な日に変わりはなくて。
母ちゃん手作りのチョコレートケーキも美味しくて、素敵な一日になりますように──、とあたしはルンルン気分で外に出た。
外に出ると、白い塊がポツリとあたしの鼻に落ちてきて、あ……と空を見上げる。
エルネア王国では雪は積もらない。だけどその分、ハラリハラリと舞う雪は幻想的でとっても綺麗なのだ。
素敵な一日になりそうだ、と空に向かってにこりと笑顔を向けていると、「今朝も可愛いね」と甘いセリフをサラリと口にしながら、アンガスがこちらに向かって来るのが見えた。
流石モテ王子。
誕生日の朝一番に会いにきてくれるところや、今巷で大人気の星空の砂をプレゼントにチョイスして来るところは、思わず尊敬の念さえ抱いてしまう程だ。
これは確かに女の子にモテるだろうなぁと、プレゼントを受け取りながらも独身女性の面々が心配になった。
……ラザールもこのマメさを見習えばいいのに。まぁ、性格まで似て欲しいとは思わないけれど。
それから、学校が始まるまで王国内の至る所でお祝いの言葉やプレゼントを貰った。
その中にはアンテルムや、
ティムもいて。
ティムに至っては、昨日あたしが幼いという事を気にしていたのを気遣ってか、レディの嗜みである香水までくれた。でも、「ワイルドと享楽的、正反対のようで“足りない”ところが似ているんだよね。勿論、“可愛い”って意味で」と、意味深な事を爽やかな笑顔で言われたのだけれど、あれはどういう意味だったんだろう……?
オスキツ国王の王子達は、揃いも揃ってモテ要素満載で、暫くは国内の恋愛事情が騒がしそうだな、なんて思った。
***
学校の授業が終わって街角広場まで出ると、待ち合わせをしている恋人達で賑わっていて。
その中に、見覚えのある後ろ姿を見つけてドキリと心臓が跳ねた。
────……レノックスとベティだ。
まだまだ失恋の痛手から癒えないあたしの胸は、ぎゅうぅ、と締め付けるように苦しくなる。
今日は、あたしの誕生日で。
きっと良い一日になると思っていたはずなのに。
……なんだか一気に気分は沈む。
見なきゃいい、そう思うのに───。
思わずあたしの足は、レノックス達の後を追ってしまっていた。
グループデートなのか四人でワイワイととても楽しそうで、心では引き返したいと思うのに、身体がいう事を聞いてくれない。
これ以上見たら、……自分が惨めになるだけだ。
分かっているのに足は勝手に動いて、目は勝手に彼を追ってしまう。
───……何してるんだろう、あたし。
楽しそうにベティと笑い合うレノックスは、あたしなんかに気付いてはくれない。
悔しい───と、思う。
レノックスがあたしの成人を待っていてくれたら、レノックスにまだ恋人がいなければ、レノックスと同じ歳だったら────。
彼に恋人が出来てから、何度も何度も、そう繰り返し思った。
するとレノックスが、ふと顔を上げてこっちを見た。思わず目が合ってしまったあたしは、慌てて背を向けその場から逃げ出した。
***
幸運の塔まで走って来て、池のほとりで一息つく。
ぼうっと池を眺めていたら、あたしの後方で一生懸命告白する声が聞こえて来た。
チラリと視線を向けると、二人は想いが通じ合ったのか、照れながらも嬉しそうにお互い見つめ合っていて。
────いいな、と素直に思う。
どれぐらいその場に立っていたのかは分からないけれど、空が段々と暗くなって来た。そろそろ帰ろうかな、と顔を上げると、
「殿下」
と、今一番会いたくなくて、……でも、一番会いたいと想う人があたしを呼んでいて。
今すぐ逃げ出したいのに、彼から目が離せない自分がいる。
無言で彼を見上げるあたしを見て、レノックスは少しだけ困ったように、でもふわりと優しく笑った。
レノックスのぶっきらぼうだけれど優しい声に、あたしは思わず泣きそうになった。
誕生日──……覚えていてくれたのだ。
嬉しいのに苦しくて、泣きそうなのに泣きたくなくて。
レノックスはずるい───、と思った。
だって、こんな事されたら……あたしは彼を諦めきれなくなってしまう。
絶対に、絶対に使いたくはないと思っていた。
以前学校でみんなで盛り上がった「情念の炎」の話が……チラリとあたしの脳裏を過った───。