8.「王」になるということ(ウィルマリア編)
───どうしたらいいのか、分からなかった。
そんなあたしに出来ることは、一つだけ。
“ラザールと距離を置くこと”
今のあたしには、それしか思いつかない。
あの日からラザールを見掛けては、転移石を使って逃げての繰り返しで。
忘れたくても、そう簡単には忘れられない事ぐらい分かってはいるけれど、旅人のお姉さんと幸せそうに歩くラザールを見て、あたしの入る余地なんて無いのだと悟った。
それこそ、“情念の炎”なんて以ての外で。
アレを使ってでも手に入れたい相手がいたら、その時は──、なんて思っていたけれど、全く逆の気持ちなのだと気が付いた。
本気で好きだからこそ、絶対に使えないのだ。
……情念の炎を使うと、使った恋人同士の二人から大切な思い出の記憶を抜き取ってしまう事が出来るらしいと聞いたことがある。つまり意思操作して、二人を他人に戻す事が出来るという事だ。
レノックスの時は、使いたいと思う程の気持ちではないのだと思っていたけれど、そうじゃなかった。
彼は単純に憧れの存在であったからこそ使うまでもなかっただけで、本気で好きだと気付いたラザールには、絶対に使いたくないと強く思った。
良い子ぶっていると言われればそれまでだけれど、ラザールが……好きだった彼女との記憶を、スッパリ失ってしまうところは見たくない。ううん、本当はそれだけじゃない。
そんな事をしてまで彼の気持ちを自分に向かせる行為は、あたしの“プライド”が許さないのだ。
……そんな風に思いはしても、今はまだ失恋から全然立ち直れていないあたしは、ラザールから逃げる事で自分の心を必死に守っていた。
───それなのに。
掛けられた声に、一瞬草虫を握りしめたままフリーズしてしまう。
しまった、油断した……!
のんびりと何も知らないラザールが、あたしの側にしゃがんでふわりと笑った。
「やっと殿下を捕まえた」
「……っ!」
「ごめんね。殿下が私の事を避けている事は分かっていたんだけど……どうしてなのか、理由が知りたくて」
隣でラザールがハーブを摘みながら、眉尻を下げて遠慮がちにあたしの顔を覗き込んでくる。
至近距離で目が合った瞬間、頬に熱がじわりと集まるのが分かって、あたしは急いで顔を逸らした。
「そ、そんな事ないしっ! ラザールの勘違いでしょ!」
「んー……そうかな?」
「そうなの! あたしなんかの事より、大切な彼女の元にでも行きなさいよ! じゃなきゃラザール捨てられても知らないわよ!?」
ラザールには好きな人がいて、この恋は叶うことはない。そう分かっているはずなのに、こうして構ってもらえると嬉しくて、あたしが避けていた事に気付いてくれていた事にもなんだか心が浮き立ってしまう。
ドキドキしつつも、何故か急に黙り込んでしまったラザールをチラリと盗み見ると、ラザールは採取する手を止めてあたしをジッと見つめていた。
「なっ、何っ?」
恥ずかしさに慌てて採取を再開するも、気になってついラザールをチラチラみてしまう。
すると、ラザールが寂しげな表情で小さく笑った。
「いや、私にとっては殿下も“大切な友人”なんだけど……いや、しっかり者の妹?みたいな感じかな……? どちらにせよ、私にとっては殿下の事も大切な存在に変わりはないんだけどなぁ」
のんびりと、いつもの調子でラザールが言うものだから、ついピクリと身体が反応して採取する手が止まってしまう。
思わず掴んだガーブ草を握る手にギュッと力を込めてしまい、慌てて誤魔化すようにその場に立ち上がった。
「……し、失礼な奴ねっ。未来の女王を勝手に妹扱いしないでくれる? ラザールなんてイムのフンでも拾っちゃえばいいのよ。じゃぁね、ご機嫌よう!」
フン!っと、鼻を鳴らしてその場を離れようとすると、後ろからクスクス笑う声が聞こえてつい立ち止まってしまった。
チラリと肩越しに後ろを見ると、ラザールが楽しそうに笑っていたので、ムッとして「何よ!?」と振り返る。すると彼は立ち上がりあたしの側までくると、ガーブ草をドサリとあたしの手の上に乗せてふわりと笑った。
「やっぱり殿下は殿下だなぁと思って。……私はこの国が好きだよ、未来の女王様」
「は、はぁ!?ちょっ……何よこれ!?」
一瞬、彼の言葉の意味を測り兼ねて戸惑うも、ラザールの笑顔にドキリと胸が高鳴ったのを誤魔化すように、あたしは手の上に乗せられた沢山のガーブ草を見て非難の声を上げた。すると、彼は楽しそうに「今夜の献立にどうぞ」と笑うばかりだった。
***
───次の日の朝だった。
ラザールの言葉の“意味”を、あたしが理解したのは。
この国には、全国民に朝を告げたりその日の行事や出来事を伝える“伝心”という魔法がある。それも成人式のような、この国にかけられた大掛かりな魔法の一つだ。
その伝心が、……伝えたのだ。
ラザールの恋人であるクラリーチェがこの国から旅立ってしまったという事を。
あたしはガバリと起き上がり、すぐにラザールに会いに行こうとして…………結局やめた。
……どんなにあたしがラザールに詰め寄ったところで、結果は変わらない。二人のことは二人で決めるのであって、完全に部外者であるあたしが口出しなんて以ての外なのだ。
それに、きっとこれが……、
これが、ラザールと彼女が出した───答えなのだから。
そう思った時、ラザールの言葉があたしの脳裏をふと過ぎった。
自由に旅をする彼女が好きだと言ったラザール。
彼女をこの国に引き止める事は出来ないとしても、彼女についていく事は考えたはずだ。
だけど彼はこの国が好きだと言って、一人この国に残った。
きっと彼の中での葛藤は、とても、とても大きかった事だと思う。
それでもあたしは、
──どんなに最低だと思われようとも、この国を好きだと言ってこの国に残る事を選択したラザールに、心底ホッとしてしまった。
***
───あれからラザールとは会えないまま、あたしは成人式である今日を迎えた。
朝から母ちゃんはバタバタとあたしの準備に追われて、父ちゃんはあたしの成人式用に着替えた姿に穏やかに目を細めて───。
つつがなく式は終わり、あたしは今日、大人になった。
───だけど大人になれた事に浮かれて、あたしは全然気付いていなかった。……母ちゃんが朝からあたしの服装の準備に時間をかけていた意味や、父ちゃんが子供用の王冠をかぶるあたしを穏やかに見つめていた意味を───。
成人式が終わって、すぐに母ちゃんがバスケットを持ってあたしと父ちゃんをピクニックへと誘ってきた。
子供の頃はよく、叔父のサミュエルや叔母のレナ、じぃじやばぁば、その他の従兄弟達と一緒にピクニックへと出掛けていた。
でも今日は、母ちゃんが親子三人で行きたいのだと譲らなかった。
最初は、せっかくあたしが成人できたのだからみんなでワイワイしたいと母ちゃんに訴えていたけれど、釣りに夢中になる頃には三人で過ごす穏やかな日常がくすぐったくも嬉しくて。
釣った魚の大きさを競う父ちゃんと母ちゃんの姿に、本当に仲が良いなぁなんてほっこりもした。
昼食の時、母ちゃんが作ってきたサンドイッチをあたしが大口をあけて頬張ると、父ちゃんは「ワイルドだなぁ」と声を立てて笑っていたけれど、母ちゃんは「もう少し御淑やかにっ」と慌てて父ちゃんの笑い声を遮り嗜めていた。
成人してもそんないつもと変わらない風景に、あたしの頬も自然と緩む。
そう言って笑ったあたしに、父ちゃんも母ちゃんも優しく微笑んで頷いた。
***
翌朝、母ちゃんに無理矢理起こされてダイニングへと向かうと、ケーキが用意されていて自分の誕生日だった事を思い出した。
───今日からあたしも6歳だ。
確か、母ちゃんが父ちゃんと結婚したのも6歳だったと聞いた。そう思うと、なんだか感慨深いなぁなんて思いつつ席につく。
そう父ちゃんにお祝いの言葉をもらって、嬉しくてはにかんだ。だけど、すぐに父ちゃんの顔色の悪さに気付いてドクリ、と心臓が嫌に騒つく。
慌てて母ちゃんの方を見ると、母ちゃんはいつも通りの笑顔であたしにお祝いの言葉をくれた。
───母ちゃんは、この日を覚悟していたんだ。
だから、昨日。
三人だけで出掛けたいと言った。
頑張って準備したあたしの成人式の服装も、生涯父ちゃんが見ることが出来ないあたしの“晴れ姿”を見せてあげるためだったんだ。
だからあたしが女王になる時は、父ちゃんが崩御する時を意味する。
父ちゃんは、あたしの“晴れ姿”を生涯見ることは出来ない。ううん、父ちゃんだけじゃない。
この国を担ってきた代々の国王は、みんな自分の子供の晴れ姿を見ることが出来ない。それがこの国の決まりだからだ。
母ちゃんは、そんな父ちゃんに、あたしの晴れ姿をどうしても見せたかったのだ。それは父ちゃんが……もう長くないという事を───分かっていたから。
頭が真っ白になった。
この先もずっと、両親は揃ったまま、あたしも歳を重ねるものだと思っていた。
結婚して、子どもが出来て、そうしてずっと一緒に過ごしていくものだと……思っていた。
それなのに────。
***
気が付いたら居室に、父ちゃんと二人になっていた。
母ちゃんはいつも通りに過ごしていたけれど、父ちゃんの好きな料理を作るのだとヤーノ市場へと出掛けて行く時、目が赤くなっているのがチラリと見えた。
あたしも、泣くのを必死に我慢して、そっと父ちゃんの隣に腰掛ける。
すると父ちゃんが、あたしの方を見てふわりといつもの優しい笑顔をくれた。
その父ちゃんの笑顔を脳裏に焼き付けながら、あたしは両手をスカートの上でギュッと握りしめて俯いた。
「……父ちゃん、あたし、今日、6歳になったんだ」
ポツリと呟くように言ったあたしの頭を、父ちゃんは優しく撫でた。
「うん。……大きくなったね、ウィルマリアさん」
「……っ、あたしっ、今日っ、6歳に、なったのっ……」
堪らなくなって、もう一度、声を絞り出すように言って父ちゃんを見上げる。
すると父ちゃんは少し眉尻を下げて、それでも優しい穏やかな表情であたしの頭を撫でた。
「……うん。ごめんね、ウィルマリアさん」
父ちゃんのその言葉に、あたしはついに堪えきれなくなって、ぶわりと溢れた涙をボロボロ零しながら父ちゃんに抱きついた。
「あ、謝ってっ、欲しいんじゃ、ない……っ。もっとっ、もっと、父ちゃんと一緒に色んなことっ、したかったっ……! もっと一緒にっ、居たいよっ……! ガノスなんて行っちゃヤダよ……! あたしなんかじゃっ、まだ、全然っ、国王になんてなれないのにっ……!」
必死に、必死に父ちゃんをガノスから遠ざけるように掴んで、わあぁっと泣き喚く。
今、ここにある温もりが、消えてしまうなんて信じられない。
あたしには、まだ、何の覚悟もない。
成人したてのあたしには、まだまだこの国を背負うなんて荷が重すぎるのだ。
あたしが泣き喚く間、父ちゃんはずっと温かい手で頭を撫でてくれた。そしてゆっくりと、ホッとするような穏やかな声で言葉を紡ぐ。
「ウィルマリアさん、この国はね、国民みんなで支え合って出来ている国なんだ。だから、誰か一人に重責を押し付けるようなそんな国じゃない。みんながいて、私達王族が成り立っているんだ。そこを勘違いしてはいけないよ。……それに、ウィルマリアさんなら絶対に立派な女王になれるよ。だって、私とシャノンさんの子なんだからね」
ゆっくりと顔を上げて父ちゃんを見る。
そこには、幸せそうにふわりと笑った父ちゃんの笑顔があった。
***
その後、父ちゃんはみんなが見守る中、静かに、穏やかにガノスへと旅立った。
母ちゃんも、あたしも、いっぱい泣いて。
それでも、父ちゃんが幸せそうに笑って目を閉じたから、引き止める言葉は紡がなかった。
───翌朝、いつものように父ちゃんの分まで朝食の用意をしていた母ちゃんを見て、胸がギュッと苦しくなった。
父ちゃんは────もう居ない。
この国のどこを探しても、もう、どこにも……どこにも居ないのだ。
必死に明るく「間違えちゃった」と食事を片付ける母ちゃんを見て、今までは大きく見えていた母ちゃんの背中が、とても、とても小さく見えた。
───母ちゃんって……こんなに小さかったっけ……?
そんな母ちゃんを見て、これからは、“アタシ”が母ちゃんを守っていくんだ。そう、心に決めて。
肩を震わせてキッチンに立つ母ちゃんを、そっと後ろから抱きしめた。
***
父ちゃんに最後の別れを告げる為に、母ちゃんと葬儀に出席した。
───人は皆、遅かれ早かれいつかはガノスへと旅立つ日がやって来る。
だから、何気なく過ごしている一日を、大切に、大切に過ごさなければいけないのだ。
ガノスへ旅立つのが、自分であれ、相手であれ、アタシは絶対に後悔のないように過ごそうと強く思った。
……かつて父ちゃんが、そうしていたように───。
葬儀が終わると、みんな帰っていく中、母ちゃんはずっと父ちゃんの眠る墓石の前で佇んでいた。
王家の蜂蜜をギュッと握りしめたまま、「これ、料理に使うのワイアットさん好きだったの」と小さく呟きながら。
母ちゃんはアタシの前では明るく頑張ろうとするけれど、憔悴しきっているのは明らかで。
そんな母ちゃんに、アタシはある一つの仮説と共に、提案をしてみる事にした。
「あのね、母ちゃん───……」
***
アタシの提案に、戸惑いながらも了承した母ちゃんは、準備の為に居室へと戻って行った。
それからアタシは一人、父ちゃんの墓石の前に立つ。
そして静かに、───覚悟を決める。
───母ちゃんを、そして、この国を守る覚悟を。
戴冠式までの時間、父ちゃんとの思い出に浸っていようと墓石の前に佇んでいると、不意に後ろから声を掛けられて振り返った。
するとそこには、数日ぶりに会うラザールの姿があった。
「……殿下、」
「……久しぶり、ラザール」
ラザールの言葉に、また泣きそうになる。
だけどアタシは、グッと涙を堪えて顔を上げる。
そう。きっと、父ちゃんは、アタシ達がいつまでも悲しむのを望んでなんかいない。
前を向いて、未来に向かって元気に歩む事を願っているはずなんだ。
だからアタシは、もう立ち止まらない。
そう気持ちを込めてラザールへと小さく微笑むと、彼はふわりと優しく頭を撫でてくれた。
……だから不覚にもまた、泣きそうになってしまったんだ。
***
午後からはお城で戴冠式が行われた。
───もう、アタシは、弱音なんて吐かない。
父ちゃんの墓石の前でも誓ったんだ。
父ちゃんの意思を継いで、この国を守る女王になると────。
神官様が静かにアタシを見つめて言葉を紡ぐ。
「誓います」
アタシの決意のこもった返事に、神官様は優しく微笑んで頷いた。
ゆっくりと目を瞑り頭を下げると、代々受け継がれてきた王冠がアタシの頭にそっとかぶせられる。
その瞬間、その王冠の重みに、アタシの覚悟が魂に刻まれていくような気がした。
ゆっくりと目を開けて、しっかりと前を見据える。
───……アタシは、今日。
この国の“王”になったんだ───。
***
戴冠式が無事に終わり、外で待つ母さんの元へと走った。
小さく見えた母さんは、今度は別の意味で少女のように見えた。
母さんの旅立ちに相応しい、良く晴れた青空がとても眩しくて、アタシは自然と目を細めてしまう。
すると母さんが、心配そうな表情でアタシの顔を覗き込んできた。
「ウィルマリアちゃん、本当に大丈夫?やっぱり、」
「もう! だから大丈夫だって何度も言ってるでしょ! それに、何度も言うけど“この国で過ごす母さん”は残るんだから、気にすることなんて一つもないの!」
腰に手を当てて踏ん反り返るアタシを見て、母さんは穏やかに笑った。
───アタシが母さんに提案した事。
それは、“魂を分かつ祈り”だ。
この国では、生きたまま魂を分かつ祈りという儀式が存在する。
それは、その名の通り同じ魂を二つに分けて、二人の同じ人間が存在する事が出来るというものだった。
この国に信仰されているガノスという所は、死者の国というよりは、旅人として新しい国へと生まれ変わりをする場所だと聞いた事がある。そこへ行くにはやはり寿命を全うしなければいけないのだけど、ただ一つだけ“魂を分かつ祈り”に成功した者のみ、片方の魂が行くことが許されているという話しを聞いたことがあるのだ。
ただしその祈りは、不確定要素が多く成功例をいまだ聞いた事がなかった。
それにもし、成功したとしても、母さんが父さんと同じ世界の国に旅人として生まれ変われるとは限らない。
───だけど、何故かアタシには分かる。
母さんは、絶対に成功して父さんの居る場所へと転生出来るって。
母さんもその想いがあったから、きっとアタシの提案を受け入れたのだ。
祈りの儀式の場所はシズニ神殿の地下墓地。
ここにあるピンクの水晶が、多くの死者をガノスへと導くという。
ここでの祈りに成功したら、“この国に残る母さん”と転生する父さんと同じ国に“生まれ変われる母さん”とに分かれるのだ。
──
───
─────……
……───その後、勿論母さんは祈りに成功した。
アタシの目の前で魂が二つに分かれた母さんは、一人はこの国へと残り、もう一人は他の国へと旅立って行った。
……また今頃、どこかの国で二人でラブラブしてるんだろうなぁなんて想像しては、口元が緩む。
アタシも頑張らなくちゃ!とマントを翻して踵を返し、クスリと唇に弧を描いた。