19.誕生(シャノン編)
───春が過ぎて、夏を迎えて。
陛下と過ごす毎日が、ただ穏やかに過ぎて行く。
ここのところずっと、私より先に起きて陛下が朝ごはんを作ってくれる。
そんな愛しい人の背中を頬を緩めて見つめていると、陛下が不意に振り向き微笑んだ。
陛下の言葉に頷きながら、私はそっと優しく自分のお腹を撫でる。ふと、脳裏に子供の頃の自分が過った。
陛下の側にいたくて、早く大人になりたくて。
いつも、いつも──。彼の背中を追っていたあの頃。
時には私のわがままで、森の小道について来てもらった事もあった。
全てが懐かしくて、そして甘酸っぱくちょっぴりほろ苦い思い出。
そんな風に追いかけ続けた彼が、今、私の目の前にいる。
お腹を撫でる私の手に重ねるように陛下もそっと手を添えて、もう片方の手で私の頬を包む。トクン、と胸が高鳴ってそっと視線を上げると、蕩けてしまいそうな程に甘く微笑む陛下と目が合った。
***
それからの日々も、毎日穏やかに過ぎて。
朝食を食べたばかりだというのに、私を慌てて追いかけて来ては、「お腹の子もお腹が空いたら大変だから」と、度々手料理を持たせてくれる陛下に笑ったり。
またある時は、嬉しそうにまだ見ぬ子供のオモチャを買っては、ヤーノ市場をウロウロしている陛下を見かけたり。
穏やかな毎日に、幸せだなぁって思う。
今日は友人と薬師の森へ出掛けて帰りが遅くなったと慌てていると、丁度通りすがりだったのか陛下が何食わぬ顔で私を迎えに来てくれた。
だけどすぐに近くのキャラバン商店のカルロスさんが、ニヤニヤしながら陛下に声を掛けた。
「嫁さんやっと森から出て来たな!」
「……っ!」
え?と手を繋ぐ陛下を見上げると、陛下はサッと私から顔を晒してしまったけれど、髪から覗く陛下の耳がジワリと赤く染まって行く様に、胸がきゅうっと嬉しくて疼いた。
「……待っていて、くれたんですか?」
手を繋いではいるけれど、グングン前へと進む陛下の背中に抱きつきたい衝動に駆られながら言葉を紡ぐ。
「いや、……」
「?」
「………………うん」
やや間を置いて小さく頷くように答えた陛下の言葉に、口元がこれでもかという程緩む。
さっきよりも更に陛下の耳が赤くなるのが見えて、愛しさが募って握られている手をぎゅっと強く握り返した。
***
あれから更に慌ただしく毎日が過ぎ、あっという間に年末になった。
時と共に、お腹の赤ちゃんもきっと大きく成長しているはずだ。
エルネア王国の女性の身体には、赤ちゃんを守る魔法が掛けられている為傍目から見たら妊娠しているようには見えない。だからこそ、妊娠してもこの国の妊婦はみんな普通に出産するギリギリまで仕事や探索、時には試合に出たりも出来るのだ。
だけどこの国全体に伝えられる様々な魔法の力の代償で、この国の人間の成長速度はかつての三分の一にまで短縮され、命の長さも同様に儚いものとなっている。
最初こそ、この国の歴史をママに聞かされた時はショックだった。
けれど、プルト共和国からの移住であるママが言うには、一日の長さはエルネア王国の方が長いそうだ。それだけ、他の国よりも大好きな人と過ごせる時間が長いのは幸せな事だとママは教えてくれた。
ママの言葉を思い返しながら、ソファで優しくお腹を撫でているとポコっとお腹を思い切り内側から蹴られたような気がした。思わず嬉しくて急いで陛下の元へと走る。
陛下もとても嬉しそうに私のお腹にそっと触れた。
すると、まるで陛下を待ってたよ!と言わんばかりにポコポコとお腹が動いた。
「……流石、元テルジェフ家のお転婆娘の子だ」
「へ、陛下っ!」
「ははっ、元気そうでなにより」
プクッと頬を膨らませて抗議の目を向けると、陛下は楽しそうに私の頭をポンポンと優しく撫でた。
***
今年も今日で終わりだ。みんなに年末の挨拶をして回ろうと外に出ると、玉座の間で親友のフィービーちゃんがこちらに駆けてきた。
「ふふっ、お腹の赤ちゃん、お腹を蹴るようになったんだって?」
「え、あ、うん!そうなんだけど、どうしてそれ……」
「陛下が、嬉しそうに道行く人を捕まえては教えてたから♪」
えっ!?と驚いて、まだ玉座の間に居た陛下の方を見ると、更に他の人に嬉しそうに話をしている様子の陛下が見えた。
「……もうっ、陛下ったら、」
「何言ってんの、愛されてる証拠だよ」
フィービーちゃんの言葉に、嬉しくて素直に頷く。そんな私を見たフィービーちゃんも、嬉しそうに目を細めた。
そんな他愛ない会話で口元を緩ませつつ、また来年も宜しくね、とお互いに笑い合った。
***
ピチチチッ……───と、小さな鳥の囀りで目を覚ます。
今日から新たな一年のスタートだ。
朝の冷たい空気に肩を竦ませつつ、隣で眠る陛下をそっと盗み見る。
あぁ、このまま抱きつきたいなぁ……なんて思うけれど、陛下の寝顔も見ていたくてぐっと我慢する。
睫毛長いなぁとか、肌が綺麗だなぁとか、見ていて全然飽きなくて。
でもやっぱり触れたいなぁと陛下の頬にそっと手を伸ばすも、やはり起こしてしまうのが勿体無くてその手を引っ込めようとしたら、いきなり手首をグッと掴まれて驚いた。
「……っ」
「……あーあ、残念」
「!?」
「そのまま触れて欲しかったのに」
「へ、陛……ま、まさか起きっ……」
手首を握られたまま私が慌てて上半身を起こすと、陛下も同じように起き上がり、口の端をクッとあげて少し意地悪く笑う。そしてふわりとそのまま私を優しく自分の方へと抱き寄せた。
「うん、起きてた。おはようシャノンさん。今年も宜しく」
「……よ、宜しく、お願いします……」
そのまま陛下は優しく私を抱き締めると、髪にキスを落とした。陛下の発言や行動で瞬く間に自分の顔が熱を帯びてくるのが分かる。すると陛下はクスクス笑いながら私を離し、ゆっくりベッドから下りた。
「その服、とても似合っているよ。シャノンさんの努力の成果だね」
「あ……!」
今の今まで気付かなかったけれど、農場管理官の制服が支給されている事に気付いて驚いた。
この国は新年と共に、前年度の成果に合わせて組織が再構成される。その再構成時に各々の制服が魔法で届けられる仕組みだ。勿論、陛下や山岳兵の人達のように世襲制の人達はそのままだったりするけれど、一般国民は殆どの人が新体制となって新年を迎えるのだ。
新しい制服が嬉しくて、目を爛々と輝かせて隅々まで見回す。
この制服に恥じないよう今年一年も頑張ろうと顔を上げると、目を細めて優しく微笑む陛下と目が合って、なんだか更に嬉しくなった。
***
朝食が終わるとすぐに玉座の間で新年祝賀会が始まる。
今年は陛下と結婚して王族入りした私も出席者に名を連ねていて、王族やそれに連なる各組織の長と一緒に並ぶ。
その中にはママの姿もあって、私を見てニコリと微笑むママに緊張が少しだけほぐれた。
去年の今頃は、確か成人式の事で頭がいっぱいで。
僅か一年後に、まさかこんな風に私が王族としてこの場に居合わせる未来なんて想像もしていなかった。
勿論一般国民も祝賀会は参加出来るけれど、みんな早起きしなければいけない為参加者は少なくて。
だけどこうして、陛下に、この国に、この一年が良きものになるよう誓う事はなんだか誇らしくて、益々今年一年も頑張ろうと思えた。
翌日は、初めての仕事始めに参加した。
今からラダのお世話やギート麦の収穫、ポムの実の収穫など農場管理官ならではの仕事が目白押しでとてもワクワクする。
陛下の弟であるサミュエル殿下も同じ農場管理官の為、私の左隣の端にいるのが見えて嬉しくなった。
サミュエル殿下はご夫婦で農場管理官をされていて、昨日の祝賀会の時お二人が色々教えてくれると言ってくれたのだ。だけど陛下は、サミュエル殿下の奥様に聞くように、と何故か何度も私に釘を刺してきたけれど。
そして──今日は、待ちに待った出産の日。
朝からソワソワと落ち着かない気持ちを仕事始めや他の事で紛らわせていたけれど、いよいよ陣痛に襲われてベッドに横になった。
間隔をあけて襲ってくる陣痛に耐えながら目をつぶっていると、そっと背中を誰かに撫でられた。
ゆっくり振り返るとそこには心配そうにこちらを見つめる陛下がいて、陛下が側にいるという安堵感から私はまたゆっくりと目を閉じた。
陛下の優しい声が耳に届く。
痛みの間隔は段々と短くなってきているけれど、陛下が側にいると思うだけで心が落ち着いてくる。
私は少しだけ口元に笑みを浮かべてコクリと頷いた。
いよいよ陣痛の間隔がほぼ無いに等しいくらいになってきた頃、巫女のシルヴィアさんが居室に来てくれた。
それまで優しく背中を撫でてくれていた陛下も、私の苦痛な表情を見て少しだけ慌てていたようだけれど、すぐにハッとしたように私の側に跪き手をぎゅっと握ってくれる。
陛下の声と手の温かさに少しだけ表情が和らぐのが分かる。これでもか、というくらいの陣痛を乗り越えた瞬間、目の前がパッと一瞬明るく真っ白になった。あっ、と思った時には、成人式の時感じた温かな光に自分が包まれていて、既視感と共に懐かしさやホッとした気持ちが溢れてくる。
それと同時に元気な赤ちゃんの産声も耳に飛び込んできて、ホッと身体の力が一気に抜けていった。
そうシルヴィアさんに声を掛けられて、ゆっくり声の方へと顔を向ける。
そこには、陛下にそっくりなアッシュの髪に青い目をした娘が見えて、一気に目頭が熱くなってジワリと目の淵に涙が溜まっていく。
──……やっと、生まれて来てくれた、大切な……大切な、私達の新しい家族。
そっとシルヴィアさんから娘を受け取って、抱っこしてみる。小さくて、でもとても温かくて、嬉しくて幸せで。
目の前が滲んで見えなくなったと思ったら、ポロポロと涙が頬を伝って流れていく。
「……ウィルマリア、生まれて来てくれてありがとう」
私が娘を抱きしめながら呟くと、隣にいた陛下が「名前……」と驚いたように私を見た。
「ごめんなさい、勝手に決めちゃったりして。でも、女の子が生まれたら絶対にウィルマ様の名前を元に付けようって決めていたんです。ダメ……だったでしょうか?」
私の言葉に、陛下が驚いた表情をした後一瞬グッと目頭を押さえた。
でもすぐに瞳を潤ませたまま嬉しそうに破顔して、私とウィルマリア二人をふわりと抱きしめた。
「ダメなわけ、ない……。母も父もきっと、ガノスで喜んでいる。……ありがとう、シャノンさん」
陛下が潤んだ瞳で私とウィルマリアを見つめながら、私の涙をそっと指で拭ってくれた。
私達の会話を隣で聞いていたシルヴィアさんが、穏やかに声を掛けてくれる。
するとウィルマリアが嬉しそうにキャッキャッと私の腕の中で笑った。
嬉しくて、───……幸せで。
陛下を見上げると、陛下も穏やかにふわりと笑みを深めてくれた。
シルヴィアさんの優しい声にしっかりと頷くと、陛下がもう一度私とウィルマリアをふわりと軽く抱きしめた。
「……僕は、もう、この年だから……我が子を抱ける日が来るとは思っていなかった。甥や姪もとても可愛かったけれど、やっぱり自分の子は……格別だな」
抱きしめられている私の肩の上に、ポトリ──、と一雫落ちる。
「ふふ、早くも親バカですね」なんて口にしたけれど、私の目からも涙が溢れて来て、陛下の肩に顔を埋めるように擦り付けた。
これから陛下とウィルマリア、三人での生活が始まる。更なる幸福な未来に想いを馳せて、私の目からは更に涙が溢れた───。
18.新しい命(シャノン編)
─────翌朝。
眼が覚めると既に隣に陛下の姿は無くて、慌ててベッドから飛び起きた。
だけど同時にハッとして自分の服を見下ろす。
……良かった、ちゃんと服を着てる。
そこまで思ってまたハッとする。
昨日のアレは夢!?と、少しだけ服の胸元を持ち上げてチラリと覗くと、自分の胸にいくつもの紅い花が散りばめられている。そしてそれは、全て上手く服に隠れる部分となっていて、慌てて服を元の位置に戻した。
……夢じゃ、なかった。
私は昨日、陛下と──……。
昨夜を思い出して、ぶわりと顔が熱くなる。
だけど同時に、自分で服を着た記憶が全くない事に青褪めた。居室には私と陛下しか居ないのだ。自ずと誰が着せてくれたのかを考えると、一気に頬が上気する。
するとキッチンの方からガタッと小さい物音が聞こえて来たので、私は恥ずかしさを押し込めて慌ててダイニングの方へと向かった。
ダイニングに入るとキッチンに立つ陛下の後ろ姿が目に入って、思わず恥ずかしさに立ち止まってしまう。
一人暮らしが長かった陛下は、私なんかよりも断然料理が上手だ。
緊張と恥ずかしさから陛下に声を掛ける事が出来なくて、最初は後ろから背伸びをしつつそっと陛下の手元を覗き込んでいたけれど、身長差で中々手元が見えない。
意を決して、そっと陛下の服の裾を掴む。
少しだけ驚いた様子の陛下が、ゆっくり振り返ってふわりと笑った。
「おはよう、シャノンさん」
「お、おはよぅ……ございます」
みるみるうちに顔が真っ赤に染まっていく私を陛下は目を細めて見つめながら、とても大事なものに触れるかのように私の頭をふわりと撫でた。
嬉しさと愛しさで胸がぎゅっと疼く。
恥ずかしくて赤くなったのを誤魔化したくて、平静を装いつつ首を傾げて見せた。
すると続け様陛下が「シャノンさんは何が食べたい?」と、甘く微笑みながら私の頬にそっと手を添えてきた。
朝からとても空気が甘くて、ドキドキと胸が高鳴る。でも恥ずかしいけれど嫌ではなくて。幸せだなぁと思いながら「陛下が作ってくれるものなら何でも」と、はにかみながら微笑み返した。
***
あれから朝食を終えて、陛下は瘴気の森の視察へと出掛けて行ったので私も畑仕事に向かった。
ギート麦の収穫祭も無事終わったので、せっせと畑の水撒きに精を出す。野菜の収穫まであと少しかなぁ、と口元を緩めつつ来年は農場管理官を目指してみようかな、なんて思う。陛下の奥さんとして、恥ずかしくない働きをしたい。
屈んで植物を愛でていると、ポンポンと頭を撫でられた。
「頑張ってるね。お疲れ様」
その声を辿るように反射的に顔を上げると、優しく目を細める陛下と目が合った。
陛下がそこにいると思うだけで嬉しくて、思わず抱きつきたくなってしまう。なんだろう、陛下と今まで以上に『距離』が近くなった事で、自分の『好き』が溢れて止まらなくなる。
この人の為なら何だってしたい。
そう今まで以上に強く思う自分に、人を愛するってこういう事なんだろうなぁと改めて思う。
立ち上がってスカートの土埃を払った。
「視察はどうでしたか?」
私の問いに陛下は穏やかな表情で微笑み、今のところは大丈夫そうだと頷いた。その陛下の笑みに私も安堵する。
視察が終わったという事は、陛下は今度はどこに向かうんだろう、とチラリと視線を向けてみる。
この国の王である陛下はいつも忙しい人だから、視察や会議、催事などに引っ張りだこだ。わがままを言うならば、たまには一緒に出掛けたりしたいなぁなんて思うけれど、陛下に無理をさせてまでそんな事はしたくない。それにこうして陛下が時間の合間に会いに来てくれる、それだけで十分幸せだ。
すると陛下が、少し口の端を持ち上げて上目遣いで私の顔を覗き込んで来た。
突然の陛下の誘いに、目をパチパチと瞬かせながら陛下を見つめ返す。
結婚してから、こうして誘ってもらえたのは初めてかもしれない。嬉しくて勢いで頷きそうになりつつも、無理をさせてしまっていないだろうかと不安になる。
だけどそんな私の思考はお見通しとでも言うように、陛下が私の手をサッと握って繋いでいる手を持ち上げた。
「心配しなくても、今日の分の仕事はほぼ終わってる。それにいくら国王といえど、僕にも妻と出掛ける時間を貰う権利くらいはあるからね」
陛下に自分の事を『妻』と言われただけで頬がジワリと熱くなる。私が小さくコクンと頷くと、陛下が目を細めて甘く微笑んだ。
***
それからは時々陛下がデートに誘ってくれたり、私が誘ったりでゆっくりと数日が過ぎて。
二人きりの時の陛下は常に甘くて、何回一緒に出掛けてもいまだに慣れる事なくいつもドキドキと緊張してしまう。
夫婦になってからも、こうして一緒に出掛けられる事が嬉しくて。
──……そして夫婦になった今でも、こうして毎回ドキドキしてしまう私は、やっぱりいまだに陛下に恋しているのだと実感する。
***
今日の畑仕事も一段落して、自分のお腹を優しく撫でる。同時に陛下の顔が脳裏に浮かんで口元が緩んだ。今朝、気付いたばかりでまだ陛下には何も伝えていない。今朝は陛下が忙しそうにバタバタしていたのもあるからだ。
そういえば陛下は今日は午後から会議だと言っていた事を思い出した。
常に一緒にいて甘い陛下も大好きだけれど、仕事をしている時の陛下も格段にカッコいい。
一緒にいる時とは少し雰囲気が違ってキリッとした表情の陛下がふと見たくなって、遠くから見るだけなら良いよね、と評議会堂へと向かう事にした。
会議は既に始まっていたようで、議員の人達が意見を述べている声が聞こえてくる。
子供の頃、ママの会議の様子を見たくてそっと中に入った事を思い出して口元が緩む。
そういえば、ママも現在騎士隊長だし会議に参加しているはず……と、講堂の中にそっと入り込むと、目の前に飛び込んできた光景に一瞬息を飲んだ。
いつものように議員として席についているものとばかり思っていたママが、陛下の側でまるで陛下を支えるように議会を進行している。
二人が並んでいる姿に、チクリと胸が痛んだ。
なんでもない。仕事で一緒にいるだけだ。あのママの位置からしてママは議長になったんだ。
……そう頭では理解しているのに。二人が並んで仕事をしている姿から目が逸らせなくて、どうしようもない焦燥感に駆られる。
お腹を優しく撫でて、こんなネガティブな自分はダメだよね、と心の中で話しかけつつ窓の外へと視線を向けた。
二人はなんでもないのだと分かっていても、やっぱり二人並ぶと息が合っていてお似合いのように見えて悔しい。
後方から、陛下の議員へ向けた凛とした声が講堂に響いた。
そろそろ会議も終わるのかもしれない。そう思っても、ジッと見つめる窓の外から視線を動かす事が出来なくて、ぼんやりと外を眺め続けた。
どのくらいそうしていたのかは分からないけれど、不意に後ろから誰かが近づく足音がしてハッとする。
慌てて振り返ると陛下がいて、既に会議は終わっていたようで周りには陛下以外誰も居なくなっていた。
慌てて言葉を発しようとするも、陛下にジッと見つめられると頭が真っ白になって思わず口を噤んでしまう。
会議の見学に来たらいけないという決まりはないから怒られはしないだろうけれど、なんとなく気まずい。さっきまで隣にいたしっかり者のママを見た後に私を見て、親子でもこうも違うのかと残念がられていたらどうしよう。
何故か陛下が黙って見つめていたので余計に不安が募る。
けれどその私の不安を拭い去るように、陛下がふわりと笑った。
ドキリ、と心臓が跳ねた。
今の自分の不安を見透かされているようで、陛下に気を遣わせてしまう自分が情けなくて申し訳なさが募る。
いつまでも、こんな風に二人に不安を覚える自分が情けない。だけど陛下の誘いは嬉しくて、私はキュッと下唇を少し噛んではコクリと頷いた。
***
陛下が連れて来てくれたのは、花の咲き誇るニヴの丘だった。
丘に着くなり手を握ってくれた陛下は、私の顔を隣から覗き込むように見てふわりと甘く微笑み前に向き直った。
そんな陛下の行動一つで、単純な私は嬉しくて頬がジワリと熱くなる。
しばらく黙って景色を見ていると、陛下が隣でふと小さく笑った。
ニヴの丘についても黙ったままの私を気遣ってか、陛下が穏やかにそう言ってまた小さく笑った。
陛下に呆れられてしまうのは怖い。ママと比べられてしまうかもしれないと思うのも怖い。だけど、自分の今の気持ちはしっかり伝えたいと思う。
「──……私は、陛下が大好きです。どんな陛下も、大好きです」
何の脈絡もなく、前を向いたままの突然の告白に驚いたように陛下はこっちを見たけれど、すぐに小さく吹き出すように笑ったかと思ったら私の頭を撫でつつ大きく頷いた。
「うん。知ってる」
そのあまりに直球な返しに思わず陛下の方を見ると、目尻が薄っすら赤くなっている陛下と目が合った。
「小さかった君が、いつも必死に僕の後を追ってくれていた事も、知ってる」
あの頃の自分の行動がバレていると分かってはいても、改めて言葉にされるとやっぱり恥ずかしくて。
そっと視線を逸らそうとすると、右頬に手を添えられてクイッと優しく陛下に顔の位置を戻された。
「……小さな君も、大きくなった君も。全部。どんなシャノンさんでも、この先ずっと愛していると誓おう」
目を細めて愛おしそうにこちらを見つめる陛下の瞳に、吸い込まれてしまうのではないかと思う程意識を奪われる。
───幼い自分は嫌。大人の女性になりたい。物分かりの良い奥さんになりたい───。
そう、思うけれど。
……思っていた、けれど。
きっとそれは『今』の私が私で無くなるという事。
色んな感情や色んな経験を経て、『今』の私がある。だから私は今のままで良いんだよ、今の私が良いんだよって、そう、陛下に言ってもらえている気がして心がふんわり温かくなる。
勿論、我慢するべきところはしなければいけないけれど、こうして包み隠さず自分の心を曝け出したら陛下はこうして応えてくれるから。
だから何でもないのだとママとの関係を否定されるよりも、私の心に強く響いて触れてくる。
陛下の今の言葉で、私の不安は全て消し飛んだ。
知らぬ間に流れていた涙は、陛下の指先へと拭われて消えていく。
私の目を見て陛下は穏やかにそう微笑むと、ふわりと触れるだけのキスをしてくれた。
***
その後陛下と居室まで戻り、鎧やマントを外す陛下の側でついモジモジしてしまう。
陛下はどんな反応をするだろうと、少しだけ不安もあるけれどやっぱり早目に伝えたくて、ぎゅっと陛下の服の裾を勢いよく掴んでしまった。
「え、わっ!……シャノンさん?」
急に服を引っ張られた事で不思議そうに首を傾げて振り向いた陛下に、ドキドキと心臓は加速する。
キュッと手のひらに力を込めて握りしめた。
陛下が心配した表情で見つめ返してくるので、少しだけ怯んでしまう。
だけど、今、伝えなきゃ……!
いざ口にしようとするとなんだか恥ずかしくて、勢いよく両手で顔を覆ってしまった。
私の言葉に、陛下は一瞬状況が読み込めないというように目を瞠って固まっていたけれど、すぐ様嬉しそうにそして少し早とちりな内容の言葉を矢継ぎ早に紡ぐ。
だけど徐々に状況を理解し始めたのか、私をふわりと優しく抱きしめた。
「すまない、……あまりにも嬉しくて。あまり力は込めないから」
そういって陛下は私を優しく両腕で包み込む。
その気遣いが嬉しいやらなんだか可笑しいやらで、私は小さく吹き出した。
「……強く抱きしめても平気ですよ?エルネア王国の女性には、赤ちゃんを守る魔法がお腹にかけられていますから」
そういってお腹を小さく撫でると、そっと私を離した陛下も、愛おしそうに私の手の上からお腹を撫でた。
新しい命に、優しく語りかけるように───。
17.夫婦ケンカと本音(シャノン編)
私の手を引いて歩きだしてからは、何故か陛下はずっと無言で。
その理由をいくら考えても、私のこの格好が原因だとしか思えない。
……そんなに、変だったのかな……。
いや、違う。
きっとあまりにも、王妃としての自覚が足りない格好だったからだ。
……慣れない事なんて、するんじゃなかった。
陛下に手を引かれ歩きながら、後悔という名の波が怒涛のように押し寄せてくる。
だけど同時に、拗ねた心も顔を出す。
陛下に、……見て欲しかっただけなのに。
それなのに陛下は、私の服装には一言も触れないどころか、多分ほとんど見てくれてもいない。
居室に着くと、陛下は小さく溜息をついて私の手を離した。そして振り返りもせず、自分のマントや鎧を外していく。
陛下がこんなに不機嫌なのは初めてで、どうしたらいいのか分からなくてついオロオロしてしまう。
「あ、あの……、陛下……?」
「……」
私の問い掛けに、陛下は無言で視線を向けてそしてすぐに逸らした。
「……着替えてくるように」
その陛下の言葉を聞いた瞬間、一気に冷や水を浴びせられたかのように自分の体温が下がって行くのが分かった。けれど同時に、ジワリと目の淵に涙が溜まり、悲しさと悔しさ、そして怒りが沸々と湧いてくる。
いつもの自分だったら、絶対に陛下に言い返す事なく着替えて来ていただろう。
けれど今日は。
自分でもコントロール出来ないくらい、怒りが増して来て抑える事が出来ない。
「……どうしてですか?どうして着替えて来なくちゃいけないんですか?」
「……どうしてって、……理由を言わなきゃ分からない?」
私の反抗的な態度に、陛下は一瞬驚いた様子だったけれど、すぐに呆れた表情で小さく溜息を吐いた。
陛下に対してこんな好戦的な態度を取ったのは初めてで、だけどこんなに不機嫌な陛下も初めてだ。
「わ、私は……!陛下に見て欲しくて……!」
「……へぇ?僕に?それにしては、みんなの注目の的になっていたようだが」
「そ、それはっ、だって、陛下は遺跡の中だったし、早く、見せたくて……それで……」
「前にも似たような事を言ったはずだ。君はあまりにも異性の目を気にしなさ過ぎる」
「い、異性の目って……、わ、私はっそんなつもりじゃっ、」
「ほら、それだ。君にそのつもりは無くても、周りは違う。周りにどんな風に見られていたのか、気付いていなかったのか?」
「……っ」
陛下と押し問答の末、ジェイミーさんの言葉が脳裏を過った。
きっと、陛下の言葉が正しいのだ。
だけど私は、ただ陛下に早く見て欲しかっただけなのにという気持ちが強くて、どうしても素直に謝ろうとは思えずに押し黙った。
しばらく部屋には鉛のような重い空気が立ち込め、その重苦しい沈黙を破るように陛下が小さく溜息を吐きながらベッドに腰掛けた。
ズキリ、と胸が痛んで目に涙が滲む。
───……ただ、見て欲しかっただけなのに。
陛下が喜ぶんじゃないかって、少しは色っぽく見えるんじゃないかって、そしたら陛下もその気になってくれるんじゃないかって───。
どうして……こうなっちゃうんだろう。
ドレスの裾をギュッと握りしめ、涙が溢れそうになるのを必死に堪える。
ベッドにそのまま横になる陛下を見て、
……今日はもう、一人で寝よう。
と、無言で隣の部屋へと移った。
鏡の中に映る自分の姿を、ジッと見つめる。
夫婦として、陛下と仲良くしたいだけだったのになぁと思うと、ポロポロと涙が頬を伝った。
ただ、ただ、……悲しくて。
陛下に見てもらえないなら、こんな格好していたって何にもならない。
服の袖で涙を拭いながら、いつもの服へと着替えた。
ゆっくりベッドに腰掛けて、細く長い溜息を吐く。
───……同じ家の中に、いるのに。隣の部屋には陛下が……いるのに。
一人で眠る寂しさに、気持ちは重く沈んでいく一方で。
だけどこんな風にケンカをしてしまった手前、今更隣に眠るのは気まずくて。
それこそ、私が寝た事によってベッドを移られでもしたら立ち直れない。
自業自得とは言え、寂しくて目に涙が溜まる。
……明日の朝には、やっぱりちゃんと謝ろう。
そう思いながら、そっとベッドに横になった。
陛下と一緒に寝たのは昨日が初めてだったはずなのに、一人で眠るのが既にこんなに寂しいと思うなんて───。
枕にグッと顔を押し付けて、無理やり目を閉じた。
だけど中々眠る事なんて出来なくて、寝返りを打とうとしてコツリ───、と聞こえた物音に、思わず動きを止めて耳を澄ませた。
静かにだけど、こちらに近付いてくる足音がする。
目を開けようかどうしようか迷ったけれど、なんとなくそのまま寝たふりを決め込む事にした。
すると近くまで来た足音は私の側でピタリと止まると、しばらくこちらの様子を窺っていたのか、不意に温かい手が額に少し触れ、そのままふわりと髪を優しく撫でられた。
───……この、優しくて温かい手は、紛れもなく陛下だ───。
ドキドキと、全身が心臓になってしまったかのように鼓動が煩くて。
最初に寝たふりを通したばかりに、今更目を開ける事も出来なくて、必死にすぐ側にいる陛下の気配に集中する。
本当は、今すぐにでも目を開けて抱きつきたいと思ったけれど、緊張で中々目を開けられそうにない。すると、ふっと髪を撫でていた手が離れてしまった。
……どうしようっ……陛下が行っちゃう!
今度こそ意を決して目を開けようとすると、私の眠るベッドの足元がギシ───、と小さくスプリングが軋む音がしたので、ドキッと心臓が飛び跳ねそのまま更にギュッと強く目をつぶってしまった。
え? え!? 嘘……!?
混乱して胸がドキドキ煩い中、陛下が私の隣に横になるのがベッドの沈みで分かる。
陛下がわざわざベッドを移ってまで、私の隣に寝てくれた事がどうしようもなく嬉しくて。
緊張で心臓の音が一際大きくなる中、どのタイミングで陛下の方を向こうかと必死に思考を巡らせていると───、
「──……さっきは、言い過ぎた。すまない」
と、陛下が静かな空間に溶け込むようにポツリと言った。
ドキドキと心臓はいつになく煩くて、だけど同時に瞼の裏にジワリと涙が広がるのも分かって。
私は堪らずそっと目を開けて、恐る恐る身体を動かし陛下の方を振り向く。
「………陛、下、」
声が震える。
なんと答えるのが正解なのか分からなくて言葉に詰まっていると、衣擦れの音と共に陛下も私の方へと体の向きを変えて、小さく両手を広げふわりと優しく笑った。
「……おいで、シャノン」
陛下のその言葉でついに私の涙腺は崩壊し、陛下の腕の中へと勢いよく飛び込む。
「ごっ、ごめんなさい……っ、ごめんなさいっ陛下っ……」
陛下の胸に顔を埋めながら、ぎゅっと陛下の服を握りしめて抱きついた。
すると陛下が、私を緩く抱きしめてくれながら、ポンポンと宥めるように優しく一定のリズムで背中に触れる。
「……いや、僕が狭量過ぎるのがいけないんだ。自分でもあまりの余裕のなさに……驚いた」
少し自嘲気味な声のトーンが気になって、そっと顔を上げて陛下を見ると、ふと力無さげに笑った陛下が額をコツリとくっつけて来た。
陛下の顔があまりにも近過ぎて、緊張で呼吸が上手く出来ないどころか涙も一気に引っ込む。
「僕は……君が思っている程、出来た大人じゃないんだ。国王なんて立場にいても、……好きな人を常に独占したいという欲にまみれている」
つい、驚きで目を見開く。
すると陛下は、目を細めて小さく笑った。
「そうじゃないかと思った。シャノンさんは大方、僕が怒っていたのは、服装が王妃らしくないだとかそんな理由だと思っていたんだろう?」
「……え、あの、違うんですか?だから着替えてって……」
「違う。……今、言ったのが本音で、全て。僕は君を常に独占したいと思っているし、他の異性にシャノンさんの肌を見せるなんて言語道断」
陛下の予想だにしない言葉に、ジワリ、と一気に熱が顔に集まるのが分かる。
「え、あの、」
「妻のあんな格好を自分以外の男に晒されて、穏やかでいられる男はいないと思うが」
陛下が私から額を離して、至近距離で目を細めながら私の両頬をふにっと軽く摘んで笑った。
「ご、ごめんなふぁい……」
陛下の想いが聞けて、嬉し過ぎてつい気も緩んでしまっていたけれど、更に頬を摘まれているからか上手く言葉が紡げなくて、間の抜けたような謝罪に陛下がクッと笑った。
「そうだな……じゃあ、シャノンさんからのキスで今回は仲直りとしよう」
「……っ!?」
まさかの発言に、思わず目を見開いて固まる。
すると陛下は楽しそうに私から手を離して、すぐに仰向けになって目を閉じた。
「え、あの、陛下……?」
「さぁ、どうぞ」
「えっ!?や、あのっ、」
「ほら、早く」
慌てて陛下は本気なんだろうかとジッと見つめるも、目を閉じたまま口元だけが少し楽しそうで。
真意が掴めないと思いつつもつい口元をジッと凝視してしまい、ブワッ、と効果音でも付きそうなくらい顔が一気に真っ赤に染まる。
……自分から抱きついた事はあっても、キスだなんてそんなハードルが高い事はまだ一度もない。
だって、いまだに陛下にされるキスでさえ心臓が止まってしまいそうな程ドキドキするのに……!
そう思いつつも、だけど……と、すぐ隣で目を瞑る陛下をチラリと見て、衝動的に触れたいと思っては目を逸らす。
───……触れたいし、触れてほしいとも思う───。
もう一度、視線をそっと陛下へと向ける。
指の先まで心臓になっているんじゃないかってくらいドキドキして、心音と共に揺れてさえいる気がしたけれど、触れたい衝動には敵わなくてその手をそのまま陛下の頬へとそっと伸ばした。
それでもまだ、陛下は目を閉じたままで。
自分の心臓の音だけが耳に響く中、ゆっくり顔を近づけ目を閉じて───ほんの少し掠める程度にそっと唇を付けた。
それだけで、一気に自分の中が喜びで満たされていく。
達成感による喜びと、陛下に触れられた嬉しさでそのまま顔を離そうとするも───、グッと後頭部と背中に手を回されて、あっ、と思った時には既に視界が反転していた。
「……っ陛、」
「可愛いとは思うが、これではいつまで経ってもキスより先には進めそうにないな」
「……っ!」
「……大丈夫だ。無理には進めない。ただ、キスの仕方はもう少し覚えようか」
仰向けになる私の上で、覆いかぶさるように見下ろす陛下がそう言って少し意地悪く笑う。
だけど私は、今にも壊れそうな程鳴り響く心臓を更にドキドキとさせながら、近付く陛下の口元を両手で必死に塞いだ。
「……」
「……」
「……シャノンさん、この手の意味は?」
「あ、あのっ、私っ……、」
緊張とドキドキで、手も声も震える。
だけど“今”伝えなければ、と必死に言葉を紡ぎ出す。
「わ、私……は、その、そのさ、先を、の、のぞ、望んでいま、す……?」
「……」
「あ、あれ?なんか私、今、言い方を間違っ……」
一瞬私の真上で陛下がポカンとした表情をしたかと思ったら、今度は突然勢いよく顔を背けて吹き出した。
「ぶっ、クククッ、あははっ!」
「……!」
急に吹き出した陛下に驚いて今度は私がポカンとしていると、「すまない」と笑い涙を拭いながら陛下が目を細めて愛おしそうに私の左頬に手で触れてきた。
「はぁー……もう、なんだこの可愛い生き物は」
「……いっ、いきも……!」
恥ずかしくて反射的に言い返そうと口を開くと、その言葉の先を陛下の唇で塞がれた。
……陛下とはこれまで何度もキスして来たけれど、やっぱり私はいまだに慣れずにドキドキしてしまう。だけど、言葉で伝えきれない感情まで唇を通して伝えられる気がして、陛下の首の後ろへと腕を伸ばしてぎゅっと抱きついた。そうする事で、更にキスが深くなる。
──好き。
好き、好き、───陛下が大好き。
どうしたら、この言葉に出来ないもどかしい想いまで伝える事が出来るんだろう。
深く繋がる唇は、溺れてしまったかのように貪欲に陛下を求める。絡め取られる舌が心地良くて、もっと、もっとと深くなる。
だけどそれも、陛下が唇を離してしまった事で終わりを告げた。
「……今日はここまで」
そう言って離れようとする陛下の手を、夢中でぎゅっと掴んだ。
まだ、もっと───。
もっと、陛下に触れていたいし、触れて欲しい。
そう、想いを込めて陛下を見つめる。
陛下も視線を伏せるようにして上から私をじっと見つめ返していて、その伏せられた睫毛の長さにどうしようもなく色気を感じて胸が高鳴った。
「……途中で、止める事は出来ないと思う」
それでもいいか?──そう、問われている気がして。
私は掴んだ陛下の手に、自分の指を絡めてゆっくり頷いた────。
16.『好き』のその先は(シャノン編)
いつもは厳かな雰囲気の神殿も、結婚式ともなると人々のざわめきであちらこちらから話し声が聞こえてくる。
いよいよ、今から結婚式。
陛下と二人、静かに神殿の入り口に立つも、先程から緊張で何度も深呼吸を繰り返してしまう。
すると頭をふわりと優しく撫でられたので見上げると、眩しそうに目を細めて微笑む陛下と目が合った。つられて自ずと私の唇もふわりと弧を描く。
昨日まであんなに不安だった自分が、嘘のように今は心から幸せだと思える。
───長い、長い、私の片想いが……今、夫婦という形で結ばれる。
神官様の声にビクリと一瞬肩を揺らして、陛下と共に祭壇の前へと進む。
私達が入って来たと同時に、少しだけ騒ついていた神殿の中が一気に静まり返った。
その中には親友のフィービーちゃんや、多くの友人達の姿も見えて。嬉しさと緊張で少し固まった脚を、必死に前へと出して動かした。
神官様の穏やかな声だけが響く中、誓いの言葉を二人で立てる。
陛下の凛とした良く通る声に、心が震えて目に涙が滲んだ。
同時に、昔の思い出が脳裏を過って……、
……胸が、幸せで満たされていく。
本当に、本当に、……私は陛下の「お嫁さん」になれたのだ。今にも涙が溢れて来そうな私に、陛下が優しく笑って囁くように言った。
────どんなに、この瞬間を夢見たか分からない。
……ずっと、ずっと小さな頃から陛下の事だけを見てきた。誰よりも陛下のそばに居たいと、陛下を支えられる存在になりたいと、願って来た。
それが今、現実になったのだと思うと、必死に堪えていた涙がやっぱりポロポロと溢れて来て。
私は嗚咽を漏らさないように、必死にコクコクと頷き陛下を見上げて腕を伸ばした。
───リーン、ゴーン……と、王国中に幸せな鐘の音が響き渡る。
今日から私は、「シャノン・テルジェフ」ではなくて、「シャノン・ガイダル」だ────。
***
あれからみんなに囲まれ祝福の声を掛けて貰いながら、陛下と二人で『二人の』居室へと戻って来た。
今日から私が帰る場所も、陛下と同じ。
そう思うと、ワクワクするような、ドキドキするような、落ち着かない気持ちで部屋中を意味もなく歩き回ってしまう。
そこに「シャノンさん」と陛下に声を掛けられて、ビクッと大袈裟な程肩を上げてしまい、「はぃ!?」と返事をする声がつい裏返った。
「ははっ。緊張し過ぎ。そんなに怯えなくても、誰もいきなり取って食べたりはしないよ」
「……は、はぃ……」
陛下の後ろに見えるベッドをチラリと見て、ジワリと頬が熱くなる。
……は、恥ずかしい。
これでは“そういう事”を私が想像して、ソワソワしていたのがバレバレだ。
勿論、陛下と“そういう事”をしたくないわけじゃない。でも、まだ流石に昼間という事もあって、心の準備が出来ていない。
いや、でも、陛下に誘われれば昼間でも……。
そんなふしだらな事を考えていると、ポン、と頭を急に撫でられて、またビクッと過剰に反応してしまった。
「……ハーブでも、摘みに行こうか?」
私の反応に少し遠慮がちに、でも陛下は柔らかく微笑んで小首を傾げた。
気を遣わせてしまったと思ったけれど、陛下のその言葉に思わず安堵の表情を浮かべて頷いてしまった。
……うん。夜はまだまだ先なのだ。その間にしっかりと心構えをしておこう。
そう思いなおして、私は陛下の後を追って居室を出た。
***
二人で夕食を終えると、さっきまでは饒舌だったにもかかわらず、途端に緊張に襲われて口を噤んでしまう。陛下は元々そんなにお喋りというわけではなかったので、黙っていても普通だけれど私の態度は明らかにバレバレだろう。
徐に陛下がテーブルに頬杖をついて、私の方をチラリと見た。
その視線に気付いて、ジワリと耳まで熱くなる。
すると陛下が、ガタリ──と椅子を引いて立ち上がったので、いよいよか……!と思わず目を泳がせてしまった。
だけど一人ソワソワする私の頭を、陛下はポンと一撫ですると「おやすみ」と言ってすぐに離れて行ってしまう。
……え?え?……あれ??寝ちゃうの……!?
一瞬呆気にとられて動けずにいたけれど、すぐに慌てて私も立ち上がった。
「陛、あ……ワ、」
なんとか恥ずかしさを押し込めて、陛下を引き止める。
自分から誘うなんてはしたないと思うけれど、今日はなんといっても新婚初夜だ。それに陛下は、怯えてしまっていた私に気を遣って、何もしてこないだけなのかもしれない。
緊張はするけれど、どうしてももう少し一緒にいたい事を伝えたくて、視線を彷徨わせつつスカートの裾をギュッと握った。
だけど勇気を総動員しても、恥ずかしい事に変わりはなくて、陛下の視線に耐え切れなくなり両手で顔を覆ってしまった。
言ってしまった後に、しまった……!と沸騰したように体温が一気に上がる。
いくらなんでも直接的に言い過ぎた……!
そうじゃなくてっ!と言おうとして、でも結果的にはそういう事なのだと思うと、中々次に繋ぐ言葉が出てこなくて焦る。
すると、陛下は一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐに苦笑いを零して私の頭をポンポンと優しく撫でた。
そう言われた瞬間、なんとか返事を返しつつも頭の中が真っ白になった。
陛下の言葉に、言い様のないショックを覚える。
……これって、断られた……って、事、だよね……?
呆然と固まる私の頭を陛下は優しく引き寄せると、額にふわりとキスを落として柔らかく微笑んだ。
「焦らなくていい」
ドキリと心臓が跳ねて、でも同時にきゅうっと胸が苦しくなった。
緊張をしているのは確かだけれど、私は陛下に触れたいと思うし……触れてほしいとも思う。
けど、その想いはどう伝えれば伝わるのかが分からなくて、もどかしい感情に歯痒くもある。
陛下はもう一度優しく私の髪にキスを落とすと、隣の寝室へと行ってしまった。
気持ちのやり場に困って、少しだけ時間を置いて隣の寝室に向かうも、既に陛下はベッドに横になっていて。しかも規則的な小さな寝息も聞こえてきた。
そっと陛下の寝顔を見つめる。
緊張はしていたけれど、期待していただけに陛下が先に寝てしまった事のショックは殊の外大きくて。
今日は疲れていたのかな、とか。私がまだ怖がると思って遠慮してくれているのかな、とか。ポジティブに考えたいけれど、もし、そうじゃなかったとしたら……?
そんな事ばかりが頭の中をぐるぐる回って、モヤモヤは一層強くなる。
そっと陛下の隣に横になるも、渦巻くモヤモヤ感は拭いきれなくて。
陛下の綺麗な寝顔を見つめながら、そっと寄り添って目を閉じた。
***
翌朝目が覚めると、既に陛下は起きていて。
しまった……!と慌ててキッチンへと向かう。
すると既にテーブルの上には美味しそうなマナナサンドが用意されており、陛下がイム茶を手にニッコリと微笑んだ。
「おはよう、シャノンさん」
昨日はモヤモヤで中々寝付けなくて、つい寝過ごしてしまった自分を恥ずかしく思いながら、「お、おはよう、ございます……」と、返事をしつつ席に着いた。
ゆっくりと二人で朝食をとりながら、チラリと陛下を盗み見る。
朝食を食べ終えた陛下は、イム茶を片手に報告書の書類に目を通していた。
爽やかな雰囲気はいつもと変わらないけれど、同じ家で、一緒に朝食をとっている事にジワリと嬉しさが胸に広がってくる。
すると私の視線に気付いた陛下が、チラリとこちらを見てふと目を細めて微笑んだ。
「シャノンさん、ここ、跳ねてる」
「……っ!!」
陛下の指摘に慌てて両手で髪を押さえるも、恥ずかしすぎてその場に留まっていられなくて、寝室の鏡の前へと走った。
恥ずかしい。けど、そんな些細なやり取りさえも嬉しくて、頬が自然と緩む。
しばらく鏡とにらめっこをしていた私の元へと陛下がやって来て、「魔銃師会に用があるから、先に出掛けるね」と声を掛けてきたので、慌てて「あ、はい!行ってらっしゃい!」と叫ぶと、陛下が目を細めて嬉しそうに笑って出掛けて行った。
***
……うーん。どうしよう。
かれこれマツリさんの衣料品店前で、私は一刻程悩み佇んでいた。
昨日あれから眠れずに考えた結果、私に色気が足りないからじゃないかと思い、少し大胆な衣装に着替えてみようと考えて、今に至る……のだけど。
困った事に、マツリさんに一番セクシーな衣装を尋ねてみたところ、今私の手元にあるコレなのだと力説されてしまった。
けれど、流石にこれは露出が多過ぎるのでは?と悩んでいると、マツリさんに「この衣装でムラッと来ない男性はいないと思います!」なんて言われてしまっては、買わざるを得なくて。
頬を染めつつ代金を払って衣装を受け取ると、私は急ぎ足でお城へと戻った。
……お、お腹……お腹が丸出しすぎて、猛烈に恥ずかしい。
早速陛下が不在のうちに着替えてみるも、どこもかしこも肌が出まくりで、スースーしてなんとも落ち着かない。だけど煌びやかな刺繍や装飾は物凄く凝っていて、南国の王侯服だと言われれば納得の代物だった。
口元を覆うこれで、お腹を隠せたらいいのに……なんて一人呟きながら、陛下を探しに行こうと玉座の間へと出ると、学生時代仲の良かったレノックス君が声を掛けてきた。
少しだけ緊張しながらそう聞いてみると、レノックス君はニッコリ笑って頷いてくれた。
小さくても、レノックス君だって男の子だ。
褒められればやっぱり嬉しくて、私は少しだけ自信を付けて城下の方へと向かった。
この姿でウロチョロするのも、周りから浮いて見えてやっぱり恥ずかしいので、手っ取り早く陛下に会いに行こうと導きの蝶を取り出す。
けれど行き先が旧市街跡になっていたので追いつく事が出来ず、遺跡の外でポツリと立って待っていると、ジェイミーさんに声を掛けられた。
ジェイミーさんもママと仲が良くて、私が小さい頃はよく話しかけてくれていた一人だ。
そして学生時代仲が良かったマリーちゃんのパパでもある。
「シャノンちゃん、そんな格好でこんな所に一人でいたら……陛下に怒られるよ?」
「えっ!?やっぱりこの格好変ですか!?」
私の焦りに、ジェイミーさんは苦笑いしながら首を横に振った。
「いや、変というよりむしろ……取り敢えず帰った方がいい。ほら、日も暮れてきたし」
「んー……でも、」
陛下が旧市街跡の遺跡にいるのは分かっているのだ。
だからどうしてもここで待っていたくて帰る事を渋っていると、ジェイミーさんが根負けしたように苦笑いを零した。
「分かった。じゃあ陛下が出てくるまで、一緒にここで待っていてあげるよ。じゃなきゃ陛下に恨まれそうだからね」
そう言って、ジェイミーさんはすぐ側まで来ていた成人した級友の男性陣にチラリと視線を投げて、私に倒木を指差した。
屈んでジェイミーさんとマリーちゃんの話をしながらキノコ採取に夢中になっていると、急にお腹に腕を回されてふわりと身体が抱き起こされた。
「キャッ……何っ!?」
驚いて後ろを振り向くと、そこには何故だか不機嫌そうな陛下がいて。
「あ……へい、か、」
珍しく不機嫌オーラが出ている事に驚く。
思わず後ろに後ずさりそうになって、陛下にグッと腕を掴まれた。
そう、穏やかに聞いてくるものの、陛下は有無を言わさず私の手を取り、返事を聞く前に歩き出した。
15.家族(シャノン編)
───あれから。
すぐにシズニ神殿へと陛下と二人で行って、結婚式の予約を入れた。
だけど目の前の出来事が私の願望による妄想じゃないかと信じられなくて、頬を抓りながら何度も何度も予約台帳を見返す。
そんな私を陛下は優しく見つめ、頬を抓る手をそっと包み込んで離すと、私の大好きな笑顔でふわりと笑った。
「大丈夫。夢じゃないから」
「……でも、」
穴が空くほど台帳を見つめたにもかかわらず、それでもまだ不安が残る自分を情けなく思いながら陛下を見上げると、目を細めて僅かに口の端を上げる陛下が瞳に映った。
あ、と私が目を見開くのと同時に、陛下の手が私の顎へと添えられ顔を持ち上げられたと思ったら、下唇を陛下の親指がゆっくりなぞる。
「そんなに不安なら、頬を抓るよりも効果的な確認方法があるのだが」
「……っ!!」
「そうだな、息継ぎも出来ないくらい、」
「だ、大丈夫ですっ!!!もう大丈夫ですから!!」
慌てて陛下の手を退けて後ろに下がると、「そうか、それは残念」と肩を竦めて陛下が少し意地悪く笑った。
陛下とイチャイチャしたい、なんて恥ずかしい願望も勿論あるけれど、今日の私ではもう既にキャパオーバーだ。
一気に真っ赤に染まったであろう火照る顔を手で必死に扇ぐ。これ以上甘い陛下と一緒にいると、腰が砕けて動けなくなりそうで、「は、畑の水やりに行かなきゃなので、失礼します……っ!」と、なんとも恥ずかしい立ち去り方をしてしまい、去り際に後方から陛下の笑い声が聞こえた気がした。
***
その後、家族に婚約の報告をすると、それはそれはみんなお祭り騒ぎで。
だけどパパだけはひとり渋い顔をして、この間成人したばかりなのに早過ぎないか!?と、ブツブツ呟いていた。
───……それから。
婚約してからというもの、陛下が私に会いに来てくれる頻度がグッと上がり、中でも───、
と、頻繁にデートへと誘ってくれるようになった。
その陛下の変化が嬉しくて、だけど……同時に不安もあって。
陛下の“奥さん”という立場だけでも緊張するのに、この国の王に嫁ぐという事は、私はこの国の“王妃”になるという事だ。
うんと小さな頃は、“ロイヤルファミリー”という単語にただ単純に憧れていた時期もあったけれど、それが現実となった今は……漠然とした不安しかない。
だからせっかくの陛下とのデートでも、
つい、ポロリと本音が溢れてしまう。
だけど、そんな私を陛下は優しく見つめ、私がこうなる事はお見通し、とでも言うように穏やかに優しい言葉を紡いでくれる。
そしてそれは、デートの度に繰り返されて。
王妃になる事が不安だと言う私に、陛下はいつでも優しく寄り添って私が一番欲しい言葉をくれた。
陛下と一緒なら、どんな事でも乗り越えられる。
そう思わせてくれる陛下が、心の底から愛しいと思えた。
***
瞬く間に時は過ぎて、いよいよ明日が結婚式当日となった日の午後。
不安も緊張も最高潮に達して来た私は、陛下の顔を見て落ち着きたくて陛下をデートへと誘った。
私の誘いを快く受け入れてくれた陛下だったけれど、当の誘った本人である私はやっぱり落ち着かなくて気もそぞろで。
せっかく陛下とニヴの丘まで来たのに、会話をしていてもほとんど上の空だ。
だから陛下が、「そろそろ帰ろうか」と言った言葉に慌てて頷いた。
そんな私をチラリと見た陛下は、
と、少し寂しそうに笑って私の手を握った。
陛下に手を引かれて歩きながら、しまった、とつい下唇を噛む。
せっかく陛下とデート出来ているのに、最近の私はこんな態度ばかりだ。
これでは陛下に呆れられてしまうのも当たり前で。
私にプロポーズした事を後悔していたらどうしよう、と不安が過ぎる。
私の家である騎士隊長の居室まで着くと、今日に限ってみんな出掛けてしまっている事に、思わず落胆してしまった。
なんとなく陛下に何を言われるのか少し怖くて、誰かが家に居たら話が逸らせたのに、なんて卑怯な考えまで浮かぶ始末だ。
家に着いて私の方へと振り返った陛下は、やっぱり先程と同じく寂しげに笑っていて。
ズキリ、と胸が痛んだ。
陛下が何を口にするのか怖くて、堪らず陛下の口元をジッと見つめてしまう。
やっぱり、結婚はやめようか、なんて言われたらどうしよう……!
自分の事しか考えていなかった罰だ。そう思うけれど、陛下に今そんな事を言われてしまったら、絶対に泣き崩れて立ち直れない。
既に目の淵に薄っすら涙が溜まって来た私を見て、陛下が徐に口を開いた。
「すまない、シャノンさん、」
陛下の言葉で、一気に思考が停止する。
反射的に嫌だと叫びそうになって、だけど陛下に握られたままの手を更に強く握り返された事で思わず怯む。
「……っ、陛、」
「シャノンさんがずっと、結婚に不安を抱いていた事は分かっていたんだ」
「ち、違……っ」
確かに私は、自分でも笑えてしまう程マリッジブルーだと思う。だけどそれは、陛下と結婚したくないわけではなくて、この“国”という重たい責任を自分が背負えるかが不安だっただけだ。
それをどう伝えれば上手く伝えられるのか、考えれば考えるほど焦って思考はぐるぐる回る。
そんな私を陛下は目を細めて見つめ、繋いでいない方の手で私の頬にそっと触れてきた。
「……だが、すまない。僕はもう、君を離してやる事は出来ない」
驚きで、思わず息を呑む。
目を見開いて見つめる私を、陛下もジッと見つめ返してくる。
自分が想像していた言葉とは真逆の言葉を言われて、途端に涙腺は緩み身体の力が抜けていった。
急にクタリと座り込みそうになった私の腰を、「シャノンッ!」と、陛下が慌てて引き寄せ支えてくれる。
「大丈……」
「わ、私、……私はっ、陛下が、大好きなんですっ。今更離れたいと言われても、絶対に離れる事なんて、出来ませんっ……!ただっ……」
ポロポロ溢れてくる涙を陛下が優しく指で拭ってくれながら、「……うん、ただ?」と、優しく言葉の先を促してくれる。
「た、ただっ……、怖くて……っ。普通の国民だった私が、いきなり王妃だなんて、そ、そんな、そんな大きなものを背負う事なんて、私に出来るのかなって……」
次から次へと溢れる私の涙を、陛下は優しく拭いながらふわりと目を細めて優しく笑った。
「シャノンさん、この国はね……国民のみんなに支えられて出来ている国なんだ。王族も、その他大勢の一部で。近衛も、山岳も、魔銃も、農場も、神職も、国民も、学生も、そして旅人さえも。どれか一つでも欠けたら成り立たない。それが、この国なんだ」
陛下の言葉にハッとして、見開いた目から涙がポロリと溢れ落ちた。
「王族だけが、この国を背負っているわけじゃない。国民みんなで背負っているし、支え合っている。だから、シャノンさんはシャノンさんのままでいいんだ。この国は、誰か一人に責任を背負わせるようなそんな無責任な国じゃない」
ハッキリと言い切る陛下の言葉に、なんだかふと、肩の荷が下りたような、温かいような、不思議な気持ちになった。
陛下の存在は、この国には絶対不可欠で。
でも同時にパパやママ、他にも沢山の人達の顔が浮かんで。
みんな自由に生きながら、この国を支えているのだという陛下の言葉が、ストン───、と不思議なくらい胸の奥へと落ちてきた。
……そうだ。
私はどうして、みんなの上に立つ事ばかり考えていたんだろう。そうじゃない、……そうじゃないんだ。
───この国は、みんなで作り上げている国なのだから───。
自分の傲った考えに恥ずかしくなりながらも、実質トップとしてこの国の決議を行なっている陛下の考え方を聞けた事に、誇りと心の底から喜びを感じた。
───この人が、この国の王で良かった。
───この人を、好きになれて良かった。
───この人と、結婚出来るなんて私はきっと、……世界一幸せ者だ。
私は嗚咽を漏らしながら、陛下の胸へと抱きついた。
───もう、大丈夫。
この人と一緒なら、絶対に───。
***
翌日の朝、ついに結婚式の当日を迎えていつもよりも早く目が覚めた。すると珍しく、パパが私の元へと朝食だと呼びに来てくれたので少し驚いた。
ダイニングに来て、既に朝食の準備を整え終えていたママが、ニッコリ笑顔でおはよう!と声を掛けてくれる。
いつもと変わらない朝。
だけど、この家で過ごす……最後の朝。
陛下と結婚したら、王の居室に住む事になるのだから引っ越すといってもすぐ側だけれど、こうしてみんなで食卓を囲むのも最後なのかと思うと、なんだかしんみりしてしまう。
するとパパが、
と、私と同じ事をボソリと呟くように言った。
そのパパの言葉に、思わず目頭が熱くなって俯く。
するとママがふふっと笑って、この場の空気を変えるように良く通る元気な声で言った。
そうしたら、クラウドやユフィも嬉しそうに次々とお祝いの言葉をくれる。
最後なんだし笑顔でいたいって思っていたのに、みんなの顔を見回しただけで涙がポロポロと溢れてきた。
なんとか口を開いてみんなにそう告げたけれど、やっぱり寂しくて涙が止まらない。
するとママが、「ほら、パパも」と言ったので、
と、なんともパパらしいセリフをくれたので、思わず笑ってしまった。
朝食を終えてさっきまで笑顔だったママが、私のベッドを見ながらぼんやりしていたので、また目頭が熱くなる。
……本当は、成人した時から「お母さん」と呼ぼうと思っていたけれど、急に呼び方を変えるのが恥ずかしくて、今の今まで呼ぶ事が出来なかった。
……いや、違う。
本当は……私がいつまでも、ママに甘えていたかったからだ。
でも、今日、私はこの家を出て行く。
これからは、陛下と共に歩んで行く。
そう思ったら、自然と「お母さん」と、声が出ていた。
一瞬、え?と驚いた表情でこちらを振り向いたママだったけれど、その目には涙が滲んでいて。
でもすぐに、私の大好きないつものママの笑顔でこちらへと近づいて来た。
「シャノンちゃん、いよいよ結婚式ね。うんと可愛くしてあげるからね!」
その嬉しそうなママの笑顔を瞼の裏に焼き付けるように、私はそっと目を閉じた。
私の震える声に気付いたのか、ママが穏やかに笑ってそう言った。
「ママ……っ!」
堪らず私はママに抱きついた。
温かくて、良い匂いで。時には厳しく、そしていつも優しく。
ママに八つ当たりしてしまった時もあったけれど、大好きな、大好きな、ママ。それは永遠に変わらない。
ママも私をぎゅっと抱きしめながら、震えている事に気付く。
大好きな家族と、永遠の別れではないけれど、今日、私はここから飛び立つ。
───愛する人と、新しい家族となる為に。
14.「おかえり」(シャノン編)
陛下に送ってもらえるなんて普段の私なら嬉しくて堪らないはずなのに、今日はなんだかモヤモヤとしているせいか気持ちは複雑で。
陛下と両想いになれただけでも、奇跡みたいな事なのに。
───それでも欲張りな自分は、“もっと”と望んでしまう。
片想いだった時は振り向いてもらう事に必死で、陛下が私を見てくれたらそれだけで幸せだと思っていたはずなのに。
……いつから私、こんなに欲張りになってしまったんだろう。
モヤモヤしているせいか俯き気味に黙々と歩く私に、陛下も声を掛けてくれる事はなくて、少しだけ気不味い空気の中私の家に着いた。
気不味い空気を消し去るように、陛下がにこりと微笑んでくれる。
それでも、ワガママな私はそんな陛下に言いようのないもどかしさを感じて、少しイライラしてしまう。
陛下は一緒に居る時は際限なく私に優しくしてくれるけれど、結局デートに誘ったり、会いに行くのはいつも私からだ。
想いの強さに差があるのはしょうがない事だと頭では分かっているのに、一緒に居る時はこんなに優しいのにどうしてデートに誘ってくれないの?とか、どうして会いに来てくれないの?とか。
不満という名の私のワガママは留まるところを知らなくて。
モヤモヤとした気持ちと少しのイライラが混ざって、上手く微笑み返す事が出来ない。
そんな私の顔を、陛下は少し心配そうに覗き込んでくる。
「やっぱり、体調が悪い?大丈夫?」
「いえ。……大丈夫です」
「……何かあった?」
「……いえ、何も」
私がそのまま黙り込んでしまうと、陛下は私の顔を覗き込むのをやめて、私の頬へと優しく触れて来た。
「……じゃあ、質問を変えよう。僕が、シャノンさんに何かしてしまった?」
「……っ」
陛下の言葉に、ついハッと息を呑む。
すると陛下は私の顔をクイッと上へと向かせると、少しだけ目を細めてジッと見つめてくる。
「すまない。気を付けていたつもりでも、気付かないうちにシャノンさんを、」
「違いますっ……!」
思わず陛下の言葉を遮るように叫んでしまった。
すると陛下が、少し驚いたように目を見開く。
違うと叫んでしまった以上、何か言葉を繋げなくてはいけないと思うのに、今口を開いてしまうと陛下に八つ当たりしてしまいそうで、グッと無理矢理言葉を呑み込んだ。
……それなのに、陛下の優しげな瞳に見つめられると自然と言葉が漏れ出てしまいそうになる。
キュッと唇を固く結んだ私を見て、陛下がそっと小さく息を吐き出し私の頬から手を離した。
「僕が原因なのに?」
「それ、はっ……」
陛下に嫌われるのは、絶対に嫌だ。
───嫌だと思うのに……幼稚な自分は、陛下にワガママを言ってしまいそうになる。
唇をギュッと噛んで、顔を俯けた。
「……じゃあ、僕も一つシャノンさんに不満を言おう」
「え……?」
陛下の言葉に思わず驚いて、俯けた顔を上げて陛下を見る。すると陛下は、少しだけ目を細め私を見つめ返して、徐に口を開いた。
「他の異性と出掛け過ぎ」
陛下から出た言葉が意外過ぎて驚きつつも、ついムッとして言い返した。
「なっ……それは、陛下だって!」
「でも僕は、ちゃんと相手は選んでいる。今は既婚者の異性としか出掛けない」
「私だって、」
「そう?僕が見かける時、君は大概独身の異性と歩いているけれど」
「そ、それはっ、だって、学生の頃から仲の良かった友達だし、」
「だろうね。でも、君はそうでも相手は違うと思う。一緒に出かける度、相手に気を持たせてしまうだけだ」
陛下のその言葉でカッと頭に血が上り、必死に抑えていた感情がついに溢れ出してしまった。
「酷いっ……!そういう陛下こそ、デートに誘ってもくれないし、会いに来てくれさえしない日だってあるし!ずっと我慢して、陛下は忙しいんだからって自分に言い訳して、気持ちを誤魔化して来たけど、もうそろそろ限界ですっ……!」
一気にまくし立てるように告げて、興奮した気持ちを落ち着かせようと息を吐く。
すると陛下が、私の顔をジッと見つめて口を開いた。
「それが、本心?」
「……っ」
つい陛下の言葉に乗せられるように気持ちを吐露してしまったけれど、陛下の顔を見てハッとする。
……もしかして、わざと……?
私が自分の気持ちを吐露しやすいように、わざと陛下はあんな風に言いだしたの……?
一気に自分の顔が青褪めるのが分かって、目尻に涙が滲んでくる。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
こんな風に、伝えるつもりじゃなかったのに。
陛下に…….呆れられて嫌われてしまったかもしれない。そう思ったら居ても立っても居られなくなって、両手で顔を覆って俯いた。
「シャノンさん、」
「ゴメンナサイ、……一人に、してください」
それ以上陛下の言葉を聞くのが怖くて、俯いて顔を上げようとしない私を、陛下は暫く黙って見ていたようだけれど、やがて「……分かった」と短く告げると、そのまま部屋を出て行った。
***
あれから、食事を取る気にもなれなくてずっとベッドに潜り込んでいたけれど、陛下に嫌われたかもしれない、と思うと……眠る事は出来なくて。
自業自得だ。後悔しても、もう遅い。
朝になって、流石に昨夜から何も食べていない私を心配したママが、私をダイニングへと連れ出した。
なんとかカッバサンドをひとくち口にしたけれど、それ以上は食べる気がしなくて。
そんな私をママは心配そうに見つめていたけれど、私から『何も話したくない』、というオーラを感じ取ったのか、話を無理に聞こうとはしないママに心の中でそっと感謝する。
すると、いつもは静観しているパパまで私の様子を心配してか、ハーブでも摘みに行かないかと誘ってくれた。
心配してくれるパパには申し訳ない事をしてしまったけれど、それでも今は一人でいたくて。
ふと、玄関先が騒がしく感じて俯けた顔を上げる。
すると、パパの後方に陛下の姿を見つけてドキリ、と大きく心臓が跳ねた。
────……嘘、どうして……?
朝一で陛下が私に会いに来てくれるなんて今まで無かっただけに、ザワザワと胸が騒ぐ。
だけど驚き過ぎて、逃げ出したいと思っても身体が動いてくれない。
ドクドク、と心臓は煩く鳴り響き、こちらに向かってくる陛下から視線を逸らす事が出来なくて、手にジワリと汗が滲む。
私の前に少し遠慮がちに立った陛下は、どこか落ち着かない様子でぎこちなく「おはよう」と告げると、私が返事をするよりも早く言葉を掛けて来た。
昨日の今日で、陛下に何を言われるのか怖いと思ったけれど、いつまでも逃げるわけにはいかないのだと拳にギュッと力を込めて私は頷いた。
城を出て歩きながら、何故か陛下の様子がいつもとは違って見えて、更に私の緊張も増していく。
陛下に何を言われても、ちゃんと自分の気持ちだけはしっかり伝えようと、私の前を歩く陛下の背中をジッと見つめる。
着いた先は神殿で。
昨日私があんな事を言ってしまったからだろうか、と不安げに陛下の背中を見つめていると、アトリウムで立ち止まった陛下が私の方を少し緊張した面持ちで振り向いた。
陛下に見つめられる事で、緊張は一段と増す。
暫く黙って二人で見つめ合っていたけれど、その沈黙を先に破ったのは陛下だった。
いつになく硬い表情の陛下に、今から何を言われてしまうのかと私も少し身構える。
とは言っても陛下の言葉一つで、私は簡単に崩れ落ちてしまう自身があるのだけれど。
私の返事を静かに待つ陛下に、頷きたくはないけれど私も小さく頷き返した。
そう言って、目の前に差し出された物を見て、思わず呼吸が止まる。
陛下の手に大事そうに握られているのは────。
───……キラリと光るエンゲージリング。
驚きのあまり陛下の顔を凝視すると、陛下の真剣な瞳と視線がぶつかる。
途端に涙が溢れそうになって、目の前の陛下が滲んで見えた。
それでも、すぐに手を伸ばさなければこのまま滲んで何も見えなくなってしまいそうで、全て夢で終わってしまいそうで、咄嗟に陛下の手を掴む。
夢か現実か区別がつかないまま、私は涙を堪えて陛下に微笑んだ。
すると陛下が、私の頬に堪え切れなくて伝った涙を優しく指で拭う。その手の温かさに、これは夢じゃないのだと分かり更に涙が溢れてきた。
「泣かないで。僕はシャノンさんの笑顔が見たいんだ」
「だって……、昨日、私、あんなワガママ……」
陛下が両手で私の頬を包みながら、ふわりと微笑んだ。
「僕はシャノンさんの本音が聞けて、嬉しかったんだ。だけど、」
と、そこで一旦言葉を切った陛下は、少し視線を伏せると、もう一度私へと視線を向けて目を細めた。
「……ずっと、考えていたんだ。僕は君よりもずっと年上だし、君を置いて先にガノスへ行くのも分かっている。それなのに、そんな自分に君を縛り付けておいてもいいんだろうかって」
「私はっ」
「うん、分かってる。シャノンさんなら、それでも良いって言うんだろうなって。だからこそ考えていて、デートに誘う事も躊躇った。シャノンさんは、もっと年相応の人と付き合った方が幸せになれるんじゃないかって」
陛下の想いが胸に響いて、どんどん勝手に涙が溢れてきてしまう。
ボロボロと涙を零す私の頬を、陛下が愛しげに指で拭った。
「……でも。自分勝手だと分かっていても、君に誘われると嬉しくて、君が僕以外の異性と共にいるのを見ると、嫉妬で気が狂いそうだった。それなのに、それでもまだ……躊躇う自分がいて」
陛下が苦しそうに表情を歪めるので、それを見ている私も苦しくなって、陛下の頬にそっと右手を添えた。
すると私の頬に添えられていた左手をそっと外し、陛下が私の右手をキュッと上から包み込む。
「だから昨日、シャノンさんの想いを聞いて、躊躇う自分が情けなくなった。自分の躊躇う気持ちだけで、こんなにもシャノンさんを不安にさせていたのかって」
陛下の言葉に、堪らず私は陛下の頬から手を離しギュッと抱きついた。
不安を抱えていたのは───……私だけじゃなかったんだ。
陛下も陛下なりに、不安を抱えて私を想ってくれていた。
そんな陛下が愛しくて、愛しくて。
ぎゅうぎゅうとキツく抱きつく私を、陛下もギュッと抱きしめ返してくれた。
「……だからシャノンさんが、プロポーズを受けてくれなかったらどうしようかって不安だったけど、良かった」
ボソリと呟くように言った陛下の言葉で、私は涙に濡れた顔をガバッと上げる。
「私が……っ、断るわけ、ないじゃないですか……!ずっと、ずっと……、陛下のお嫁さんになる事だけが夢だったんだもんっ!断るわけっ……ないっ……!」
言いながら溢れる涙が止められなくて、子供のように泣きじゃくってしまった。
そんな私の涙を優しく拭う陛下の表情が、蕩けてしまいそうに甘くて、キュウッと愛しさが募る。
「じゃあ、僕の夢も……シャノンさんに叶えてもらおうかな」
「陛下の……夢、ですか?」
陛下を見上げて小首を傾げる私を、陛下は甘く見つめて目を細める。
「『おかえり』と言って欲しい」
「おかえり……?」
一瞬陛下の甘さに惚けた私は、すぐに陛下の言葉の意味を理解してジワリと頬を染める。
『おかえり』の言葉は、“一緒に暮らして”こそ言える言葉。
それを自分が言うところを想像してしまい、嬉しさと恥ずかしさ、気持ちの高揚でくらりと眩暈に襲われた。
だけど今まで一人で生活していた陛下にとって、『おかえり』はきっともっと、私が思う以上に特別な言葉だ。
そう思ったらなんだか一気に切なくなって、私はまた陛下にギュッと抱きつきながら何度も頷いた。
「勿論っ……勿論ですっ!陛下がもういいって言うくらい、全力でお出迎えしますっ……!」
私の言葉に、陛下は「ハハッ」と笑うと、私の頭を優しく撫でつつ、「それは楽しみだ」と、優しく抱きしめ返してくれた。
13.積み重なる幸せと不安と。(シャノン編)
「もうっランダル君!それ先に乗せちゃダメよ!」
「えっ、ゴメン……」
今朝は、ママ達の騒々しい声で目が覚めた。
ダイニングがやけに騒がしいなぁと覗いてみると、ママとパパが何やら楽しそうにキッチンで料理をしている。
普段パパはクールなのに、こういう時ママに怒られるとしょんぼりしているのが目に見えてわかるから、子供ながらに可愛い人だなぁといつも思う。
クラウドとユフィも二人の周りをチョロチョロしながら何やら楽しそうだ。
「おはよう?」
と小首を傾げつつみんなの方へ近付くと、みんなが笑顔で「お誕生日おめでとう!」と口々にお祝いの言葉をくれたので、あ…!と自分で自分の誕生日を忘れていた事に気付く。
私の中で、成人するまでは誕生日が待ち遠しくていつも指折り数えていたけれど、いざ成人してみるとすっかり頭から誕生日が抜け落ちている自分の単純さに、思わず苦笑いが溢れた。
それでも、ママに席へと促されてこうしてみんなにお祝いしてもらえると、嬉しくて自然と笑顔になる。
いくつになっても、やっぱりお祝いの言葉って嬉しい。家族の温かさがひしひしと伝わってきて、同時に陛下の顔が頭に浮かぶ。……そういえば陛下は、ご兄弟はいらっしゃってもみんな結婚して居室を出ているのでいつも居室に一人きりなんだよなぁと、なんだか胸がチクリと痛んだ。
***
陛下に会いに行こうと玉座の間へと出ると、同じ成人組のマイク君が小さく手を振って近付いて来た。
こうやってお祝いの言葉を直接言われると、嬉しくて自ずと笑顔が溢れる。
マイク君は弟のクラウドと昔から仲が良い。だけど本来山岳家の彼は、普段山岳地区で仕事をしている為中々会う機会がない。
そんな彼がわざわざお祝いの言葉を言いに来てくれた事も嬉しくて、ついつい話しが弾んでしまった。
マイク君が行ってから慌てて陛下の居室に行くも、既に陛下はいなくて。
慌てて街角広場まで出ると、友達のアラベラちゃんが笑顔で声を掛けて来た。
お祝いの言葉が嬉しくて、ついついアラベラちゃんとも話しが弾む。
アラベラちゃんも成人式のその日に、ずっと仲が良かったマヌエル君に告白したらしく、上手くいったのだと嬉しそうに報告してくれた。
アラベラちゃんと別れてから陛下を探そうと思っていたけれど、思いがけず沢山の友達に誕生日のお祝いで呼び止められて、ついつい嬉しくて話し込んでしまった。
それから、やっとの事でエルネア波止場を抜けて神殿通りまで来た時、ふと顔を上げた先に陛下の姿が見えた。
丁度神殿から出てきたところだった陛下は、手に花束を持っていて。なんて声を掛けて良いのか分からず、少しだけ困惑する。
けどすぐに立ち竦む私に気付いた陛下が、小さく微笑みこちらへと近付いて来た。
花束を見つめながら表情を曇らせていく私に気付いた陛下が、ふわりと優しく微笑む。
陛下のその言葉だけですぐに気分が上昇する自分の単純さに笑えるけれど、こうして陛下にお祝いの言葉を直接貰えると頬が緩むのもしょうがない。
耳がじんわりと熱くなるのを感じながら、「ありがとうございます…!」と微笑むと、陛下が一瞬視線を自分の手元に落として、それから再度私の方を真剣な表情で見つめてきた。
そう言って、陛下が手に持っていた花束を差し出してくる。
まさか自分へのプレゼントだとは思わなかったので、一瞬思考が停止して瞬きをパチパチと繰り返してしまった。
───南国の、花束。
魔法の込められたこの花束は枯れる事がなく、巷の恋人達の間では永遠の愛を誓うプレゼントとして重宝されている。
前に陛下に初めて貰った時は、仲直りのしるしとして貰ったけれど。
恋人となった今、その意味は───。
震える手に力を込めて、そっと陛下から花束を受け取る。色とりどりの花からは、とても優しい香りがして。そしてちらりと神殿の花も混ざっているのが見える。込み上げてくる嬉しさに、涙が出そうになった。
その私の返事に、陛下はどこかホッとしたように優しく微笑んだ。
***
家に帰ってから、ルンルンで花束を部屋に飾る。
また一つ、陛下から貰った宝物が増えた。
陛下への“好き”が、どんどん膨らんでいく。勿論子供の頃から陛下の事が大好きだった事に変わりはないけれど、恋人となった今、その“好き”は留まるところを知らない。
そんな私に、ママが嬉しそうに話しかけてきた。
するとママはふふっと笑って「……あの方も余裕そうに見えても、独占欲は強いのねぇ」と、よく分からない事を楽しそうに呟きながらダイニングへと行ってしまった。
***
それから私は、順調に陛下とデートを重ねていった。
───毎日が、とても幸せで。
陛下とご飯を食べに行ったり、
神殿に花を見にも行った。
時にはこっちが真っ赤になるようなセリフを、笑顔でさらりと言われたり。
とにかく、毎日が新鮮で、幸せで。
───……だから胸の奥に燻る不安には、蓋をして気付かないフリをする。
だけどまさか、その蓋が簡単に開いてしまう日が来るなんて───思いもしなかった。
***
いつも通り朝一で陛下の居室へと向かおうとすると、学生時代に仲の良かったジョルディ君が少し俯き気味に声を掛けてきた。
「お、おはよう、シャノン」
「……?ジョルディ君?おはよう、こんな朝早くからどうしたの?」
小首を傾げる私に、ジョルディ君は意を決したようにパッと顔を上げる。
ジョルディ君の質問の内容に、すぐさま陛下の顔が浮かんでほんのり頬が赤く染まる。
少しだけジョルディ君から視線を逸らして、素直にコクリと頷いた。
するとジョルディ君は視線を下げ、少しだけ唇を尖らせて「……ふーん」と言うと、またジッと私の顔を見つめてきた。
ジョルディ君の質問に一瞬目を見開いて固まってしまったけれど、すぐに曖昧に返事をして誤魔化した。
その私の返事にジョルディ君は少し嬉しそうにニッコリ微笑むと、何やら告げて去って行ったけれど、さっきのジョルディ君の問いが引っかかって頭には何も入ってこない。
───“結婚するんだ”───。
その言葉に、大きく心を揺さぶられたような気がした。
ずっと───、
ずっと気になっていたけれど……、気付かないフリをして心に蓋をしてきた。
それが今、ジョルディ君の言葉をきっかけに蓋が緩んでどんどん溢れ出そうになってくる。
私と、陛下。
両想いにはなれたけれど、“想いの強さ”に差があるのは明白で。
陛下はきっと───私が想う程、私の事を想ってくれてはいない。
恋愛に個人差なんて付き物で。
“自分と同じように”なんて、無理だって頭では分かっている。
けど、いつも……いつも。デートに誘うのは私からで。陛下から誘ってもらえたのは、最初の一回だけだった。
勿論私が誘ったら、快く受け入れてはくれるけれど……それでもどこか、寂しくて。
陛下に誘ってもらいたくて自分から誘うのを我慢していた日もあったけれど、自分から会いに行かなければその日陛下に会う事さえも無かった。
陛下に誘ってほしいけれど、陛下に会えないのはもっと不安で。忙しい人だから、と理由を付けて不安を呑み込んでは、気付かないフリをして。
独りよがりになっちゃダメだって思うのに、片想いの時期が長過ぎて、今の幸せを失う事が怖くて堪らなくて。
自分でも、拗らせてるなぁって思う。
ジョルディ君と話した後、とてもじゃないけど笑顔で陛下に挨拶とか出来そうになくて、当てもなくフラフラと王国内を歩き回る。
すると気付かないうちに昼の一刻になっていて、慌てて街角広場へと向かった。
今日も陛下とデートの約束をしている。勿論私からだ。
いつでも優しい笑みで迎えてくれる陛下の側は、とても居心地が良くて。
絶対にこの手を失いたくないと、目的地に着くまでの間自ずと陛下の手を強く握った。
水源の滝に着いて、しばらく陛下と会話をしながら滝を眺める。
せっかく楽しみにしていた陛下とのデートなのに、どこか会話の返事が上の空になってしまう。
すると陛下が私の顔を心配そうに覗き込んだ。
「シャノンさん、もしかして具合でも悪い?」
「えっ……、あ、いえっ!大丈夫ですっ、ごめんなさい」
私の返事に陛下は少し考える素振りを見せて、何も言わずに私の頭をポンポンと優しく撫でた。
そう言いながら、陛下が私の方を見てニッコリ微笑む。陛下の言葉に一瞬心を読まれたのかと焦って、「あ、えと、し、神殿のアトリウム、とか」と早口で伝えると、陛下が少し驚いた表情でこちらを見た。
その陛下の驚いた表情に、サァッと一気に青褪める。しまった、と思ってももう遅い。
これじゃまるでプロポーズを強請っているかのように聞こえてしまう。
慌てて無理矢理笑顔を作り、陛下の背中を遊歩道へと向かって押し進める。
どうにもバツが悪くて今は顔を見られたくない。
必死に陛下の背中を押す私の右手を陛下はヒョイッと掴み、そのまま前へとグイッと引っ張られた。
思わず「わっ」と叫び、陛下の背中に抱きつく形になってしまい慌てて離れると、陛下がくるりとこちらを振り返って「残念」と、肩を竦めて笑ってみせた。けれどすぐに私が気まずげに視線を伏せたので、少しの沈黙の後、
───と、陛下が手を差し出して来た。