5.宝物(シャノン編)
あれから私は陛下の居室を飛び出して、走れるだけ遠くに走った。
気が付いたらもう既に夜遅くになっていて、探しに来てくれたママと一緒に帰った。
帰る道中木造橋を渡りながら、ママは黙って俯く私の手をそっと握り、何も聞かずにいてくれたけれど、心配させてしまっている事は雰囲気から察せられて、私はポツリと一言だけつぶやくように言った。
「……早く、大人になりたい」
するとママはその一言で全てを察したのか、ふふっと優しく笑って、でも少しだけ寂しそうな表情で私の顔を覗き込んだ。
「シャノンちゃんの気持ち、ママにもよく分かるわ。ママも子供の頃、そうだったもの。でもね、子供の時代ってどんなに頑張っても、もう二度と戻っては来ないの。この先どんどん大人になる事はあっても、子供に戻る事は絶対に出来ないの。だからママは、今のままのシャノンちゃんで精一杯毎日を楽しんで欲しいなって思うわ」
ママの言葉に、ハッとする。
確かに“子供”として学校に通う事も、お友達と遊ぶ事が出来るのも今がまだ“子供”だからだ。
大人になったらそれぞれ仕事をしたり、探索をしたりで、今一緒に学校に通っているお友達ともみんなそれぞれバラバラになってしまう。
どこかで会う事はあっても、今みたいに二度と遊びに行こう、なんて気軽に誘う事は出来ない。
────今を楽しむ、か……。
私は焦りで早く大人になる事ばかりを考えていたけれど、“子供“の自分は今しかなれないんだ。
ママの言葉がそのままストン──、と心に落ちて来て、なんだか急にふっと心が軽くなった気がした。
───私らしく、今のままで───。
お城についてから、いつもは妹のユフィと一緒に寝ていたけれど、今日はママと一緒に眠る事にした。
私が大人になって、もし誰かと結婚してしまったら、こうしてママと一緒に眠る事ももう出来ない。
そう思うとなんだか寂しくなって、ママの言葉の通り今出来る事を精一杯やって楽しもう、と私はそのまま眠りについた。
***
翌朝、いつもであれば朝一番に陛下の元へと走っていたけれど、なんだか今日は気まずくて行きにくい。
だから今朝は少しだけ家をゆっくりと出て、陛下がお城の外に出たのを見計らって私も城下へと向かった。
街中をウロウロしていると、いつ陛下に出くわすか分からない。陛下にとって私なんて、ただの国民の一人に過ぎないのは分かっているけれど、今はなんとなく顔を合わせるのが怖かった。
もしも、昨日の私の態度で陛下に嫌われてしまっていたら───。
昨日、ママに言われて私らしくって思ったばかりだけれど、こればっかりはちょっと事情が違う。
陛下を避けるように、普段は昼から賑わうウィアラさんのお店へと朝から向かった。
すると1歳年下のチレーナ君が声をかけて来た。
「シャノンちゃんおはよう!」
「おはよう、チレーナ君」
「朝からウィアラさんのお店で何してるの?」
「うーん、えと、暇つぶし……?」
私の答えにチレーナ君はふーん?と頭にハテナマークを付けたまま、「もうすぐ学校の時間だよー」と言って去って行った。
自分でもびっくりする。
今日まで陛下を朝から追いかけていない日が無かったから、今まで何をして過ごしていたのか分からなくなっていたからだ。
それだけ、私の毎日は陛下を中心に回っていたんだなぁって改めて思うと、少しだけ胸がキュッと苦しくなった。
ウィアラさんのお店を出て、やっぱり周りに陛下がいないか無意識に探してしまう。
いない事に少しだけホッとしつつ、私は学校へと向かった。
今日は神官のアポリナル先生の授業の日だったけれど、朝から陛下の顔を見ていないせいか、気もそぞろでぼんやりと授業を受けてしまった。
陛下は今、どこで何をしているんだろう。
そんな事ばかりが頭に浮かんで来て、やっぱり素直に謝って会いに行くんだったと早くも後悔してしまう。
それでも授業が終わると、2歳年下のメーガンちゃんに遊びに誘われた。
その時、一瞬陛下に会いに行く為に断ろうと思うも、ママの昨日の言葉が思い出されてハッとする。
ママが言っていたのは、こういう事なんだなぁって改めてママの言葉を噛み締めつつ、私はメーガンちゃんに笑顔で頷いた。
メーガンちゃんと遊んだ後は、ジョルディ君に声を掛けられて、私は改めてママの言葉を実感する。
みんなとこうして自由に遊びまわれるのも今だけなんだ、そう思うと、今までももっとたくさん遊んでおくんだったと思ってしまう。
でもママが言っていた通り、大人に向けての時間は進んで行くけれど、今より更に小さな自分へはもう二度と戻れない。
だったら今を大事にするしかない!と、私はみんなと王国中を走り回ってたくさん遊んだ。
***
少しだけ休憩しようと幸運の塔まで来ると、ラザレス君が嬉しそうに近づいて来た。
「シャノンちゃん、こんにちは!」
「あ、ラザレス君!こんにちは」
「シャノンちゃん、昨日お誕生日だったよね?昨日ずっとシャノンちゃんを探していたんだけど、中々見つからなくて今日になっちゃったけど……」
そう言って、ラザレス君がニコニコしながら手を差し出して来た。
素敵な表紙の絵本のプレゼントに、自然と顔がパアッと綻んだ。
「ありがとう!大事にするね!」
私の喜びように、ラザレス君もニッコリ笑って「またねっ」と手を振って走っていった。
嬉しくて、ホクホクしながら幸運の塔の下まで歩く。
池のほとりまで来て、ここで少し休憩でもしながら読もうかな、と思っていると───、
誰かが近づいて来る足音に、ふと顔を上げて見る。
「───……っ!」
そこには、南国の花束を手にした陛下が立っていて。
驚いて固まる私を見て、陛下は少し苦笑いを零した。
「こんにちは、シャノンさん」
「……っ」
「……僕とは、もう話もしたくない?」
「ち……違っ……」
焦って言葉を紡げずにいる私を見て、陛下が少し寂しげに小さく笑った。
「ゴメン。今のは意地悪だったな。……シャノンさんの姿をあれから見かけなくて。……少し、」
「……え?」
小さく聞き返した私に、陛下は少しだけ目を細めると、コホン、とわざとらしく一度咳をした。
突然そう聞かれて、私は条件反射のように「楽しい!……です」と答えると、陛下がふわりと優しく笑う。
陛下の優しい笑顔につられて、私もいつもの調子で元気に答えた。
「そうか、それはなにより」
陛下もニッコリ微笑んで、いつもの調子で私の頭を撫でようとする。───けれど、その手を途中で何故か引っ込めてしまった。
「……陛下?」
見上げて小首を傾げる私に、陛下は少し意地悪く口角を上げる。
「シャノンさんは昨日で5歳になったのだから、無闇に子供扱いするのはよそうと思って。確か、深い森の“近く”までは行けるようになったんだものな?」
「……!!」
陛下の口調から、からかわれているのだと気付いてつい頬を膨らませてしまう。
それを見て、陛下が楽しそうに笑った。
すると、私の名前を呼びながらロドニー君とオリオール君がこちらに近づいて来るのが見えて、陛下が自然な動作で私の足元に花束をそっと置いた。
「誕生日に渡そうと思っていたのだが、渡せなかった。友としてもう一度認めてもらえるならば、仲直りの印として受け取ってほしい」
そう言って、陛下は私の元を去って行く。
……陛下が、私に花束を……?
じゃあ、あの日陛下が花束を買っていたのは……。
驚きと嬉しさで呆然とする私に、ロドニー君とオリオール君が何か言っていたけれど、何も頭には入ってこなくて。
二人が去った後、私は信じられない思いで花束を手に取った。
南国の色とりどりの花の香りが、心にふわりと温かい明かりを灯してくれる。
陛下から初めて貰った───私の宝物。
もう一度胸いっぱいに花束を抱きしめて、一生大切にしよう、と心に誓った。