6.魔法と仮面と(シャノン編)
陛下に花束を貰ったあの日から数日が経ち、私と陛下の距離は少しずつだけれど近付いているような気がして、今日も私は朝早く太陽が昇る前から陛下の元へと駆けて行く。
「……失礼しまーす」
返事がないのをいい事に、私はこっそり陛下の寝室へと向かう。
……ダメだとママには言われるけれど、自分でも分かっているけれど。
こっそりとまだ眠っている陛下の寝顔を盗み見て、煩くなる自分の心臓を抑えるようにそっと胸を抑えた。
───陛下は大人で、この国の王様で。
私なんかがこんな簡単に近付いてもいい人ではない事くらい分かってはいるけれど。
でも。
それでも───。
陛下は私なんかが相手でも、ちゃんと自分の想いを真剣に伝えれば、一緒に出掛ける事を約束してくれた、とっても優しい人。
約束してくれた日の陛下の笑顔を思い出して頬を緩めていると、少しだけ陛下の眉が動いたので慌てて逃げようと背を向ける、も───。
「……こら」
ポン、と頭を背後から一撫でされて、ギクリとその場に固まってしまった。
ど、どうしよう……!
勝手に寝室に上がり込んでいた上に、寝顔までこっそり見ていたなんて絶対怒られちゃう……!
背後でベッドから身体を起こす衣擦れの音が聞こえて思わず肩をすくめると、クッと陛下が小さく笑った。
「おはよう、テルジェフ家のおてんば娘」
「……!!」
一気に自分の顔に熱が集まるのが分かる。
くるりと陛下の方を向いて勢いよく頭を下げたけれど、恥ずかしさについ「ぉは、ょうございます…っ」と声が裏返ってしまった。
少し吹き出すように笑った陛下は、ポンポンと私の頭を撫でてから、スタスタと隣を通り過ぎダイニングへと向かう。
その背中を視線で追っていると、不意にこちらを振り向いた。
「これから朝食なんだ、一緒にどう?」
陛下が少しだけ意地悪く口端を上げてニッと笑う。
私が朝食も食べずに陛下の元へと来た事はバレバレのようで、恥ずかしさで顔から火が出そうなくらい熱くなった頬を両手で抑えつつ、私は俯くようにフルフルと小さく首を横に振った。
***
あの花束の日を境に、陛下はよく私に話しかけてくれるようになった。
時々ママやパパと探索に向かい、そこに陛下を誘う日もあって。
そうして春が過ぎ、夏になり。
ママの試合やパパの試合の応援に大忙しの毎日も楽しく過ぎ、あっという間に秋が来た。
───私が“子供”で居られる時間もあと少し。
前までは早く大人になりたいと願わずにはいられなかったけれど、こうして日々が瞬く間に過ぎていくと、“子供の自分”とサヨナラするのがちょっぴり寂しくもある。
───そう。“サヨナラ”だ。
その言葉通り、この国には遠い昔から大掛かりな魔法がかけられていて、この国で生まれた人は皆、ある日を境に一気に姿が変わる。
それが────……成長の魔法だ。
この国の子供は成人式を迎えるその日まで、身体が子供のまま成長する事は無い。
だから私のように成人女性と変わらない年齢でも、成人式を迎えていなければ子供の身体のままなのだ。
それはその魔法が、成人式と共に解けるようになっているからだ。
この国には昔から魔物が多く、魔法は子供を魔物から守る為なんだと以前ママに教えてもらった時は、なんでそんな余計な魔法があるんだろうって思わずにはいられなかったけれど。
学校に行くようになり、勉強するようになって、沢山の大人の人達によって、私達子供はいつも守られている事に気付かされた。
そしてもうすぐその魔法が解かれるという事は、今度は私が子供達を守る大人側になるという事で。
だから成人の日を迎える事が少しだけ怖くもあるけれど、それ以上に誇らしくもあって、今はこの国に生まれてこの国の魔法に守られていて良かったなと心から思える。
***
────そして今日は、子供の時ならではのイベントが体験できる星の日。
あの後陛下の居室から急いで自宅へと戻り、ママにガミガミ怒られながら朝食を摂って仮面を付けて外に出た。
この仮面を付けられるのも、今年で最後だ。
この日はみんな仮面を付けていて、誰が誰だか分からない。だからこそ、なんだか凄くワクワクする。
そして仮面を付けているからか、なんだか少しだけ気持ちが大きくなった気がして、エナ様のフリをして沢山の大人達に堂々とお菓子をねだる事が出来るのだ。
王国中を歩き回ってお菓子を貰い、綺麗にふわふわ浮かぶワフ虫を眺めて、心の底から楽しいなって思う。
みんなと走り回って噴水広場まで来ると、ウィアラさんのお店へと入って行く陛下が見えて、陛下にもお菓子をねだっちゃおう!とワクワクしながら後を追った。
陛下は私よりもうんと年上のはずなのに、なんだか焦って首を振る姿が可愛く見えて、思わず笑ってしまいそうになるのを必死に堪えて陛下に手を伸ばす。
こんなに大きな声で笑い声をあげる陛下を見た事が無くて、驚きつつも嬉しくてつい調子に乗って更にコチョコチョしていると、陛下が目元に滲む笑い涙を拭いながら、私の頭をポンポンと撫でた。
「すまない、これで許してはもらえぬか?」
そう言って陛下が私の手のひらに、ぽんっといむぐるみを乗せてきた。
「わぁーー!!いむぐるみだぁ!!ありがとう!陛下!!」
「どういたしまして」
つい嬉しくていつもの調子でお礼を言った後に、エナ様に変装しているつもりなのを思い出してハッとすると、更に陛下が大声で笑い出した。
単純な自分が恥ずかしくて、仮面の下でつい頬を膨らませながらプイッと顔を逸らす。
「仕方がない、これで我慢するのじゃっ」
私の返事に陛下はまだ笑っていたけれど、「そうか、それは助かる」と楽しそうに頷いた。
すると陛下の側に、とても綺麗な黒髪の女性が近づいて来た。
……オクタヴィアさんだ。
彼女もまたティルアさんと一緒で、よく陛下といるのを見かけていた。
だけど確か、オクタヴィアさんには付き合っている男性がいたはずだ。
……“だから陛下には声をかけないで欲しい”なんて、私のワガママにも程がある。
だって陛下には、陛下の付き合いがあるのだから。
私、心が狭いなぁ……なんて思いながら、二人が楽しそうに歩いて行くのをただぼんやりと眺める。
だけどすぐに、今を楽しもう!と気分を切り替えた。そして少しだけ、グッと両手に力を込めてウジウジしていないで頑張ろう!と自分で自分にガッツを入れる。
よし……!と気合が入ったところで、私は陛下達に背を向けてエナの子コンテストの会場へと向かって走り出した。
***
夕方……といっても、星の日はどの時間も空が暗いのでずっと夜のような感じだけれど、そろそろ帰ろうと城の船着場に着くと、丁度帰ろうとしている陛下と鉢合わせた。
なんとなく普通には声がかけ辛くて、仮面をクイッと深めにかぶり直す。
陛下の柔らかな笑みに、さっきまで無理矢理気にしないようにしていたささくれ立った心の一部分が、スッと消えてなくなっていくような気がした。
───今なら。
今なら、この仮面があれば、……聞けるかもしれない。
ドキドキと緊張で、指先が少し震える。
仮面の下でゆっくりと深呼吸して、もう一度仮面を深くかぶり直す。
緊張で口がカラカラに渇く。
……大丈夫。
仮面をかぶっているのだから、私だって事はきっとバレていないはず。
聞きたくても、ずっと怖くて聞けなかった。
面と向かって聞いてしまったら、ショックの色が隠せない気がしたから。
でも、今なら。
仮面越しに陛下の顔をチラリと見る。
すると陛下は少しだけ困った表情をしてから、ジッと私の方を見てゆっくり首を振った。
陛下の返答を聞くなり、思わずそう口にしていた。
恥ずかしくて、ついエナ様を装ったように偉そうに言ってしまったけれど、でももう引っ込みも付かなくて。
この場から逃げ出したいような心境に陥りながらも、ドキドキと煩くなる心臓と共に陛下の言葉を待つ。
すると、陛下がふわりと優しく笑った。
思わず陛下の言葉に嬉しすぎて飛び跳ねてしまい、その場で陛下に抱き着きたい衝動に駆られるも、なんとか踏みとどまって「絶対、絶対約束だよ!」と念押しすると、陛下がコクコクと頷きながら我慢しきれないというように、ふはっと突然吹き出した。
「……?」
「すまない、言葉に嘘はないのだが、シャノンさんがあまりにも素直過ぎて、可愛いなぁと」
口元を拳で覆って、笑いを堪えるように言う陛下の言葉に一瞬ポカンとしてしまったけれど、私はすぐに自分の大きなミスに気付いて耳の先まで一気に真っ赤に染まる。
わ、私だって事が、陛下にバレてる……!!
いや、違う……私がつい、陛下が“シャノンさん”って言っているのに気付かないで返事しちゃったからだ……!
穴があったら入りたい、とは正にこの事で。
既に仮面を付けている事はもう無意味だと分かっていても、私はもう一度深くかぶり直して「し、失礼しますっ」と、その場から逃げるように立ち去った。