6.旅立ちと変化と混乱と(ウィルマリア編)
───あの日から……あたしの中には複雑な気持ちが渦巻いていて。
───『情念の炎』───。
噂に聞いて知ってはいたけれど、その“効果”を実際に目にした事がないから、噂を聞いた時は単に好奇心から来る興味しかなかった。
でも、もし、───もしも。
あたしがレノックスに使ってしまったら、彼はどうなってしまうんだろう……?
最近はそんな事ばかりを考えては溜め息を吐く。
すると、お城にフラフラっと遊びに来ては、人の家で勝手に寛いでいく一人の王子が今日もふらりと入って来た。
「やぁウィルマリア、今日も可愛いね。一緒に食事でも行かない?」
父ちゃんとティムによる根回しで、男(しかも親友)しか食事に誘えなくなったアンガスが、ニコリと笑ってダイニングの椅子へと優雅に腰掛ける。それを見て、あたしは盛大な溜息を吐いた。
「父ちゃんとティムに怒られても知らないから。っていうか、今それどころじゃないし」
ツン、と顔を逸らして玄関へと向かおうとするあたしを見て、アンガスが椅子の背もたれに頬杖を付きながら楽しげに笑った。
「なになに、何かあった? オレで良ければいつでも相談にのるよ? 特に恋愛の事なら任せてよ」
アンガスの言葉に、ついチラリと視線を向ける。
ニッコリと楽しげな表情がなんだか胡散臭いけれど、確かに彼は恋愛事には三王子の中でも一番長けてそうだ。
うーん、と一瞬悩んだけれど、ウジウジ悩むのは本来あたしの性に合わない。ならば、と一歩アンガスに近付いた。
その返事に、思わずガックリと肩を落とす。
「……だよね。聞いたあたしがバカだった。アンガスは“特別”を作らないタイプの人だもんね」
「え、ウィルマリア、良くオレの事分かってるね。そうそう、オレにとって女の子は“みんな”特別だからね」
ニッコリと王子様スマイルで笑うアンガスを見て、彼を好きになる女の子は大変だな、と同情の気持ちを抱きつつ、もう一度大きな溜息を吐いた。
***
あれから数日悩み続けていたけれど、結局答えなんて出なくて。
難しい事をいつまでも考えるのが苦手なあたしは、とにかく日々毎日楽しく過ごそう!と、王国中を走り回っては毎日笑って過ごした。勿論、森にオスカルやルシオを引きずっては周回する鍛錬も忘れずに。
オスキツ国王の息子である三王子も、あれからみんな楽しそうに各々王国で過ごしていて、
アンガスは相変わらず女性に声を掛ける事に余念がなく、母ちゃんに声を掛けてはアンテルムに引き摺られ、笑顔を貼り付けた父ちゃんと共に北の森の討伐に駆り出されていたり。
アンテルムは流石騎士なだけあって、父ちゃんやあたしと一緒によく森のモンスター討伐について来てくれたり。
ティムは、物静かでミステリアスな雰囲気とは裏腹にアンガスと女性人気を競える程人気で、特に彼は働き者が多い農場管理官の女性に大人気で、よくラダの乳搾りを手伝っている姿を目にしていた。
……時々、アンガスの空っぽのお財布を見ては、笑顔で有無を言わさずラダの乳搾りにアンガスを連行していたようだけれど。
みんなそれぞれ楽しそうに王国を満喫していて、あたしも嬉しくなった。彼らが王国を去る日はとても寂しく思ったけれど、今度はあたしが遊びに行く約束もして、三王子がこの国から旅立って行くのを笑顔で見送った。
そして────、
─────レノックスは……と、いうと。
彼もまた、どういう心境の変化なのか、あれからあたしによく話しかけて来てくれるようになった。
最初の頃こそ、あたしも上手く笑えなかったけれど、少しずつ……毎日レノックスが何かしらあたしに声を掛けてくれるから。
だから、まだ、胸は少し痛むけれど、それでも自然と笑顔で話が出来るまでにはなったと思う。
前みたいに、とまでは行かないけれど、それでも少しずつあたしの中で、気持ちに変化が生じているような……そんな気がした。
***
それから、着々とあたしが大人になる日は近付いていて。
今年はお菓子を強請る事が出来る最後の年だから、星の日の“仮装”をして王国中の大人にお菓子を強請り歩いた。レノックスにこれでもかという程お菓子を貰ってやったり、ラザールにイムムース限定でお菓子を強請ったり。
そして明日は、四年に一度の白夜の日だ。
あたしは生まれて初めて体験するから今からとっても楽しみで、貰ったお菓子を頰張りながらルンルン気分で幸運の塔へと光の花を探しに向かう。
すると先客がいたようで、ワフ虫と光の花に紛れてラザールが塔の側で月を見上げていた。
相変わらず、恋人がいないラザール。
こういう日こそ、女の子を呼び出して告白でもしたら、雰囲気にのまれて女の子もオッケーしちゃうかもしれないのに、なんて思いながら声を掛けた。
相変わらず、のんびりと穏やかにラザールが笑う。
「ラザール! こういう日こそ、女の子を呼び出しなさいよ! そしたらみんな、雰囲気にのまれてオッケーしちゃうんだから!」
つい仮面を付けている事も忘れて、いつもの調子で腰に手を当てて指摘する。すると、ラザールが楽しそうに声を上げて笑った。
「あははっ! そうだね、そうかもしれない。ご指摘ありがとう、殿下。光星にでもお願いしてみようかな」
「光星?」
初めて聞く言葉にあたしが首を傾げると、ラザールがふわりと優しく笑ってあたしの頭を撫でた。
「四年に一度バグウェルが訪れる白夜にだけ、願いを叶えてくれる光星が空に現れるらしいんだ」
「願いが……叶う……?」
「そう。殿下も何かお願い事をしてみたら?」
───……願いが、叶う───。
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
あたしの────願い……は……?
***
あれからラザールとどうやって別れたのか、どうやって家まで帰って来たのかも曖昧なまま、次の日を迎えていた。
暫く抑えられていたはずの気持ちが、昨日のラザールの言葉で一気に膨れ上がって溢れそうになる。
───あたしは、今でもレノックスが好きだ。
その気持ちに変わりはないけれど、だけど、情念の炎を使う事にも迷いが生まれるような、ハッキリ言ってしまえばそれまでの気持ちでもある。
きっとこれが、誰にも渡したくないって気持ちにまで膨れ上がったら、本物なんだろうな……とも思う。
だからラザールがいう、光星の話は一瞬大きくあたしに迷いを生んだけれど、バグウェルが闘技場に現れる頃には、あたしの願いはほぼ確定していた。
あたしの、願いは───。
***
夕方になっても昼の空がずっと続いている事にワクワクとしながら、あたしは夕一刻に王立闘技場へと駆け込んだ。
ちょうどバグウェルが空から舞い降りてくるところだったようで、あまりの大きさに思わずペタリと観客席で尻餅をついた。
周りの大人が全員立ち上がって大興奮する中、バグウェルがお腹の底に響くような低い声で国王である父ちゃんの言葉を遮る。
あたしはドキドキと手に汗握りながら、父ちゃんとバグウェルのやり取りを見守る。
いつか自分も、この先バグウェルとこうして言葉を交わす日が来るのだ。常日頃ワイルドだの脳筋だの言われているあたしだって、やっぱり怖いものは怖い。だけど父ちゃんは、余裕の笑みを浮かべてバグウェルや勇者に命令を下していた。
いつもは優しいロマンチストな父ちゃんも、こういう時、威厳があってやっぱり王様なんだな、と思う。
この日の試合はバグウェルが勝ってしまったけれど、勇者も負けじとバグウェルを追い詰めていて、最初は怖くて腰が抜けていたあたしも、最後にはいつかはあたしが倒してやりたい!なんて思うまでになっていた。
***
───白夜も無事に過ぎ、楽しい日々はあっという間に過ぎて行く。あたしの成人も、もう目と鼻の先だ。
今朝は朝から雪が降っていて、ワクワクと外に飛び出して父ちゃんに笑いかけた。
バグウェルを前にした時の父ちゃんとのギャップが、なんだかあたしをニヤニヤさせる。
今日も一日楽しい日になれば良いな、なんて思いながら父ちゃんと別れて城下へと駆け出した。
もう少しで学校の授業が始まるな、と道をショートカットしようと幸運の塔へと向かう。
すると、幸運の塔の側に見覚えのある姿を見かけて、声を掛けようとしてあたしの足は立ち止まってしまった。
───……あれって、ラザール……?
と、もう一人は誰だろう……とジッと見つめていると、二人が頬を染めながら楽しそうに笑い合っているのが見えた。
───ドクン、と大きく心臓が波打つ。
なんて言い表せばいいのか分からない、ザワザワとしたよく分からない衝動的な感情があたしの中で渦巻くのが分かる。
───あんなに、……あんなに、
恋人が出来なかったラザールに……恋人が、出来、た……────?
ずっと、ずっと───、恋人が出来る事を応援していたはずなのに、笑って応援していたはずなのに。……それなのに。
どうしてか、今、あたしの心は衝撃で上手く反応さえ出来ない。
どうして? なんで? そう思うのに、あまりの衝撃に自分がどうして動けないのかも分からない。
すると、あたしが見ていた事に気付いたラザールが、嬉しそうにあたしの側までやって来た。
きっと、今まで散々あたしに恋人を作れとドヤされて来ていた分、少し気恥ずかしいのか嬉しさを押し込めた表情でラザールがあたしに声を掛けてくる。
正直混乱で、あたしはおめでとう、というつもりだったのに、上手く表情と口が動かない。
それどころか、なんだか妙な苛立ちさえ感じてしまう。
───その気持ちは、苦しいとさえ感じる程。
自分でも気持ちに頭が追いつかなくて、混乱して訳が分からない。だけど、無性にイライラして、ラザールの言葉に素っ気なく答えてしまった。
途端に、ラザールが寂しそうな顔をした。
そんな顔、させたかった訳じゃないのに。もっと、もっと、おめでとうって、良かったねって、言うはずだったのに────っ。
どうして、どうして、どうして……!?
自分で自分が分からない。
なんだろう、何なんだろう、この気持ちは。
ずっと一人だったラザールに、いつかあたしが誰かを紹介しようと思っていたはずなのに……!
相手の女性は旅人さんだけれど、王国に帰化してくれたら二人は幸せになれる。だから、これで安心って思えるはずなのに───。
──……今、そうは思えない自分がいる。
あたしはすぐ様ラザールとの会話を切り上げると、反射的に相手の女性へと声を掛けていた。
旅人の女性は一瞬驚いた表情をしたけれど、すぐに笑顔であたしの質問に答えたくれた。
この人が───……ラザールの“恋人”。
綺麗な人だと……思った。
色気があって。
優しげな雰囲気で。
守ってあげたくなるような、可愛い雰囲気もある。
全部、全部。
あたしには、ない。
“あたしには”────ない……?
自分の気持ちの混乱で、しばらくあたしはその場を動く事が出来ないでいた───。
5.誕生日と揺れる心(ウィルマリア編)
麗らかな春の陽射しが午後の訪れを告げようとする中、王子達と簡単な自己紹介を終えたあたしは、王国の案内をしつつ────、
今、ヤーノ市場に…………来ているのだけれど。
「はい、ウィルマリア。君との出会いの記念に」
そう言ってオスキツ国王の末の王子であるアンガスが、甘く蕩けるような笑みを向けてあたしに花束を差し出して来た。
うっ……さすが王子っ……!
花束を持つ立ち姿が、旅人の服なのに物凄く様になっていてつい見入ってしまう。彼の纏う享楽的な雰囲気は、不思議と色気を纏っていてつい引き込まれるのだ。
するとすかさず隣にいた次兄のアンテルムが、アンガスの襟元を後ろにグイッと引っ張った。
「いい加減にしろ、アンガス! ワイアット陛下への差し入れを買いたいというからここまで来たんだぞ! それに“幼い”とはいえ殿下を呼び捨てに、ましてや口説こうとするなど言語道断っ!!」
信心深く真面目なアンテルムは、至極真っ当な事を言っているのだろうけれど、“幼い”というワードにあたしの片眉がついピクリと動く。
するとアンガスがチラリと流し目であたしを見て、ふと妖艶に口元に弧を描くとそのままアンテルムに視線を戻した。
「分かってないね、アンテルム。どんなに“胸が成長途中”で幼くともレディはレディ。それに殿下って呼ばれるのは一ミリもときめかないってテレーゼが言ってたし」
「なっ、む、ね……!? ときめ……お前という奴はっ!! こんな庇護対象である“幼女”にまでそのような事を……! 」
聞き捨てならないワードが次から次へと耳に飛び込んで来て、あたしは頬を膨らませて二人を睨み上げる。そんなあたしを見て、長兄のティムが苦笑いを零しながら言い合う二人の仲裁へと入った。
「あー……えーと、二人とも。その辺でやめておこうね」
彼は三人の中で、一番繊細なムード漂う落ち着いた雰囲気の王子だ。
だけどそんなティムの声にもあたしの怒りは収まらず、せっかく仲裁へと入ってくれたティムを押し退け、アンガスとアンテルムの間に身体を割り込ませると勢い良く二人の足の脛に蹴りを入れてやった。そして大きく息を吸い込む。
「悪かったわね! 胸が無くて!! 幼女で!! フンッ!!」
息を吐き出すのと同時に大声で叫んでやった。
……レノックスに失恋したてで、胸だって幼い事だって気にしてるのに!
ドスドスドスッと足音を響かせながらヤーノ市場を抜けるように歩き出したあたしは、腹が立つけれど客人だという事を思い出し、少し進んだ所でバッと後ろを振り返る。
するとアンガスとアンテルムは脛を抑えながらポカンとした表情をし、ティムは口元を押さえて視線を逸らしなんだか少しだけ肩が揺れている。
「え……本当に、あのワイアットの娘なんだよね……?」
「そ、そうだな。陛下とは些か性格が……」
何事かをブツブツ呟く二人と、いまだに黙って肩を揺らすティムに向かってあたしはもう一度大声で叫んだ。
「何してんのよ!! 父ちゃんに会いに行くんでしょ!? 三人ともさっさとついて来て!!」
父ちゃんの客人だし、王子だし、と少しだけ猫を被ってみたけれど、つい素の自分が飛び出てしまった。もう、こうなったら性格なんだからしょうがない。素の自分で行かせてもらおうと、三人の名前を呼び捨てにしながら城まで急がせた。
それから城までの道中、「ロマンチストなワイアットから超ワイルド……嫁はさぞ強いんだろうな」なんてアンガスがぼそりと呟いたから、「母ちゃんはみんなのアイドルだけど?」と呟きに答えると、「突然変異……!?」とアンガスが叫び出したので、あたしは彼の鳩尾辺りに頭突きをしてやった。
***
なんとか城まで辿り着いたけれど、父ちゃんは出掛けてしまっているようで、どうしようかな……と立ち止まって顔を上げると、三人にジッと見つめられて少し焦る。
「あ、えーっと……父ちゃんなら、一回昼頃には帰ってくると思うんだけど……」
つい怒りに任せて素を出してしまったとはいえ、やっぱり三人はかなりのイケメンで、見つめられるとドキドキしてしまうのだ。
「じゃあ、先に居室に失礼してしまって申し訳ないけれど、すれ違いがないようにこちらで少し待たせて頂こうかな?」
ティムが小首を傾げながら、あたしに同意を求めて来た。
あたしもそうしてもらおうと思っていたので、コクリと頷いて奥の間を指差す。
「待ってる間、母ちゃん自慢の花壇を見せてあげる!」
あたしがウキウキしながら奥の間に誘導しようとすると、アンガスが「みんドルの嫁は花を愛でる女性かぁ……良いね」と先程市場で買った花束を鼻に近づけて、妖艶に微笑む。その瞬間、彼は隣にいたアンテルムにスパーンッと頭を叩かれていた。
それから丁度みんなで奥の間に移動しようとしていた時、後方から「ウィルマリアさん?」と、父ちゃんの穏やかな声が聞こえてきて、あたしは笑顔で振り返った。
「あ! 父ちゃん! お帰りー!」
すると、ティムとアンテルムが慌てたように振り返り父ちゃんに深々と頭を下げた。
「お久しぶりです、ワイアット陛下。ご挨拶よりも先に居室に失礼してしまい、申し訳ございません」
ティムに続いてアンテルムも慌てて言葉を紡ぐ。
「すみません! アンガスが懐中時計を弄ったようで、今回はこのようなタイミングでの訪れ、失礼致します!」
二人の慌てように、父ちゃんは穏やかに笑ってこちらに近づいて来た。
「いや、そんなに畏まらないでくれ」
父ちゃんの言葉にゆっくり顔を上げた二人を見て、父ちゃんは嬉しそうに頷く。
「みんな、久しぶりだな。それに、道中無事でなにより。懐中時計の件も、オスキツ王から先に時空蝶で連絡を頂いていたから、受け入れ時空を事前に変更して港を開く事が出来たし、気にしなくていいさ。三人とも、ゆっくりしていくと良い」
そう言って、父ちゃんは三人を見てニコリと微笑んだ。すると、アンガスがズイッと前に進み出て、ニッと笑った。
「アンタ、あれからちゃんと結婚出来たんだ? やっぱオレの指導が良かったんだな」
ドヤ顔のアンガスの言葉に、父ちゃんは一瞬ポカンとした顔をしたけれど、すぐに大声で笑い出した。
「あははっ! アンガス君のアドバイス、実に有効に使わせて貰ったよ。お陰様で、私は運命の女性と結婚出来た。ありがとう」
父ちゃんは楽しそうに笑っているけれど、アンテルムは「このバカッ」と酷く引き攣った笑みでアンガスの襟元をグイッと後ろに引っ張っていた。
そんな中、あたしは父ちゃんだけが使える時空蝶に想いを馳せていた。
時空蝶とは、代々王家の人間、しかも王位継承者にしか伝わっていない特別な蝶で、違う時間軸を自由に行き来して手紙を運ぶ事が出来る蝶だ。
その蝶を使って父ちゃん達は、『現在』の並行時間軸の各国と合同会議等の連絡をやり取りしていたりする。
本来ならば『過去』の時間軸とのやり取りは禁じられているけれど、『過去』から『未来』への一方通行である手紙ならば受け取りは可能となっている為、今回三人は無事港を開いてもらう事が出来たという事だった。
「ウィルマリアさんも、三人の案内助かったよ。ありがとう」
そう言って、父ちゃんがあたしの大好きな笑顔でふわりと微笑む。
あたしは嬉しくなって「はーい!」と、父ちゃんの側まで駆け寄ると父ちゃんが優しく頭を撫でてくれた。
普段子供扱いが嫌いなあたしだけれど、父ちゃんのこの笑顔と頭を撫でてくれる温かい手は大好きで、この時ばかりは小さな子供のように嬉しさが溢れてふにゃりと笑ってしまう。
すると、後方からフッと吹き出すような笑い声が聞こえたので振り返ると、アンガスが楽しそうに花束を持って肩を揺らしているところだった。
「可ー愛いねぇ♪ 超ワイルドな女の子って、心を許した相手に対する態度のギャップが堪らないんだよねー」
アンガスの言葉に、無防備な自分を見られた気がしてぶわりと一気に顔が熱くなる。
すると、てっきりアンテルムがまたツッコミを入れてくれるのかと思いきや、笑顔のティムが物凄い素早さでアンガスの頬をつねっていたので驚いた。
そして今度は、父ちゃんが吹き出すように笑った。
「はははっ! レナの時もだったが、アンガス君もティム君も相変わらずで懐かしいなぁ」
「愚弟が度々恐れ入ります」
「いひゃいっれぶぁ(痛いってば)!」
ギャーギャー喚くアンガスの横で、ティムは爽やかな笑顔のままだけれど、アンガスの頬をつねる指は緩まないのを見て、あたしはティムだけは怒らせたらいけないとゴクリと唾を呑み込んだ。
***
あれから母ちゃんも帰ってきて、母ちゃんに近付こうとしたアンガスに、父ちゃんも混じえた総ツッコミがなされたのは言うまでもなく───。
父ちゃんのあんなに焦った顔を初めて見たなぁ……と思い出しては、クスクス笑いながらも眠りについた。
翌朝は、母ちゃんのウキウキした声と、甘いケーキの匂いで目が覚めた。
着々と成人に向けて自分の誕生日を迎える度に、ドキドキとワクワクがあたしの中で加速する。
今年はどんな誕生日になるんだろう、とふわふわした気持ちを胸にダイニングへと急いだ。
父ちゃんと母ちゃんにお祝いの言葉を貰ってニンマリ笑顔になる。
年に一度の誕生日は、普段と変わらない一日だとしてもやっぱり特別な日に変わりはなくて。
母ちゃん手作りのチョコレートケーキも美味しくて、素敵な一日になりますように──、とあたしはルンルン気分で外に出た。
外に出ると、白い塊がポツリとあたしの鼻に落ちてきて、あ……と空を見上げる。
エルネア王国では雪は積もらない。だけどその分、ハラリハラリと舞う雪は幻想的でとっても綺麗なのだ。
素敵な一日になりそうだ、と空に向かってにこりと笑顔を向けていると、「今朝も可愛いね」と甘いセリフをサラリと口にしながら、アンガスがこちらに向かって来るのが見えた。
流石モテ王子。
誕生日の朝一番に会いにきてくれるところや、今巷で大人気の星空の砂をプレゼントにチョイスして来るところは、思わず尊敬の念さえ抱いてしまう程だ。
これは確かに女の子にモテるだろうなぁと、プレゼントを受け取りながらも独身女性の面々が心配になった。
……ラザールもこのマメさを見習えばいいのに。まぁ、性格まで似て欲しいとは思わないけれど。
それから、学校が始まるまで王国内の至る所でお祝いの言葉やプレゼントを貰った。
その中にはアンテルムや、
ティムもいて。
ティムに至っては、昨日あたしが幼いという事を気にしていたのを気遣ってか、レディの嗜みである香水までくれた。でも、「ワイルドと享楽的、正反対のようで“足りない”ところが似ているんだよね。勿論、“可愛い”って意味で」と、意味深な事を爽やかな笑顔で言われたのだけれど、あれはどういう意味だったんだろう……?
オスキツ国王の王子達は、揃いも揃ってモテ要素満載で、暫くは国内の恋愛事情が騒がしそうだな、なんて思った。
***
学校の授業が終わって街角広場まで出ると、待ち合わせをしている恋人達で賑わっていて。
その中に、見覚えのある後ろ姿を見つけてドキリと心臓が跳ねた。
────……レノックスとベティだ。
まだまだ失恋の痛手から癒えないあたしの胸は、ぎゅうぅ、と締め付けるように苦しくなる。
今日は、あたしの誕生日で。
きっと良い一日になると思っていたはずなのに。
……なんだか一気に気分は沈む。
見なきゃいい、そう思うのに───。
思わずあたしの足は、レノックス達の後を追ってしまっていた。
グループデートなのか四人でワイワイととても楽しそうで、心では引き返したいと思うのに、身体がいう事を聞いてくれない。
これ以上見たら、……自分が惨めになるだけだ。
分かっているのに足は勝手に動いて、目は勝手に彼を追ってしまう。
───……何してるんだろう、あたし。
楽しそうにベティと笑い合うレノックスは、あたしなんかに気付いてはくれない。
悔しい───と、思う。
レノックスがあたしの成人を待っていてくれたら、レノックスにまだ恋人がいなければ、レノックスと同じ歳だったら────。
彼に恋人が出来てから、何度も何度も、そう繰り返し思った。
するとレノックスが、ふと顔を上げてこっちを見た。思わず目が合ってしまったあたしは、慌てて背を向けその場から逃げ出した。
***
幸運の塔まで走って来て、池のほとりで一息つく。
ぼうっと池を眺めていたら、あたしの後方で一生懸命告白する声が聞こえて来た。
チラリと視線を向けると、二人は想いが通じ合ったのか、照れながらも嬉しそうにお互い見つめ合っていて。
────いいな、と素直に思う。
どれぐらいその場に立っていたのかは分からないけれど、空が段々と暗くなって来た。そろそろ帰ろうかな、と顔を上げると、
「殿下」
と、今一番会いたくなくて、……でも、一番会いたいと想う人があたしを呼んでいて。
今すぐ逃げ出したいのに、彼から目が離せない自分がいる。
無言で彼を見上げるあたしを見て、レノックスは少しだけ困ったように、でもふわりと優しく笑った。
レノックスのぶっきらぼうだけれど優しい声に、あたしは思わず泣きそうになった。
誕生日──……覚えていてくれたのだ。
嬉しいのに苦しくて、泣きそうなのに泣きたくなくて。
レノックスはずるい───、と思った。
だって、こんな事されたら……あたしは彼を諦めきれなくなってしまう。
絶対に、絶対に使いたくはないと思っていた。
以前学校でみんなで盛り上がった「情念の炎」の話が……チラリとあたしの脳裏を過った───。
4.星の日と異国のお客様(ウィルマリア編)
───あれから数日が過ぎて、
あたしは見事に、…………レノックスを避けている。
二人が親密そうに話している姿を見たくないのが一番の理由だけれど、何より、これ以上レノックスに近付いて諦められなくなるのが怖いからだ。
友達と遊んで夕刻を過ぎた帰り道、ふと顔を上げると前方に見たくない人の姿を見かけてドキリと心臓が跳ねた。
───……違う、嘘。
本当は、会いたくて、会いたくて……堪らなかった人。
いまだに彼の姿を見るだけで、胸がギュッと苦しくなるけれど、同時にドキドキも止まらなくなる。
思わず逃げ出したい衝動に駆られたけれど、なんとなく逃げ出すのも悔しくて、あたしはレノックスの方を見ないように堂々と隣をすれ違う事にした。
────大丈夫。
彼から話しかけてくる事なんて、今まで一度もなかったのだ。あたしから会いに行かなければ、ここ数日姿を見ることさえなかった彼が、あたしを見る事なんて、まず、無い。
そう腹を括って無言で隣を通り過ぎる。
だけど無意識に、チラリと横目で視線を彼の方へと向けてしまい、そしてその視線が絡んだ事に驚いた。
────目が、合っただけなのに。
全身がブワリと熱くなってあたしは思わず駆け出した。その瞬間レノックスの口から何か言葉が紡がれていたように思うけれど、聞く余裕もなくてあたしは夢中で城まで駆けた。
***
昨日はあれから心臓がバクバク言い過ぎて、中々寝付けなかった。
けれど朝からなんだかワクワクしている父ちゃんを見て、気分を切り替える。
あたしの父ちゃんはロマンチストだから、イベント事が大好きだ。と、言っても、仰々しい祝賀会とかじゃなくて、楽しいイベントオンリーだけれど。
そういった面では間違いなく父ちゃんの血を引いているあたしも、楽しいイベントは大好きなのだ。
学校でも明日の星の日の話題で持ち切りで、ルシオなんてまだ前日なのに既にお面を付けていて、つい笑ってしまった。
ラダのフン、と聞いて一瞬あたしも混ぜちゃおうかな、なんて悪戯心に思ったのは誰にも内緒だけれど。
その後学校の帰り道、友達に誘われてキノコ狩りに行くとラザールの姿が目に入った。
なんとなく、あの香水を貰った日からラザールの姿を見かけると少しだけソワソワとしてしまう。
だけど同時にレノックスの姿も見えて、あたしは慌ててラザールの元へと駆け寄った。
ラザールと話しているはずなのに、どうしても近くにいるレノックスが気になってしょうがない。
しばらくするとレノックスがこの場から去って行く後ろ姿が見えて、チクリと痛む胸と比例するようにあたしはスカートの裾をぎゅっと握りしめていた。
そんなあたしを見て、ラザールはふわりと笑いあたしの頭を優しく撫でる。
「無理するのは殿下らしくないなぁ」
「……」
ラザールの言葉に思わず黙り込んで俯いてしまったけれど、なんだか恥ずかしいやら悔しいやらであたしはツンと澄ました顔でラザールから顔を逸らした。
「無理なんて……してないし!ラザールは早く女の子の一人でも幸運の塔に連れ出したらどうなの!?」
「ははっ、そうだねー」
全然真剣みを感じないラザールの返事に、思わず脱力してしまうけれど、なんだかんだで彼の笑顔にあたしはいつも絆される。
ラザールの存在は、まるであたしの精神安定剤みたいだなぁなんて勝手に思いつつも自然と笑みが溢れていた。
***
翌朝、星の日当日はあたし自身もワクワクしていたけれど、あたしよりも父ちゃんと母ちゃんの方がお菓子を出したりまたカバンにしまったりをソワソワ繰り返しているのを遠目に見て、なんだか可笑しくて口元が緩む。
きっと、昨夜から二人でコソコソとキッチンで何かしていたので、今日のお菓子を作っていたんだろうなと思い話しかけると、
二人していそいそと同じお菓子を満面の笑みで差し出してきたので、いつまでも仲の良い両親に嬉しくて、あたしは仮面の下で思わずニヤけてしまった。
今日は子どもはみんな仮面を付けているので、パッと見では誰が誰か分からない。
あたしもいそいそと昨日ルシオ達と作った泥団子をカバンから取り出すと、城下通りの方へと駆け出した。
うん。別に、そう。仮面を付けているからって、誰か分からないからって、レノックスに会いに行こうなんて思ってない。思ってないけれど、足は勝手にレノックスの家の方へと向かってしまう。
あたしだってバレないから大丈夫、と思ってもやっぱりドキドキしてくる。頬が赤く染まっているだろう顔も、仮面のお陰で今は見えない。
だったらやっぱり会いに行こう!と、心に素直に従ってレノックスの家へと向かうと、丁度恋人のベティに連れられて楽しそうにレノックスが城下D区から出て来たところだった。
あまりにも急な出来事に一瞬呆気に取られて黙って二人を見送ってしまったけれど、胸の痛みと同時に、黙って二人を見送る事しか出来なかった自分に、なんだか無性にムカムカしてきて二人の後を急いで追いかけた。
……そうよ! あたしがウジウジ黙って見ているだけなんて、こんなの性に合わないんだから!!
こうなったら、もうヤケだ。意地でも会いに行って、お菓子くれなきゃ絶対泥団子ぶつけてやる!と、半ば八つ当たり気味に勢いつけてそのまま追い掛けるとすぐに二人に追い付いた。
二人は釣りに来たようで、ベティと釣りをしようとしているレノックスの服の裾をグイッと引っ張り、緊張で少し上擦った声で声を掛ける。
「レ、レノックス!我はエナさまであるぞ!捧げ物、わ、わた、渡しなさいよっ」
勢いつけ過ぎて変な言い回しになっていることにも気付かず、あたしはレノックスに向かって必死に両手を差し出した。
すると、こちらを振り返り一瞬驚いたように目を見開いた彼だったけれど、すぐに嬉しそうにふわりと笑うとカバンからお菓子を取り出し差し出してきた。
「はい、どうぞ。これからもこの国をお守りください、……殿下」
最後の方は声が小さくて上手く聞き取れなかったけれど、レノックスからお菓子が貰えたことに嬉しさと複雑な想いとが絡まって、つい俯きそうになって必死に言葉を紡いだ。
そう言って彼は、あたしの頭をふわりと撫でた。
その優しい温かな手に、目頭がブワリと熱くなる。
……泥団子、ぶつけてやろうと思ってたのに。
レノックスへの好きが溢れてきて目尻から涙が溢れそうになる。悔しいけれど、やっぱりあたしはまだ……レノックスが好きだ。
どんなに想っても今は想いを伝える事も出来ないし、悔しいけれどこの恋は……失恋だと分かりきっている恋だ。
あたしを見てふわりと優しく微笑むレノックスを、久しぶりに面と向かってジッと見つめる。
仮面……被っていて良かった。
これならレノックスに、あたしの涙を見られる事もない。
それに今だけでも、面と向かって大好きな彼を見る事が出来る。
────この国に、星の日があって本当に良かった───。
それから、レノックスに貰ったお菓子を丁寧にカバンにしまうと、あたしは友達と一緒に王国中へとお菓子を貰いに駆け巡った。
すると、丁度練兵場通りを通った時にラザールを見つけたので、あたしは泥団子を手にニヤニヤしながら彼に駆け寄った。
む……、さすがラザール。
すかさずお菓子をカバンから取り出した優しいお人好しの彼は、きっと今日の為に沢山お菓子を用意していたのだろう。
それに、あたしの大好きなイムムースを差し出してきたので、思わず飛び上がって喜んでしまった。
「わーいっ!!ありがとう!!ラザール!」
「ふふ、イムムース好きだよね、殿下」
「もっちろんっ!だってカワイ……!?」
そう言いかけて、ハッと固まる。
するとラザールが口元を手で覆いながら、肩を震わせてあたしから顔を逸らした。
それを見て、ブワリと一気にあたしの顔も真っ赤に染まる。
あ、あたしだってバレてる……!!
なんでバレたのかは分からないけれど、いつも彼の前では大人ぶっていた手前、飛び上がって喜ぶ姿を見られた事がなんだか妙に恥ずかしくて、手で顔を扇ぎながら仮面を深くクイッと被りなおした。
「ラザール!!笑い過ぎ!!っていうか、どうしてあたしだって分かったの!?」
「く、ふはっ、あははっ! あー……うん、ゴメンね、殿下。なんでだろうね、殿下だけは何故か分かる」
「な、なによそれっ!!理由になってないし!」
フンッ!ともう一度仮面を被りなおしてラザールから顔を背ける。でも何故か、恥ずかしいという感情の中に少しだけ嬉しいという感情が混ざっている事にふと気付いて、不思議な気持ちになった。
***
───それから楽しい星の日も過ぎて、慌ただしい年末も過ぎ、この国に新しい年がやってきた。
今日は父ちゃんから異国のお客様が来ると聞いていたので、あたしは朝からソワソワしながらエルネア波止場とウィアラさんの酒場を行ったり来たり。
なんでも、“悔恨の砂時計”っていう時を少しだけ巻き戻す魔法の道具の、懐中時計バージョンが代々王家には秘密裏にあるらしく、それを使うと時間を巻き戻すだけではなく、『違う時間軸のこの国』と行き来出来るらしいのだ。
そして違う時間軸なので、当然国に住む人も変われば、歴史も変わってくる。
あたしの国は今のところ、代々ガイダル姓が国王になっている国だけれど、時間軸が変われば違う姓の国王が誕生していたりするので、父ちゃんの話だと今分かっているだけで、あたしの国を含め八つの姓の違う国が確認されているらしい。
今日はその八つの内の一つ、オスキツ・ブヴァール国王が治める国の、三人の王子達が遊学に来るというのだ。
しかも父ちゃんは以前彼らに会った事があるらしく、美形だけれど個性豊かな面々だと笑って話してくれた。
時々この国にも旅人は来るけれど、そういう時間軸を越えて来る異国のお客様は初めてなのでワクワクする。だから楽しい事が大好きなあたしが国の案内役を父ちゃんに買って出たのだ。
そろそろだと思うんだけどなぁ、とウロウロしていると、ヤーノ市場を通って来たあたしとは入れ違いだったのか、神殿通りから酒場に向かって歩く三人の旅人の後ろ姿を見つけて、嬉しくなってつい大声で呼び止めた。
あたしの大声に驚いたように、三人ともこちらを振り向く。
振り返った三人それぞれの美形っぷりに、心臓は大きく跳ねたけれど、王女として案内役を買って出たのだ、ここはしっかりしなきゃ!と、堂々と声を掛ける。
一番手前にいた長髪の王子に声を掛けると、彼は一瞬あたしの言葉に驚いた表情をしたけれど、すぐに人好きする笑顔で頷いた。
「やぁ、こんにちはお嬢さん。僕達の事を知っているという事は、ワイアット殿下のお知り合いかな?殿下は今どちらにいらっしゃるか分かる?」
「……殿下? 殿下じゃなくて、今は国王だよ!」
「え?」
長髪王子が驚いた表情をした途端、後ろにいた黒髪を後ろに撫で付けている王子が突然叫び出した。
「……っあーーーーー!!! アンガス!! お前だろ!!」
彼はそう言って、隣にいたアッシュ色の髪の王子の肩を掴んで焦ったように揺さぶっている。
「お前、時空移動するあの時、懐中時計弄ってただろ!?」
「あーもう。アンテルム煩いよ。だって、せっかく時空移動するんだったら、少し未来のワイアットを見たいだろ?」
「み、未来って!!私は、あの日のワイアット殿下にもう一度試合を申し込みたいといったはずだ!」
「あーー、もう、本当アンテルム煩い。熱くなんないでよ、済んだことは仕方ないじゃん。ワイアットも懐中時計の様子で気付いてたみたいだし」
「お、お前って奴は……!だから父上にも奏士になって出直せと、神殿送りにされ」
「はいはい、二人共もうそこまで」
長髪の王子が穏やかに仲裁に入る。
ビックリして呆然と王子達のやり取りを見ていたあたしに、長髪の王子が振り返りもう一度ニッコリと笑いかけてきた。
「ごめんね、驚かせてしまったね。僕はティムって言うんだ、宜しくね。ところでお嬢さんは、ワイアット陛下のお知り合いか何かかな?良ければ僕達を陛下の所まで案内してくれないかな?」
そう言って屈んだティム王子が穏やかに、あたしと目線を合わせて微笑んだ。
その笑顔に、ついドキリとしてしまう。
父ちゃんが言っていた通り、三人ともかなりのイケメンだ。
これは国中の女性陣が騒ぎ出すだろうなぁ、とつい引き攣りそうになる口元を無理矢理笑顔に変えて、あたしは大きく頷いた。
「うん!いいよ!あたしは父ちゃ……えーっと、ワイアット陛下の娘のウィルマリア!よろしくね!」
あたしがそう挨拶すると、三人ともポカンとした表情を浮かべた次の瞬間、大きく目を見開いて三人同時に同じ言葉を叫んだ。
「「「 娘!?」」」
……なんとなく、三人が来た事によって今日からの日々が少しだけ騒がしそうだな、なんて思った。
3.心にぽっかり空いた穴(ウィルマリア編)
あれからすぐに収穫祭の日がやって来た。
収穫祭は全ての食物に感謝しなきゃいけない日なのだけれど、あたし達子どもにとったら収穫祭の楽しみは別にあったりもする。
その楽しみのひとつは、収穫祭の日限定のウィアラさんの料理だ。父ちゃん達の会議によってマトラランチかハーベストプレートになるか変わるけれど、どちらも美味しいからあたしは大好きで。
だから今日は、母ちゃんが朝から試合に向けての訓練だとゲーナの森へと向かった為、父ちゃんをデートへと誘ってみた。
あたしの父ちゃんはとっても強くてカッコ良くて、そして優しい。女の子はみんな自分の父ちゃんみたいな人を好きになると聞くけれど、あたしの父ちゃん以上にカッコいいと思える人はいないんじゃないかと本気で思う今日この頃。……まぁ、レノックスは色んな意味であたしにとって特別だけれど。
父ちゃんと酒場に着いて向かい合って座り、今年のマトラランチをウィアラさんに注文する。
丁度時間的に空いていたのか、料理はすぐに出て来たのでウキウキと足を揺らす。すると父ちゃんが、そんなあたしを見て楽しそうに笑った。
それがなんだか少し照れ臭くて、いそいそと目的の占いの包みを開ける。
今日のウィアラさんの料理は特別なメニューというだけじゃなく占いおみくじもついていて、それが楽しみでみんなこぞって酒場にやって来るのだ。
あたしは占いと一緒に導きの蝶が入っていて、父ちゃんは小さな装飾品が入っていたらしく、二人で当たるといいね、と笑い合った。
“おもうだけじゃ、なにもかわらない”かぁ……。
言われてみると当たり前の事だけれど、それが出来ていないからこそみんなもがいているわけで。
この導きの蝶でレノックスに会いに行きなさいって事なのかなぁ、なんて、自分に都合良く解釈すると、父ちゃんと酒場で別れてからオスカル達ともう一つの楽しみである宝探しをする為に、あたしは牧場の方へと走り出した。
***
次の日は、前日の宝探しに夢中になり過ぎて寝坊してしまった。本当は今からでもレノックスに会いに行きたかったけれど、今日は母ちゃんの授業の日だ。遅れたり授業をサボったりなんかしたら怒られるのは目に見えているので、あたしは大急ぎで学校へと向かうことにした。
ふぅ、危ない。ギリギリだ。
母ちゃんにチラリと視線を向けられて、あたしは思わず背筋をピンと伸ばした。
学校で食べるお弁当を大急ぎで口の中に詰め込むと、あたしは昨日の占いで当たった導きの蝶をカバンから取り出す。
昨日は宝探しに夢中でレノックスに会えなかったのだ。勿論、あたしが会いに行かなければレノックスに会える事はない。
そう思うと少しだけ胸がチクリと傷んだけれど、気にしない。
あたしはすぐにレノックスの事を思い浮かべると、同時に幸運の塔の風景が浮かんできて、またか……!と、大慌てで転移石で幸運の塔へと飛ぶ事にした。
幸運の塔に着くと、少しだけ遅かったのかレノックスがレティーシャさんを振っているところだった。
彼女には申し訳ないけれど、思わずホッとする。
───それに。
同級生である仲の良かった彼女でさえ振るなんて、レノックスが中々恋人を作ろうとしないのは、もしかしてあたしの事を待ってくれているから……?
なんて、この間の会話の事なんて忘れて能天気にもついふにゃりとにやけて喜んでしまった。
レノックスに声を掛ける事も忘れて、将来の自分とレノックスの未来をついつい妄想してにやけていると、仲良しのエドワードが少しだけあたしの事を訝しみながら声を掛けてきた。
「殿下……なんか顔が怖いよ」
「や、やぁね! 恋する乙女の顔だったでしょ!」
あたしが憤慨しながら返事をすると、エドワードは小さく小首を傾げつつも気を取り直したように声を掛けて来た。
エドワードはあんなに気が弱そうな顔をしていても実は性格は遊び好きで、子どもから大人含む沢山の女の子に毎日声を掛けているのをあたしは知っている。
将来沢山の女の子を泣かせるプレイボーイになるんじゃないかしら、と心配してしまう友人の一人だ。
旧市街の森へと着いて採取が終わった帰り道、薬師の森で一人採取をしているラザールを見つけた。
多分誰かと採取に来たのだろうけれど、相手は先に帰ったのかラザールのみ一人黙々と採取に勤しんでいる。
……そんな事している暇があったら、女の子の一人や二人、幸運の塔に呼び出せばいいのに。
ふぅ、と気付かれないように小さく溜息を吐いてラザールの肩を背後からツンツン、と突く。
「……ラザール、ご機嫌よう」
「あ、やぁ、殿下。偶然だね、殿下も採取に来たの?」
「………」
「え、あれ? どうかしたの?」
あまりにもほんわかした笑顔で返事をされて、つい眉間にシワが寄りそうになる。
この人……本当にあたしより年上なのよね?
もう一度溜息を吐きたいのを我慢して、カバンからある物を取り出した。
母ちゃんの化粧台からこっそり持ち出したウィムの香りだ。
この香水は巷では少しだけ異性にモテやすくなる……と噂されているのだ。
本当はレノックスに話しかける時用のとっておきとして取って置いたのだけれど、ラザールの婚活の方が大事なので仕方ない。
だけどなんの香水なのか分かっていないラザールは、ほんわかした雰囲気のまま嬉しそうに「ありがとう」と、ふわりとあたしの頭を撫でた。
少しだけ香水の効果なのかドキリとしてしまったあたしは、なんだか悔しくてラザールをキッと見上げると、「色んな女性に声を掛けるのよ!いい!?」と、念押しして踵を返した。
***
翌朝、朝から母ちゃんのおつかいでヤーノ市場まで来ていたあたしは、お小遣いで星空の砂でも買ってレノックスに持って行こうかなぁ、なんてフラワーランドを覗いていると、少しだけソワソワしたオスカルが声を掛けて来た。
ふんふん〜♪と鼻歌交じりで答えたあたしに、何故かオスカルはソワソワしつつ視線を逸らした。
「なーに? オスカル。何かあたしに用事?」
「あ、……えっと、」
どうしたんだろう。
いつもどこか自信なさげなオスカルだけれど、なんだか今日の彼の様子はいつもと全く違う。
「で、殿下! 東の森に虫、とか……探しに行かない!?」
「はぁ? 何言ってんのよ。学校があるんだから午前中は出掛けられるわけないじゃない」
学校がある日は午前中出掛けられないなんて、エルネア王国の学生なら誰でも知っている事だ。
瞬時にオスカルがあたしの気を逸らしたい何かがあるのだとピンと来て、あたしはオスカルに詰め寄った。
「なーに? 何隠してるの? 言わなきゃコチョコチョしちゃうわよ!」
「わっ……ちょっ、やめ、」
慌てたオスカルがヤーノ市場から駆けて行く。
あたしの体力舐めないでよね!と、追い越す勢いで駆け寄りオスカルの腕をガシリと掴むと、彼は観念したのかガクリと項垂れた。
「レ……」
「レ?」
「レノックス、さんが……」
「……!」
オスカルの言葉に、瞬時にあたしはカバンから蝶を取り出した。
言わずもがな、彼を思い浮かべると景色はいつもの通り幸運の塔で。
あたしは焦って滑る手になんとか力を込めて、転移石を握りしめた。
どうしようどうしようどうしよう……っ!!
オスカルの焦りようからして、頭の中には嫌な想像しか浮かばない。
こんな事、何度もあったじゃない……!
きっと今回も、いつものように断ってくれるはず……!
祈るように転移石で飛ぶと、レノックスが幸運の塔へと向かうところだった。
───断って……くれる、よね?
いつもみたいに、申し訳なさそうな顔で、ここから立ち去って……くれるよね?
祈るように二人を見つめる事しか出来ない自分が歯痒くて、スカートの裾をギュッと握りしめた。
───だけど現実は残酷で。
あたしの目の前で嬉しそうに頬を染める二人が見えて、あまりの衝撃に涙も出なかった。
───ずっと、ずっと。
レノックスだけを、想って来たのに────。
小さいあたしには、成すすべも無くて。
幸せそうな二人が、歩いて行くのを見ている事しか出来なかった。
どんなに、───どんなに見つめても。
レノックスがあたしの方を見てくれる事は無くて。
少しだけ彼を追いかけてみたけれど、レノックスが振り向いてくれる事は、───無かった。
***
なんだか一気に何も考えられなくなって、学校が終わってもあたしはただ椅子に座ったまま、ぼーっと時間が経過するのを待っていた。
このまま明日になって、全部夢でしたってなれば良いのに。
……今は外に出たくない。
今外に出て、もし、仲良さげな二人が視界に入ったら。
……あたしはきっと、人目も憚らず泣いてしまうから。
この国の王太子である自覚なんてそんなに無いけれど、やっぱりあたしにだって意地はあるから。
だから、こうして外が暗くなるのをただ待とうと黒板を見つめる。
すると後方から騒がしいルシオの声が聞こえてきて、あたしが無視を決め込んでいると、
何故か彼は、あたしの隣へとドカッと騒々しく腰掛けて来た。
……なんなんだろう。
そっとしておいて欲しいのに。
そう思いつつも、隣で何故かムスッと黙っているルシオが気になって、チラリと隣へと視線を向ける。
思わずルシオの返答に、目を見開いてしまった。
お、お散歩って、あたしの隣に座ってるだけじゃない!それのどこがお散歩なのよ……!と、思わず口にしようとしたら、ルシオがいつものようにニッと笑った。
「お前が大人しいと、なんかつまんねーんだよ。早くいつもの調子に戻れよ」
ルシオの思い掛けない言葉にグッと詰まっていると、涙が溢れそうになって。
あたしはぐっと涙を堪えつつ強気な笑みを彼に向けた。
「明日になったら元に戻るわよ! バーカ!」
だけどこれ以上は堪えられない、とあたしは急いでムーグの図書室へと転移石で飛んだ。
***
ここなら、滅多に人が来ないはず。
そう思ってミアラさんをチラリと見る。
ミアラさんはあたしと目が合うと、黙って微笑んでくれた。
ずーっと昔からこの国の図書館司書をしているミアラさんは、巷ではウィアラさんと二人、この国の妖精なのだと噂されている。
歳をとらなければ、死ぬ事もない。
でも、みんなそれが普通としてこの国で暮らしているのだ。
かく言うあたしも、二人の存在を不思議には思わない王国民の一人なのだけれど。
なんとなく、ミアラさんの側にいると心が落ち着く気がしてホッと息を吐いて肩の力を抜いた。
ミアラさんののんびりした雰囲気は、なんとなく誰かと似ている。
その“誰か”を頭に思い浮かべて、あたしの口元が少し緩んだ。
確かに夏の太陽で外は溶けそうな程に暑い。
だけどここはひんやりしていて過ごしやすいと気付いて、ミアラさんのお言葉に甘えて本でも読もうと本棚へと向かった。
この国の王女たる者、歴史は知っておくべきよね!なんて、勢いつけて本を数冊手に取ってみるも、どれもこれも難しい言葉ばかりでチンプンカンプンだ。お陰で大分気は紛れたけれど、自分の脳筋ぶりにルシオに言い返せないと項垂れてしまった。
はぁ……、と小さく溜息を吐いたところで、背後からトントンと軽く肩を叩かれて振り返ると、そこにはラザールがいて。
少しビックリしつつも、ミアラさんと同じでのんびりした彼の雰囲気に自ずと和む。
この間あたしが指摘した通り、彼は自分で今日も香水をつけてきたようでふんわり良い香りがする。
だけど相変わらず、恋人はまだ出来ていないようで少しだけ残念に思ってしまった。
一通り挨拶を済ませると、何故かラザールが少しだけ目を泳がせた。
どうしたんだろう?と、小首を傾げて彼を見ていると、コホン、と咳払いを一つして、その後少し慌てたように自分のカバンをガサゴソと漁り始めた。
不思議に思って彼をジッと見つめていると、急に真面目な顔つきになって、サッと目の前に何かを突き出して来た。
あまりにも予想外の言葉に、思わず一瞬ポカンとしてしまう。
でもすぐに彼が照れ臭そうに視線を逸らしたので、あたしはサッと香水の瓶を受け取った。
まだ子どもが香水を使っちゃいけない事をラザールは知らないのか、香水をつけてもいないのに焦ったように先走って似合っているなんて言ってくる。
そんな彼も、あたしがレノックスを追いかけている事を知っていたので、慰めてくれているつもりなんだろう。
そんな彼の様子がおかしくて、ふんわりと温かくて、あたしは思わず吹き出すように笑ってしまった。
───……そうしたら、なんだか少しだけ心にぽっかり空いた穴が、塞がったような気がした。
2.恋模様(ウィルマリア編)
今日は朝から、父ちゃんも母ちゃんも大忙し。
それもそのはず、今日は王国を挙げてのギート麦の収穫の日だ。
朝から王国のみんなが一斉に農場の各畑へと向かう。その時の長蛇の列は、道行く子ども達の通り道を塞いでしまう程。
でも実はあたし達子どもも、こっそりその長蛇の列に混じってはワクワクと農場へと向かう。
だって、こんなにみんながこぞって同じ所へ向かうなんてそうそうないんだもん!王国のみんなでワイワイとピクニックにでも行っているみたいで、邪魔しちゃいけないのは分かっているけれど、どうしてもワクワクしてしまうのだ。
そしてそんな長蛇の列に加わる今日も、あたしが向かう先は一直線!
のんびりとほのぼの収穫している母ちゃんと父ちゃんを横目に、レノックスの家の畑へと走った。
「レノックス! おはよう! 恋人はまだいない!?」
「ははっ。おはよう殿下。今朝も相変わらずだね」
レノックスが麦を収穫しながら楽しそうに笑う。
あたしのこれは、今やもうレノックスには恒例の挨拶になってしまっている。
あたしの性格上うじうじ黙っている事は出来ないし、気になる事はそのままにしない!っていうのがあたしの信念だ。
今日もレノックスが麦を収穫している姿でさえ、今のあたしには王子様に見えてしまいついついうっとり見惚れてしまう。
レノックスはモテ男だから放っておいても女の人が寄ってくる。だからか、レノックスの方から話しかけてくれるなんて事はまだ一度もないけれど、それでも毎日しぶとく会いに行くくらいには、あたしは彼に恋をしていると思う。
今朝もまだレノックスに恋人はいないと確認出来ると、ホッと胸を撫で下ろしつつ邪魔しちゃいけないとレノックスの元を後にした。
すると、いつもはばぁばと森にこもりきりのじぃじの姿が見えて嬉しくなる。
じぃじはあたしの父ちゃんよりも若い。
今は近衛騎兵だけれど、昔は農場管理官だったってばぁばが教えてくれた時は意外過ぎてびっくりしたけれど、こうして手際よくギート麦を納品している姿を見ると、農場員だった頃のじぃじが垣間見えた気がして嬉しくなった。クールなじぃじは口数は少ないけれど、とっても優しくてカッコいいから大好きだ。
じぃじが農場員に混じってテキパキと納品している姿をずっと見ていたかったけれど、みんなの邪魔になったらダメだと名残惜しみつつも農場を後にした。
昼の一刻に学校で授業を受ける前に、ヤーノ市場でお弁当を買おうと向かっていると、誰かがパタパタと向かって駆けてくる。彼はパッと顔を上げてあたしと目が合うと、嬉しそうにニッコリ笑って近づいて来た。
仲良しで、一歳年上のコルネーリオだ。
彼はとっても負けず嫌いな性格で、よくあたしに料理を持って来ては食べさせてくれる。
前に一度、色が綺麗という理由からあたしに『青いビスク』を持って来てくれた事があった。
色は確かに綺麗だったのだけれど、味はとても微妙で。頭にはてなの音符だらけの味に思わず「変な味」と呟いてしまい、それがどうやら彼の趣味である料理作りに火を付けてしまったようだ。
それからというもの、あたしにちょくちょく料理をしては持って来てくれるようになったのだ。
今日はハニームタンを持って来てくれて、蜂蜜が大好きなので大喜びしていると、コルネーリオは少しだけ照れたように鼻を掻いて「じゃあまた後で!」と、先に学校へと向かってしまった。
***
その後学校では、今日の麦の収穫についての勉強をした。麦の収穫は夕方まで行われるので、今日はもう家でおとなしくしていようかなぁとお城に向かいながらある事を閃いた。
そうだ! お絵描きしよう!
この間フラワーランドで、サリアの花と交換で購入できる赤いクレヨンを見かけたのだ。
自分の閃きに思わず嬉しくなって、駆け足でお城まで戻った。
ふふふ! 何を描こう!
ワクワクしながら紙に描いていると、なんだかそれだけでは飽き足らず寝室の壁にコソッと落書きをしてみた。
……楽しいっ!!
思わず夢中で描いていると、誰かが近付いてくる足音に思わずギクリ、と肩が竦む。
慌てて絵を隠しつつ振り返ると、そこには同級生のオスカルがいて不思議そうにこちらを見てきた。
父ちゃんや母ちゃんじゃなくて良かった、とホッとしつつも焦りは隠せなくて、つい上擦った声で返事をしてしまう。
「こっ、んにちは!」
「……殿下、何隠してるのー?」
「なっ……なんでもないわよ!」
「ふーん……?」
オスカルは見た目は美少年だけれど、やることなす事全てがなんとなく地味で。ルシオみたいに行動的ではない分、なんとなく行動は控えめだけれど色々と勘が鋭いところもあったりする。あたしの同級生兼幼馴染だ。
オスカルは普段あまり行動的ではないけれど、昔からの幼馴染という事もあって、あたしの事はよく遊びに誘ってくれる。
今日もあたしの行動を訝しみつつも、彼のトレードマークでもある困り眉をほんの少し上にあげて誘ってくれる。
あたしはこの、……幼馴染の誘いに弱いのだ。
あたしよりも少しだけ誕生日が後であるオスカルは、なんだか可愛い弟分みたいで断れないのだ。
それに彼はなんとなく地味で派手な事はしないけれど、森の小道に行くとあたしよりも弱いくせに必ず守ってくれようとする。
そんなオスカルの傷をあたしが手当てしてあげるのが、二人で探索に行った時のお決まりだ。
今日もオスカルに連れられて牧場に向かう。
何度二人で通ったか分からないくらいだけれど、何度来てもやっぱり楽しいと思う。
牧場に着くと「何して遊ぼうか?」と、オスカルが小首を傾げて聞いてくるのが堪らなく可愛い。
オスカルの困り眉はあたしのお気に入りだ。ついついこの困り眉をもっと見たくて、少しだけ意地悪く笑って答えてしまう。
ふふふっ。焦っているオスカルも可愛いっ!
あたしにこんな弟がいたらなぁっていつも思うけれど、それを言ったらオスカルは何故かいつも少しだけ寂しそうに笑う。
「えー、弟が不満?」と聞くと、オスカルは決まって「んー、そうじゃないよ」と少しだけ拗ねるのだ。拗ねたオスカルも可愛いけれど、放ってはおけないので、その後一緒に家まで帰るのもあたし達のお決まりのコースだ。
でも今日は、母ちゃんの率いる近衛騎士隊のトーナメント開会式だったのを思い出して、オスカルの手をグイッと引っ張った。
「オスカル! 王立闘技場に行こう!」
慌てるあたしにオスカルはすぐに理由を察すると、あたしと一緒に駆け出した。
***
王立闘技場に着くと、母ちゃんが隊の先頭で父ちゃんに向かって敬礼をしているところで。
いつみても、騎士隊ってカッコいいなぁと思う。
家では父ちゃんにメロメロの母ちゃんも、今ばかりはビシッと決まっていて。
じぃじとばぁばも騎士隊で、二人して母ちゃんを見守っているようで胸が熱くなる。
対するみんなに『陛下』と呼ばれる父ちゃんも、家ではあたしに甘々でも、この時ばかりは母ちゃんと同じく国王としての威厳が半端なく、そしてカッコ良くて。
二人の間に生まれてこれた事を誇りに思う。
いざ母ちゃんの第一試合が始まると白熱するバトルに思わずオスカルの手をギューッと握る。
するとオスカルも、少しだけいつもの困り眉を上げて大丈夫、と言わんばかりに手を握り返してくれた。
───やっぱり、こういう弟が欲しいなぁって思う。
***
昨日の母ちゃんの試合に夢中になり過ぎて、今日は少しばかり寝坊してしまった。
ばっちり初戦を勝ち取っていた母ちゃんが、カッコ良くて誇らしくて、興奮し過ぎた為寝るのが遅くなったのだ。
だから今朝はレノックスに会いに行けてなくて、学校へと直行だった。
学校が終わった後、友達とハーブ採取に出掛けた帰り道、シズニ神殿の辺りが少し騒がしくて立ち寄ってみた。
中に居た人達のほっこりした表情に、あ! 結婚式か!、と参列者の列を見つめていると、見知った顔を見つけてつい呼び止めた。
「ラザール!」
「あ、やぁ殿下。殿下も結婚式の参列?」
なんともほんわかした雰囲気のラザールに思わず和む。たまたま寄ってみただけだと告げたあたしに、ラザールは「そっかー」と、また穏やかに微笑む。
人の幸せを素直に喜んであげられるラザールは、あたしから見てもとてもイイ男なのに。やっぱりまだ、恋人はいない。
「……人の幸せもだけど、まず自分の幸せを優先しなさいよ」
ついついラザールに対しては、自分の方が年下のくせに生意気にもお節介を焼いてあげたくなってしまうのだ。あたしの言葉にラザールは、「相変わらず殿下は手厳しいなぁ」と朗らかに笑う。
そしてあたしの頭をふわりと優しく撫でると、
「でも、ありがとう。殿下は優しいね」
そう言って目を細めて優しく笑った。
その笑顔に、───……不覚にもドキリとしてしまった。
ラザールはじぃじに似ているから。だから妙に気になってしまうし、一緒にいると何故か安心してしまうのだ。
なんだかこの状況が少しだけ悔しくて、お人好しなラザールに、つい突っかかりたくて意地悪く質問をしてしまう。
するとラザールは案の定、少しだけ困ったように答えていたので、ついつい調子に乗って更に詰め寄ってしまった。
いつもは穏やかなラザールが、慌てて弁解するように話してきたのでなんだか楽しくて、あたしはついつい大声で笑ってしまった。
***
ラザールもみんなも外に出てしまってから、一人残って神殿内の彫刻を見つめる。
───……いつか。
いつかここで、あたしも運命の人と結婚するんだ────。
そう思ったら、なんだかまだまだ遠い未来の事なのに、少しだけ……ソワソワとしてしまった。
***
それから、今日はまだレノックスに会っていなかったと思い出して、慌てて導きの蝶をカバンから取り出す。
レノックスの居場所を確認しようと心の中で彼を思い浮かべると、『幸運の塔』が景色で出て来て思わずビックリしてカバンへと蝶を戻した。
い、今のって……!
“幸運の塔”は、この王国の有名な告白スポットだ。
そこにレノックスがいるということは……。
───ど、……どうしようっ。
どうしよう、どうしよう、どうしようっ───!
どうしたらいいのか分からなくて、半ば祈るような気持ちであたしは『転移石』をカバンから取り出した。
これは導きの蝶よりも早く、そして正確にその場所へと瞬時に移動出来る魔法の石だ。
取り敢えず、全てはこれで移動してから考えよう。
バクバクと心臓が早鐘のように身体中に鳴り響いて、手に汗がジワリと滲む。
見たくないけど、確かめたい。
その想いだけで転移石をぎゅっと強く握った。
あっという間に幸運の塔に着いたあたしは、目の前の光景に呆然としながらも、二人に近過ぎる事に動揺して思わず後退りする。
するとそこへ、コルネーリオが丁度通りかかったようで嬉しそうに声を掛けて来た。
コルネーリオと遊ぶのは勿論好きだけれど、今は正直それどころじゃない。
いつもは誘いを断らないあたしでも、流石に今ばかりは断ってしまった。
コルネーリオに謝りつつも二人がどうなったのかが気になって、そちらに意識を集中させてしまう。
すると、恋人のいないはずのレノックスが申し訳なさそうに断っている姿が目に飛び込んできた。
相手の女性の落ち込みように、喜んじゃいけないと思ったけれど、正直ものすごくホッとしてしまった。
……レノックス、断ったんだ。
確かに彼はモテるけれど、幸運の塔にまで来ているのを見たのは初めてで。
それなりに仲の良い女性だったんだろうなということが分かって、なんだか少しだけ複雑な気持ちになる。
ふと、顔を上げたレノックスと目が合った。
けれど彼はすぐに、あたしから視線を外してしまった。それがなんだか、大人の世界と子どもの世界の線引きをされたように感じて、堪らずあたしは彼に駆け寄り服の裾を掴んだ。
あたしの咄嗟の行動にレノックスは一瞬驚いた表情をしたけれど、すぐにいつもの表情に戻るとあたしの頭をポンポンと撫でて来た。
「どうしたの、殿下?」
「……」
レノックスの態度に、……あぁ、そうか。と思い知らされる。
───あたしは、……彼の中ではまだまだ子どもなんだ。だからいつも軽くあしらわれる。
本気の女性に対して、レノックスはあんな風に受け答えするのだと知り、なんだか無性に悔しくなった。
ほらね、と思う。
あたしなんかに、本気で受け答えするわけないんだ。
レノックスに恋人が出来なかった事は嬉しい事のはずなのに、なんだか無性に自分も振られたような変な感覚で。
レノックスと別れてからあたしは、暫く塔の近くのほとりで静かに揺れる池をじっと見つめていた────。
1.あたしの一日(ウィルマリア編)
あたしの父ちゃんは、ワイアット ・ガイダル。
ここ、エルネア王国の現国王で。
そして母ちゃんであるシャノン・ガイダルは、国王である父ちゃんを支えるべく、現在近衛騎士隊長、兼、評議会議長。
そんな二人から生まれてきたあたしは───、
周りから『殿下』と呼ばれるこの国の王女、ウィルマリア・ガイダル───。
……まぁ、王女といっても他のみんなとほとんど生活に変わりはないのだけれど。
───そんなあたしもつい先日入学式を迎えて、今日から学生生活の始まり!
ってなわけで、朝から鏡の前でお洒落に勤しんでいると、後ろからあいも変わらずラブラブな両親の声が聞こえてきて、思わず溜息が漏れそうになる。
……母ちゃん、朝から父ちゃんに抱きついてるし。
鏡越しで全部見えてるし!
ちらりと見えた若干苦笑いの父ちゃんも、本当は絶対嬉しいくせに、と朝からイチャイチャする両親に呆れつつも、あたしの口元もなんだかんだで少しだけ緩む。これがあたしの日常だ。
あたしの両親は、それはもう運命的な大恋愛だったと母ちゃんに何度も聞かされてきた。
あたしが今よりもう少し小さかった頃は、恋愛になんて全く興味がなかったから、ふーん……ぐらいにしか聞いていなかったけれど。
今なら……分かる。
あたしにだって、運命だったら良いなって思う……“好きな人”がいるから。
あたしの一日は、両親のラブラブを横目に朝食を摂ることから始まって、朝食が済んだらすぐに温室に向かう。
そして温室で“ハチミツ”を採取してからせっせと魔法のカバンに押し込んで、向かう先は一直線!
そう、彼があたしの好きな人! レノックスだ。
レノックスは近衛騎士のジミーさんの息子で、あたしよりも三歳年上だ。
一目見た時から、王子様然とした彼の容姿に完全なる一目惚れだった。勿論、ぶっきらぼうな性格の割には優しいところもある彼の中身も大好きだけれど。
毎日欠かさずレノックスに朝一で会いに行く。
そしてすかさず恋人が出来ていないかの探りを入れるのがあたしの朝の日課だ。
母ちゃんにはよく、もう少しお淑やかに……なんて小言を言われるけれど、そんな事してたら誰かに取られちゃうし!恋は先手必勝なんだから!
「おはよう、殿下」
「おはようレノックス! まだ恋人は出来てない!?」
あたしの素早い質問に、レノックスはいつもの如く苦笑いを零す。
「そうだね、まだ恋人はいないよ」
「ふふ! 良かった! じゃあまた後でね!」
レノックスは“エナのほほえみ”というモテ男の天賦の才を持って生まれているので、油断するとすぐに誰かに告白されてしまう。
だから毎朝この瞬間は、簡単に聞いているようで実は神経をすり減らしている質問だったりもするのだ。あたしが成人するまであと三年。それまでなんとか待っていてくれないかなぁ……なんて、いつも願ってしまう。
レノックスとバイバイしてからは、学校の授業の時間まで友達に挨拶したり王国中を駆け回る。
しかも今日は朝から雪が降っていた為、いつもよりもテンションが上がってしまう。
あたしより一歳年上のルシオだ。
年上のくせに、やっぱりレノックスに比べるとルシオは全然お子ちゃまなんだから、とぼそりと呟くとルシオが「脳筋ワイルド王女には言われたくないね」と、雪球を投げて来た。
「の、脳筋!? こんの、やったわね!!」
確かに恋愛に目覚めるまでのあたしは、身体を鍛えたくて探索に早く行きたくてカレーばかり食べていたけれど! 未だに母ちゃんだけじゃなく、父ちゃんにまでウィルマリアさんはワイルドだなぁなんてよく笑われるけれど! 脳筋だなんて! 人を筋肉バカみたいにっ! 筋肉って大事なのよ!?
ルシオに雪球の渾身の一撃をお見舞いすると、彼は一瞬呆気に取られていたけれどすぐに雪球を投げ返して来た。……ルシオとは、いつもこんな感じだ。
しばらくして学校に着くと、学生になって初めての授業が行われた。
様々な職業の先生が授業をしてくれるとの説明にワクワクしてくる。
元来あたしは、ワイルドな性格も相まってか根っからの冒険好きだ。だから探索も大好きで、授業で未知の世界を知る事もワクワクするから大好きだ。
明日からの授業も楽しみだな、とお弁当を頬張りつつも、学校が終わったらレノックスに会いに行こうと魔法のカバンから導きの蝶を取り出す。
この蝶は会いたい人を思い浮かべると、その人の元へと導いてくれる不思議な蝶だ。
早速学校が終わると同時にレノックスを心の中で探すように思い浮かべる。
ふふ! 農場にいる!
畑仕事かなぁと、農場まで急ぐとレノックスが知らない女の人と歩いている姿が目に飛び込んできた。
むぅ……。旅人のお姉さんか。
二人で楽しそうに話している姿を見ると、二人の間に割って入って行きたくなる。
もおぉぉぉ! 早く離れてよおぉぉ!!!
二人が離れるのを側でソワソワ待ちながら、急いで魔法のカバンに手を突っ込む。
母ちゃんから教わった、簡単だけれどマナナサンドだ。
二人の会話が途切れた瞬間を狙ってすかさずレノックスに話しかけた。
ふふふ。男は胃袋で掴めって叔母であるユフィに聞いたのだ。
本当は一日中レノックスに張り付いて見張っていたいところだけれど、あたしに学校があるように彼にも付き合いや仕事というものがある。
それでもギリギリ一緒にいられる瞬間までは、とレノックスの側でハーブ採取をしていると、二歳年上のクライブに鉱石採掘に誘われた。
元々身体を動かす事が大好きなあたしは、大抵の誘いは断らずに着いて行く。
好奇心旺盛なクライブは、よく洞窟の中まで行きそうになって周りの大人に止められている。
まぁ……気持ちは、分かるけれどね。あたしも洞窟の探検に行きたいから。
でもクライブはあたしよりもまだまだ力が弱くて、たまに採掘中のモンスターにコテンパンにやられて泣いているのを見かけるから、あたしも注意を促した。
それから各々採掘しようと場所を移動してふと顔を上げると、目の前に大きな黒い影が見えて一瞬ビクリと肩を上げてしまった。
「あ、やぁ、殿下。採掘に来たの?」
「ラザール!」
こちらへと振り返った人物を見て、もう、ビックリさせないでよ! と、小さく溜息を吐いた。
ラザールはあたしよりも六歳も年上の大人だけれど、お人好しの性格のせいか結婚どころか未だに恋人もいない。
レノックスにいい寄る女性陣を紹介してあげたい、と思うくらいにはあたしも心配していたりするのだ。
ラザールは、あたしのじぃじに雰囲気が似ているせいか、年上だけれどなにかと世話を焼いてあげたくなってしまう。
「ラザール、恋人探しは順調なの?」
「うーん。まだかなぁ」
「まだ!? まだって、そんな悠長な事言ってられる時間ないわよ!」
「んーそうだねー。はは、殿下は手厳しいなぁ」
ついつい眉間にシワが寄ってしまいそうになるけれど、彼のこの人好きするふんわりとした笑顔に、結局いつも「しょうがないなぁ」と、追求する気持ちが削がれてしまう。
そしてやっぱり最後はほっとけなくて、あたしが大人になったら紹介してあげよう、で終わるのだ。
そんなこんなであたしの一日は瞬く間に過ぎて行く。
でも一日の締めくくりはやっぱりレノックスに会いたくて、また蝶で彼を探してしまうのだ。
また他の女と採取に来ている……!
しかも、もう夜なのに……!
悶々としながら、レノックスの服の裾をギュッと握って今からどこに行くのか詰め寄った。
勿論、家に帰るんだよね!? という想いを込めて。
するとレノックスは、目を細めてふわりと笑った。
レノックスの言葉についつい一緒に行きたくて本音が溢れると、ポン、と優しく頭を一撫でされた。
「殿下もお家に帰ろうね」
ぶっきらぼうな彼とは思えないくらいふわりと優しく微笑まれて、あたしはもうイチコロだ。
うっ……! ずるいっ!!
そんな柔らかな笑みは反則だっ!
……こうして、半強制的にレノックスに城まで連行されてあたしの一日は終わるのだ。
20.私の愛しい人(シャノン編)
仕事の合間を縫っては、麗らかな陽射しの中で娘のウィルマリアと戯れる。それが今の私の日課だ。
ウィルマリアが生まれて、より一層王家の居室は賑やかになった。
でも最近私がウィルマリアを抱き上げていると、決まって陛下が私の側でソワソワと順番待ちをしているのだ。
今日も一仕事終えて帰宅すると慌てたように陛下も帰ってきて、ベビー服を購入したので抱っこのついでに着替えさせていると、早くしてくれと言わんばかりの表情で見てくる。
案の定、陛下はウィルマリアにメロメロで。
今も着替えさせたばかりのベビー服が似合うだの、可愛いだの陛下の周りにはハートが飛び交っている。
……私が新しい服を着た時は、ここまで反応してくれなかった気がする……のだけれど。
親子のふれあいは見ていてとても微笑ましいのだけれど、なんだか少し……うん、少しだけ。
……モヤモヤっとしてしまう。
私も勿論陛下そっちのけでウィルマリアにメロメロだったりするので、まぁ……うん。お互い様なのだろうけれど。
夕食が終わってホッとひと息つきつつ、隣の陛下をチラリと見る。
どうせまたウィルマリアのところに一直線なんだろうなぁと、いつもの陛下の行動を思い起こして少しだけしょんぼりしてしまった。
陛下は最近、寝る時でさえもウィルマリアの隣だ。
なんだか妻として、娘を溺愛されるのはとても嬉しいのだけれど、少しだけ……そう、少しだけでいいから私の事も構って欲しいなぁなんて、ちょっとだけ思う。
隣で書類を見だした陛下の邪魔をしないように、そっと席を立とうと椅子を後ろに引いて立ち上がると、グッと手首を掴まれた。
書類しか見ていないと思っていたから、陛下の突然の行動に驚いて思わず動きが止まる。
「え、陛……」
「……シャノンさん、仲良くしようか?」
いつの間にか書類はテーブルの上に置かれた状態で、陛下は片手で頬杖をつき、コテンッと小首を傾げて甘い表情で私の手を握ったままジッと見つめてくる。
あまりにも突然の甘い空気に、どう返していいか分からず頬がジワリと熱くなった。
「えっ……あのっ、こ、ここ、ここでですか!?」
「私は別にここでも構わないけれど?」
「なっ……!」
慌て過ぎて変な事を口走ってしまった私のセリフに、陛下は少し意地悪く笑って返してきたものだから更に顔が耳まで熱くなる。
恥ずかし過ぎて言葉の返しようがなく、頬を小さく膨らませつつフイッと顔を逸らした。
すると握られていた手をそのままグイッと陛下の方へと引っ張られ、その拍子に椅子に座る陛下に覆いかぶさるように倒れかかってしまった。
「わっ!陛っ……」
「私と仲良くしたくはない?」
「……っ!」
───……陛下は、ズルい。
そんな甘い蕩けるような表情で言われてしまっては、断れるはずなんてない。
いや、……違う。私の中に、陛下の誘いを断るなんて選択肢は……元々ないのだ。
それに加えて、陛下はウィルマリアが生まれてからは、守るべき存在が増えたという心境の変化からか、『僕』と言わなくなった。
『僕』で聞き慣れていた陛下の一人称が『私』に変わった事で、なんだか陛下の国王としての威厳が益々感じられるようになって、一人称を口にされる度にドキリと胸が高鳴ってしまうのだ。
「ん?」と、私の返事を促すように陛下が首を傾げたので、恥ずかしさで瞳が潤む。
「……ベッドが、いい、です……」
恥ずかしさを押し込めて、真っ赤になりながらも呟くように言うと、陛下の瞳が色っぽく細められ、「良く出来ました」と甘く微笑みつつ唇を塞がれた。
***
翌日、今年は騎兵選抜トーナメントにもエントリーしていた為、農場や牧場の仕事をこなしつつ夕方の試合までソワソワと過ごした。
農場の仕事も勿論楽しいけれど、私はやっぱり……陛下を側で守るママの立場がずっと羨ましくて。
陛下は私なんかよりもよっぽど強いけれど、それでも……側で足手まといにならない程度には強くなりたいと思ったからだ。
夕方急いで王立練兵場へと向かうと、陛下の弟であるサミュエル殿下が開会式を取り仕切ってくれた。
陛下は近衛騎士隊のトーナメントの開会式に出なくてはいけない為だ。
しかも隣に立つ初戦の相手が、親友のフィービーちゃんである事に驚いた。
でも、いくら親友と言えどこの試合だけは譲れない。ママのように騎士隊長にまではなれないとしても、せめて騎兵になって陛下を守りたい。
フィービーちゃんにもその私の意志が伝わったようで、「お互い手加減はなしだからね!」と力強く宣言されてしまった。
***
試合はとても緊張したけれど、なんとかいつもの力を出し切れた。
試合後にフィービーちゃんに話しかけると、「シャノンってばいつの間にそんなに腕あげたのよ〜!」とニヤニヤしながら肘で突かれてしまった。
私が照れ笑いを浮かべていると、「愛の力ってやつ〜?」なんて笑顔で言われて、恥ずかしさに頬がジワリと熱くなった。
さて、農場によって帰ろうとホクホクした気持ちで幸運の塔の方へと向かうと、向かいから陛下が近づいてくるのが見えた。
優しく微笑みつつそう言ってくれた陛下に、私も喜びが隠し切れなくて満面の笑みで言葉を返す。
開会式が重ならなければ、私も応援に行けたのだが……と少し残念そうに陛下が言うものだから、その気持ちだけで十分です!と、私も微笑み返した。
それからの毎日は───、
──……ウィルマリアと触れ合ったり、牧場や農場の仕事、試合にと大忙しだったけれど、とても充実した日々で。
時には陛下と釣りに出かけたり、
デートに誘われたり、私から誘ったり、
そしていつも陛下は優しくて……甘くて、
私は本当に幸せ者だなぁって、改めて思える毎日が忙しくも穏やかに過ぎていく───。
そしてついに、トーナメントの決勝戦まで勝ち抜くことが出来た。
最後の試合の審判は、まさかのパパで。
緊張しつつもなんだか少し勇気をもらえた気がして、絶対にパパやママの元へと追い付きたい気持ちで剣を振るったら、見事優勝まで漕ぎ着けた。
───どうしよう、嬉しすぎる……!
嬉しくて、嬉しくて、今にも泣いてしまいそうで。
この嬉しさを、一番に陛下に伝えたいとソワソワしながらパパの言葉を待つ。
「では、続いて閉会式、に……っ!?」
突然パパの言葉が途切れたので驚いて顔を上げると、
………………え?
え……、あれ、なんで……陛下がここに!?
夢でも見ているのかと何度も目をこすったけれど、目の前の人は陛下で間違いなくて。
陛下は今、近衛騎士隊トーナメントの閉会式に出ているはずなのに……と、混乱で目の前の陛下を思わず凝視する。
陛下に名前を呼ばれて、ドキリと心臓が跳ねた。
陛下と目が合って、優しく目を細めて微笑まれると思わず抱きつきたい衝動に駆られる。
通常ではあり得ない光景に、なんで? どうして? と、疑問は沢山あるけれど、陛下がこうしてこの場に来てくれた事がとにかく嬉しくて、私は涙ぐみながらも「ありがとうございます」と笑顔で頭を下げた。
すると閉会式が終わってすぐに、パパが盛大な溜息を吐きながら私と陛下の側へとやって来た。
「……陛下、まさか近衛騎士隊の閉会式中に転移石使ったんですか?」
「うん。……まぁ、うん」
「はぁぁぁ〜……絶対、マツリカやアポリナル神官は大激怒してますよ?」
「……」
陛下が少しバツが悪そうに頭をかいている姿を、口ではなんだかんだと言いつつも、パパは少しだけ嬉しそうに見ながら仕事へと戻って行った。
そんな陛下とパパのやり取りを見つつ、ふと開会式の時の陛下の呟きを思い出して口元が緩んだ。
自分の仕事は絶対に手を抜かない陛下が、まさか私の閉会式の為だけにこんな失態をしでかすなんて、ママや神官様にはとても申し訳ないけれど、愛されてるなぁなんて思ってしまう。
隣でクスクス笑う私を見て、陛下は目尻を少し赤く染めながら「最後くらいどうしても一番に祝いたかった」とそっぽを向きつつ呟くように言った。
───そんな陛下も愛しくて。
ウィルマリアが大きくなったら語り継がなきゃいけないなぁなんて、こっそり思った。
***
それからの毎日も、とても穏やかで、幸せで。
仕事の合間に街門広場のベンチで休憩をしていると、ふと昔の事を思い出した。
ここで、いつも陛下とデートの待ち合わせをしていたなぁ、とか。
陛下とデートの約束をすると、嬉しくていつも私が先に来ていたっけ、とか。
想い出のついでに、なんとなく初めてのデート場所へと足が向かい、幸運の塔を見上げつつ池のほとりに立つと、初めて陛下に花束をもらった子供の頃を思い出す。
あの時の花束は、実は今でもこのエルネア王国特製の魔法のかばんに入っていたりする。
あの花束をもらった時の事は、今でも昨日の事のように思い出せて……あの頃の私に教えてあげたい。
───あなたは今、とっても幸せよ……って。
しばらくほとりで池を眺めていると、「シャノンさん」と聞き慣れた声に呼ばれて振り向いた。
そこには、愛しい───愛しい、私の旦那様の姿。
陛下は優しく微笑みつつ、今から息抜きに出掛けないかと誘ってくれた。
ここで花束を貰ったあの頃では、一緒に出掛けるなんて夢のまた夢だった。
それが今、こうして二人で出掛けられる。
『夫婦』という形で、陛下と肩を並べられる。
二人でニヴの岩を見つめながら、沢山の想い出が脳裏を過った。
いつも陛下の授業の時だけは、一番に席に着いていて。
街で陛下を見かけては、後ろからこっそり着いて行ったりもした。
成人して想いが通じた時は、幸せ過ぎて死んじゃうんじゃないかとも思った。
結婚式では、子供の頃からの夢が叶って思わず涙したり。
夫婦になってからは、ケンカもしたりして。
でも、仲直りも早くて。
───小さな頃から陛下が好き過ぎて、もうこれ以上はないと思っていたのに、陛下への好きの気持ちは留まるところを知らなくて、私の中ではこの先もきっとずっと永遠にキリが無い。
───『我が家』───。
そう呼べる所へ、二人で帰る幸せ。
この先きっと、いつか私は陛下がガノスへと旅立つのを見送る日が来るだろう。
それはとても悲しい事だけれど、この世に生を受けた人間には、必ず平等に誰にでも別れはやってくる。
そしてガノスへと旅立った魂は、また、新たなこの地へと転生する。
そう思った時、私の中で一つだけ……確信出来る事があった。
それは、何度生まれ変わっても、
私はきっと……貴方に恋をする───と、いう事。
〜END〜